本日は、時間がとれたので松山市堀江町にある花見山城跡を散策して来ました。

この城跡は標高14メートルの丘城です。

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丘の西側には日本ため池百選にも選ばれた堀江新池が広がり、頂上の本丸跡には祇園神社が建てられています。北側には河川が流れ、東側には二重の用水路が造られ堀切跡とも見受けられます。南側に二の丸と三の丸の曲輪跡と見受けられる平坦な処があり、現在はみかん畑になっています。

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この城は1368年に落ち延びていた九州より伊予に戻り、勢力回復を狙う河野通堯が村上蔵人大夫に命じて築かせた出城の1つだそうです。

讃岐・阿波・土佐の守護職で管領の細川氏や仁木氏の勢力を退けた後に、1379年に南朝方から北朝方に鞍替えした河野通堯は室町幕府の3代将軍足利義満より伊予國守護職に任ぜられました。

その後に、花見山城代として河野氏の後裔にあたる西通孝がこの城を与えられ、数代に渡って西(後に西山)氏がこの城を護りながら、この辺りの開発を進めたとのです。

麓に4から6代目のお墓があると書いてあったので、道のない所をだいぶ探して見つけました。

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今日は天気も良く、大勢のランナーが池の周りを走っていました。

来年も平和な1年であるように頂上のお社に手を合わせました。

ありがたいことです。
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11月25日、高野山からの帰りに京都に寄りました。

今年6月に結婚したフランスの友人がパリから京都に旅行に来たとの報せを受けてのことです。

フランス人の結婚式は夜中9時から始まると聴いて、まさかと思ったのですが…本当でした。向こうの6月は9時くらいまでお昼の様な明るさなので、1日が有効に使えるので6月に結婚式を挙げる人が多いそうです。日本人が商業的に雨の多い6月に式を挙げるのとは別の理由があります。

ところで、22日から30日まで京都にいるとの報せを受けて行った京都ですが、紅葉シーズンという事もあり紅葉スポットはごった返していました。

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まず、京都駅で待ち合わせして歩いて東本願寺へ。ちょうど大谷学園の生徒さんが700名大きな御堂に入っておられて、制服姿の生徒さんらが終わって出てくるのを見て2人が喜んでました。

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友人が日本に来るたびにいつも思うのですが、興味を持つところが、日本人が思うところと違うなと良く感じます。

その後昼食をみんなでとるためにタクシーで五条坂に移動。

私が京都を案内する時には必ず連れて行く湯葉を作っているところで食事も出来る、ゆば泉さんで食事をしました。何度も日本に訪れている友人も湯葉は初めてだそうです。本当かな?

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タクシーの運転手さんも言っていましたが、観光客の半数以上が外国人の方々とのことで、清水寺に2人を連れてったのですが其処彼処に中国語が飛び交ってました。

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高野山では紅葉は終わってましたが、京都はギリギリ間に合った感じでした。

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妻が10年以上前に松山で3カ月ほど自宅に住まわせて一緒に暮らしたご縁で今も関係が続いています。

日帰りでしたが、会えて良かったよ。

ありがたいことです。

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ある時、先輩のような後輩が私に言いました。

「ギロウさん、高野山で一番いい季節って何時やと思います?」

私は当然、
「そら、やっぱり春か秋やろ。桜や紅葉の季節が一番綺麗なんじゃないの?」

とありきたりな受け応え。

すると彼が、

「ギロウさん、高野山で一番良いのは冬ですよ。春や秋は観光客がドッサリやって来てごった返してるけど冬の高野山は雪が降って本当に静かなんですよ。やから、僕は檀家さんに、和っさん、今度高野山にお参りしてこうかと思うんやけどいつ頃行ったらいい?と訊かれたら必ず、行けるんやったら冬行って下さいって言うようにしてるんですよ。僕はそう思ってます。」

なるほど。おそらく彼は何年もいたのでそう思うようになったのでしょう。上がるのが、歩くのが大変な時期こそ、本当の美しさを感じることが出来るのかもしれません。

私も勤めていた会社を辞めて、修行の為高野山に上がりましたが、冬は寒いというだけではない、静けさこそ高野山の最大の魅力なんだと教えられた次第です。

今日より高野山で3日間ですが、有り難く修行させて頂きます。

ありがたいことです。
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織田信長の小姓、森蘭丸の弟であった森忠政によって慶長初期より築かれた鶴山城は思ったよりも立派なお城でした。

春の枝垂れ桜や秋の紅葉の名所としても有名で、ちょうど紅葉が美しい頃合いでした。

また、本丸跡や櫓跡からは津山盆地が見事に眺望できます。

この城を落とそうと思えば5〜10倍の兵力がいったのでは?と推測したりしながら散策しました。

下から見た山城の石垣の立派さに20歳頃に廻ったアレッポ城に雰囲気がよく似ているなと懐かしいことを思い出した次第です。

報道ではシリア内戦によりアレッポ城やクラッシュデシュバリエ城や他の世界遺産も破壊されていると知り哀しい想いです。

早く内戦が終わって欲しいと思います。

夜はライトアップもされてるみたいですよ。

ありがたいことです。
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本丸跡
本日、1年振りに地元愛媛の石鎚山に登って参りました。

濃霧と横殴りの風の中、登頂しました。

濃霧の山道でも目の前にある道を、転げようが躓こうが歩いていけば、頂上なりロープウェイ乗り場なり辿り着きます。

迷妄の想念に纏われた人生を送っているわたしですが、詠歌道を始め、道と名の付く先人が開き通った道を歩めば、何処かしらに必ず辿り着くのではなかろうかと、ふっと気付いた次第です。

ありがたいことです。
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お知らせです。

「心響会和太鼓コンサート」

本年は10月1日に松山市の真言宗豊山派の青年僧で結成されている「心響会」の方々に来て頂き和太鼓と篠笛の演奏をして頂きます。


檀家に限らず、入場自由です。


せっかく遠いところを来て演奏頂きますので、是非多くの方々に聴いてもらえれば嬉しいです。


是非ともご参加下さいませ。


ありがたいことです。

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今日は午前中大雨の中、県仏の役員会に出席したのち、午後から高野山別院で御詠歌のお稽古に参りました。

お稽古が終わりましたら、雨も上がっておりました。今回も台風が大したことなく過ぎ去りました。これも全て石鎚山が護ってくれているお陰だと思います。

思ったより稽古が早く終わりましたので、久しぶりに隣55番札所南光坊さんへお参りさせて頂きました。

ここは本尊が大通智勝仏という仏様で、これは大三島の大山祇神社の本地仏です。

隣に別宮大山祇神社が隣接してあることからも、大三島の遥拝所として南光坊と別宮大山祇神社合わせて1つの霊場であったことがわかります。

大三島の大山祇神社の別当寺として何カ寺かの塔頭寺院があった中で唯一現在まで残ったのがこの南光坊という歴史があります。

元は大山祇神社の神官を世襲していた大祝家由縁の坊であったのではないかと推察しながら本堂のご本尊様を拝ませて頂きました。

昔より災害の少ない地、今治と旧越智郡。

これも全て自然に由来する神仏の賜物であることに感謝します。

ありがたいことです。
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今日は子供が夏休み最後ということもあり、8月は盆月で忙しかったこともあり、ほとんど何処にも連れてってやってない子供を連れて石鎚山の方へ行って参りました。

ロープウェイ乗り場の方へ車を走らせておりましたら、湖畔側に紫雲棚引く山を見つけました。

霊気に導かれ、そのまま険しい尾根を登るとお寺の山門があり、2匹の犬がお出迎えしてくれました。

その2匹の犬に導かれるように山門を潜ると素晴らしい眺望に息をのみました。

黒瀬ダムが眼下に広がり、遠景には石鎚山の一角を望むことができるその景色はまるで関東の避暑地として天下に名を馳せる箱根の山々のようです。

とは言え箱根には行ったことありませんが。駅伝で1年に1度見るだけです。

せっかく来たので住職さんにお願いして本堂に上がらせて頂き読経させて頂きました。

住職さんは全国の信仰の山々を東奔西走、行脚して回られている、修験道の雄とも言うべきお方です。

この光昌寺はもとは黒瀬ダムの畔にあったのですが、黒瀬ダムの底に沈んだ村と共に違う山の上を削り光昌寺と2つの神社をこの地に移転させたそうです。

数年前に無住だったこのお寺の仏像数体が盗難に遭い、そのうち本尊十一面観音像と毘沙門天像の2躰だけが中国へ送られる前に福岡市の港のコンテナの中から押収されたということです。

うちの部落の毘沙門天像も同じ時に盗難に遭いました。未だ行方知れずです。

無住ではやはりお寺が守れないということで縁あった武田さんが住職として迎えられたという経緯があります。

突然の来訪にも関わらず、ご夫婦ともに笑顔で歓待してもらいました。境内も良く掃除が行き届いて、穏やかなご夫婦のお人柄を顕わす様でした。村が消滅した後のお寺を護る困難は想像に難くないですが、頑張られている背中に敬服します。

念願の境内での一服最高でした。

ありがたいことです。

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お世話になります。

厄除け薬師のギロウです。

この度、御詠歌の用事で福岡県福津市に参らせて頂きましたので、以前から一度訪れたかった隣町の宗像市にある宗像大社へお詣りさせて頂きました。

念願の参拝です。

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宗像大社と一言で言っても、実際には玄界灘に浮かぶ沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、そして今回訪れた宗像市田島の辺津宮にそれぞれ田心姫命、多岐津姫命、市杵島姫命の三女神が祀られており、その総称として宗像大社と呼ばれるのが正式な名前です。

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通称「裏伊勢」とも呼ばれ、天孫降臨に先駆けてこの宗像三女神が降臨していたことから、天照大御神が後の天孫を助けるようにと命じられたことが日本書紀の中に記述されているようで、神功皇后の三韓征伐の折にここで海上安全の御祈願がなされてその功があったことから宗像大社の神事が大和朝廷の国家祭祀に組み入れられ、宗像一郡が神領として宗像大宮司氏に与えられた歴史を有しています。

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宝物館には「海の正倉院」とも呼ばれる島そのものが御神体の沖ノ島から出土した夥しい数の祭祀の遺物が国宝に指定されている他に仏教遺物も多々含まれいて、古代の祭祀のあり方を感じさせる神秘的な様相を帯びている物ばかりです。ため息〜。

沖ノ島は今でも女人禁制で宮司さんが入島される場合でも冷水で身を清める禊をしてからお詣りされるそうで、未だ手付かずの物を含めると埋蔵文化財は10000点に及ぶとのことです。世界遺産に申請が検討されているそうですが当然でしょう。

また、年表を見ていて目に付いたのは平安時代に現在の中国が宋の時代に宋の商人王氏の娘が宗像大宮司氏に嫁ぎ、続いてその息子に同じく宋の商人張氏の娘が嫁ぐなど如何に中国との交易で栄えたかがわかります。

宋の国より直接持ってきたと言われる阿弥陀佛の大きな石像など、また宗像大宮司家の当主の名前が仏教の影響を受けた僧名のような方が多いのも、古代より玄界灘の海道を抑える宗像氏が大陸文化との歴史が深いかを示しています。

古代史に独自の見解を持つ私としては、沖ノ島にも行ってみたいのですが、限られた時間の中で辺津宮さんに来られただけでも、学生時代からの想いが少し遂げられた様な気がします。

ありがたいことです。
お疲れ様です。

毎日暑い中いかがお過ごしでしょうか?

ギロウです。

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今日は松山市で地鎮祭を行いました帰りに、以前から気になっていた松山市道後の奥谷という処にある宝厳寺さんにお参りさせていただきました。

ここは近年火災により本堂が燃えてしまい、一遍上人像など国の重要文化財も焼失してしまったことで新聞の紙面やテレビのニュースでも報道されたのは記憶に新しいところです。

本年、全国より寄せられた多額の浄財により本堂などが再建されました。

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ここは伊予河野氏の出自であった一遍上人生誕の地に建てられたと伝わる由緒あるお寺で、以前から寄らせていただきたいと思っておりました。

一遍上人は鎌倉時代に踊り念仏で一世を風靡?し、当時の民衆の最大の支持を集めることになりました。

弟子らが時宗という宗派を形成して、現在に至っています。

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古いもの好きな私としては、残念ながら新築の伽藍に変わっておりましたが、以前よりの古式に則って建てられた本堂を観ると、それはそれで木の新しい香りに、皆さんの努力でもって再生された新しい力を感じました。

ここは南無阿弥陀仏とお唱えしなければいけませんが、薬師如来さんの様な再生力を感じた次第です。

新造された本尊阿弥陀三尊の善の綱を握りしめ手を合わさせていただきました。

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愛媛銀行が寄進した本堂横の御堂には燃えてしまう前の一遍上人像の模造がやはり新造されており手を合わさせていただきました。

これからまた1日、1年と時を刻んでいくでしょう。

私は前の御堂や仏様にお逢いすることは出来ませんでしたが、何故か再建された伽藍に少し安堵の思いでした。

ありがたいことです。

厄除け薬師