筑紫太宰府における万葉歌人山上憶良
万葉歌人山上憶良
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ 何処より 来りしものそ 眼交にものな懸りて 安眠し寝さる
大意は瓜を食べると子供のことが思われる。栗を食べると一層、子供のことが偲ばれる。子供はどこから来たものであろうか。眼前にむやみにちらついて安眠させてくれないことか。
銀も金も玉も子供の愛に比べると何になろうか。どんな秀れた宝も子供に及ばない。
しかしながら、この歌は憶良とすると不自然です。この歌は60歳過ぎの憶良が自分の心境を歌った内容ではないことは明らかです。専門家によると「子への愛の哀歌のまっただなか浮き沈みしながら、同時にその自分の姿を客観的に凝視して、人間の生そのものへの驚きと畏れと讃嘆とを表現しているとの内容等になっている」とのことです(谷口茂著、外来思想と日本人:玉川大学出版部)。このように憶良の歌はほとんど客観的で詠まれています。
例えば
大野山霧立ち渡るわが嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ちわたる
これは大伴旅人の妻の死を慰めるため憶良が大伴旅人になり替わって詠った反歌です。
このような深い内容の歌を中学、高校生に理解できる訳がありません。あらためてある年齢に達して万葉集を詠みかえすのも意義があることと思います。
大宰府政庁跡から観世音寺に行く途中にこの有名な歌碑があります。
大野山 霧立ち渡るわが嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ちわたる
この歌碑は歴史スポーツ公園内にあります。この歌碑も上記の大野山・・・同様、大伴旅人の妻の死を慰めるため憶良が大伴旅人になり替わって詠った反歌です。
歴史スポーツ公園内風景
観世音寺境内の山茶花