私は当たり前のことをしただけです
―杉原千畝
「私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない。
しかし 私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。
大したことをしたわけではない、当然のことをしただけです。」
―『六千人の命のビザ』
昨日
由美ママ&キリンズは
友人の吉川晃司さんhttp://www.kikkawa.com/
主演ミュージカル
【SEMPO】http://www.sempo2013.com/
観劇に「新国立劇場」中劇場http://www.nntt.jac.go.jp/guide/facility/theatre/middle.html
へ出かけました
由美ママは
晃司さんの舞台は昨春以来ですが
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*吉川晃司さん舞台【陽だまりの樹】大阪公演“千穐楽”観劇!無骨な武士万二郎を熱演し見事な殺陣を披露
(2012年5月21日号)
晃司さんには
今春の【クラブ由美開店30周年感謝の集い】にて鏡開きとご挨拶をいただきました
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*【クラブ由美30周年感謝の夕べ1】開宴前~開宴後のご挨拶!杉本彩さん&吉川晃司さん&神野美伽さん
(2013年4月16日号)
【SEMPO】http://www.sempo2013.com/
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さて
【SEMPO(センポ)】とは
今でも
「日本のシンドラー」として
世界中からその勇気を称えられている
杉原千畝(ちうね)氏の物語ですが、
晃司さん自身の主演で
この度
5年ぶりの再演が叶いました
杉原千畝役の吉川晃司さん
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ここで
故杉原千畝氏を紹介させていただきますと・・・
杉原氏は
第二次大戦の最中
リトアニア・カウナスの
日本領事館に副領事として赴任し
当時
ドイツのヒトラーの魔の手から、リトアニアに逃げてきたユダヤ人6000人を、
日本の通過ビザを発給し助けました。
ちなみに
“センポ”の名の由来は
“ちうね”という発音の出来ないユダヤ人に対して、
杉原氏自身が“センポ”と呼ばせていたことから
日本初のこのミュージカルのタイトルに起用されました
【SEMPO】 ロゴ
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今回の
『SEMPO』“再主演”に於いて
晃司さんは、
山田修爾さんのために「弔い合戦」・・・
という想いもあり、
山田氏とは
8月28日に特発性間質性肺炎のため
67歳で亡くなった元TBSプロデューサーのことですが、
山田氏の最後のプロデュース作品が
この【SEMPO】で、
その縁から
5年前の同作の初演でも主演。
関係者によると、
山田氏から
「周りに流されなかった君の存在が必要」と口説かれ、出演を決めたそうで、
それだけに、晃司さんは
「弔い合戦を成功させて、墓前に報告をするまではお別れをしていない」
と並々ならぬ気持ちで舞台に臨んでいました
彼自身が最も重要だったのは、
ミュージカルに再主演し、
“杉原千畝を演じる”ことは、
「杉原さんに恥ずかしくないように、失礼がないように演じていきたい。
もしも来世があるとするならば、自分が死んだ時に、杉原さんの目を真直ぐ見て、笑って挨拶できる自分でいたい」と、謙虚に語り、
5年ぶりの再演の舞台も
彼の熱い思いが
よりいっそう集約された舞台に仕上り、
脇を固める実力派のミュージカル俳優たちの渋い演技の中でも
圧倒的な存在感を示し
吉川流“センポ”を演じていました
さらに
前回同様に驚かされたのは、
演技力も然る事ながら、
中島みゆきさんによるメロディを、
自身の書き下ろしたバラード「光と影」などとともにアカペラで唄い、
その歌唱力は、よりパワーアップしていましたが、
静かに響くその歌声は胸に深く浸透し、
舞台終了後のカーテンコールでは
割れんばかりの拍手がいつまでも鳴り響き、
由美ママ&キリンズも皆、
あまりの感動に思わず立ち上げって泣き出してしまいました・・・
【SEMPO 】劇中のワンシーン
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ミュージカル【SEMPO】は
今日13時に
名残惜しくも“楽”を迎えてしまいますが、
由美ママは
「私は大したことをしたわけではない。当然のことをしただけだ」
と堂々と言い切った杉原千畝氏のこの言葉に
勇気と愛と感動をいただき、
現代にも当てはまる
この“JUSTICE・正義”のあり方をあらためて見つけ直したく思いました
そんな
晃司さんは
千畝氏の思いを汲んで「人の命より大切なものはない」と、
今回の公演に
東日本大震災の被災地から300人を
チケット代はもちろん、
現地からの交通費も晃司さん自身が負担してご招待したとのこと
この厚意にも
心からの称賛と敬意を表させていただきます
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