海の果て かもめひらひら 舞う孤島
サンフランシスコ滞在中の由美ママの四日目は、
“ツアーの定番”『アルカトラズ島』観光へと出かけました。
『アルカトラズ島』からのサンフランシスコ http://www.alcatrazcruises.com/
海の果てへひらひら舞うかもめ・・・
この島は、サンフランシスコ・フィッシャーマンズワーフの沖合3km
ほど離れた湾内に浮かぶ断崖絶壁の小さな島で、
かつては脱出不可能と言われたアルカトラズ連邦刑務所があり、
別名「悪魔島」や「ロック」「監獄島」と呼ばれていました。
またその名の「Alcatraz」とは、スペイン語で“ペリカン”を意味し、
カモメを始めとした海鳥の生息地としても知られています。
そんな「アルカトラズ島」の歴史を辿ってみると・・・
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1775年無人島だったこの“島”はスペイン人によって発見され
「Isala se los alcatracs」と名付けられ
当時はメキシコ領だった“島”は、1846年に正式に「アルカトラズ島」と認められます。
その後、1850年にはサンフランシスコ湾を守る為、最初の軍事施設ができ、
この建物は後に軍の収容所となり、ホピ族などのインディアン戦士や、
南北戦争中に、初めて民間人の捕虜が陸から離れたこの“島”に収容されました。
やがて、1906年、サンフランシスコ大地震で街が壊滅すると、
街の刑務所にいた一般の受刑者数百人が、
治安のため急遽「アルカトラズ島」に移送されて、
これをきっかけに、軍刑務所時代からの脱走しにくさと、
苛酷な環境で悪名高かった“島”は一般向け刑務所となりました。
そして1912年には大型監獄が“島”の中央に造られ、
1920年代末には第一次世界大戦時の捕虜や反戦活動家らが収監され、
ドイツの総領事フランツ・ポップが戦争犯罪の理由で島へ送られましたが、
1933年に“島”の管轄が軍から司法省に移り、
アルカトラズ連邦刑務所となりました。
ところで、この“島”の有名な受刑者としては、
何といっても1934年7月1日に収監された「アル・カポネ」で、
その他では、ロバート・フランクリン・ストラウドや、
アルヴィン・カーピスら到底“更生不可能・・・”とみなされた極悪犯罪者が主に服役させられていました・・・
今さら説明するまでもないのですが、
この「アル・カポネ」とは本名アルフォンス・カポネ(1899~1947)と云い、
元はイタリア・ナポリから来た移民の子としてニューヨークブルックリンで生まれ、
シカゴの暗黒街のボスとして、
禁酒法時代に密造酒製造・販売、売春業、賭博業をして、
マフィア組織を拡大し犯罪組織の統合近代化して君臨したギャングの大ボスです。
ただ誰もが恐れる大ボス・・・である一方、
その陽気な性格からマスコミにも取り上げられることが多く、
“アル・カポネ”をモデルにした映画やテレビドラマは数多く作られ、
今も歴史上最も有名なギャングとして語り伝えられています。
ちなみにエソワード・G・ロビンソン主演の「犯罪王リコ」は“アル・カポネ”がモデルとされ、
その後の「暗黒街の顔役」「スカーフェイス」はこの映画のリメイク版で、
また、「アンタッチャブル」は、1950年代後半~1960年代初頭にかけて放送されたテレビドラマ版が最初ですが、
近年では1987年に製作・公開された映画版は、
主演ケビン・コスナーと“カポネ役”ロバート・デニーロで大ヒットしたのが記憶に新しいことでしょう・・・
そんな“カポネ”は、1931年に脱税で捕まり、懲役11年、罰金8万ドルの有罪判決を受け、
アルカトラズ連邦刑務所に収監された後、刑期を終えて1939年11月16日に出所した出所後、
ボルチモアのユニオン記念病院で梅毒の治療を受け、
1945年に梅毒治療として、民間人ではじめてペニシリンを投与されましたが、
効果は無く、出所してから死亡するまでの間に、
かつて支配したシカゴへ1度も戻ることはなく、1947年1月25日に死亡しました・・・
アルカトラズ刑務所は1963年3月21日に、当時の司法長官ロバート・ケネディに
よって閉鎖が決定されましたが、機会ありましたら小説や映画の舞台となり、
数々のドラマを生んできたこの『アルカトラズ島』へ渡り、
この“島”の歴史を垣間見てはいかがですか?
http://www.alcatrazcruises.com/