せりなづな 御形はこべら 仏の座 すずなすずしろ これぞ七草・・・『由美』のお正月と“七草”の話 | 銀座由美ママの心意気

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働く女の心意気を、銀座という世界を通して、様々な観点から表現したくブログを始めました。 そんな銀座ママの日常です。どうかご笑覧下さいませ。







せりなづな 御形はこべら 仏の座 すずなすずしろ これぞ七草 

―四辻善成
 

新年あけましておめでとうございます。



銀座由美ママの心意気-2010年年賀状

2010年『由美』&『けんたうろす』年賀状 www.yumi-ito.com





このお正月休みはいかがお過ごしですか?




由美ママは大晦日より、友人の元木佳代子プロが総支配人を務める『ベルセルバ』http://www.belle-co.com/belleselva/index.html http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10254734687.html  

へと来ていますが、昨年末のグルメ三昧・“銀座檀家周り”で疲れた胃を休めるため、

今朝はこれから食堂へ行き“お粥”を食べようかと思っています・・・




銀座由美ママの心意気-由美鏡餅

銀座由美ママの心意気-晦日の由美ママ

昨年晦日の由美ママと鏡餅




さて、“粥”といえば、掲歌にも詠まれている正月七日の“七草粥”が有名ですが、

この“七草粥”には、「災いを除け、長寿富貴を得られる願い懸け・・・」の他にも、

正月疲れの胃腸を休める薬膳効果もあり、家族の健康のために、これからも伝えていきたい習慣のひとつ

かと思いますが、元は、平安時代の風習とか、また中国からの伝来とされ、

本来は“七草”ではなくて“七穀”だった・・・など様々な謂れがあります。




古くは清少納言の「枕草子」(二段)に・・・
「正月一日は、まいて、空の景色うらうらと珍しく、かすみこめたるに、世にありとある人は、姿容心ことにつくろひ、君をもわが身をも祝ひなどしたるさま、殊(こと)にをかし。七日は、雪間の若菜青やかに摘み出でつつ・・・」と言う一文にもあるように、

当時の日本の正月行事は、6日の夜から7日にかけて、柊などの刺のある木の枝や、

蟹の鋏のようなとがったものを戸口に鋏んで邪霊を払い、

唱えごとをしながら七草を包丁で叩く“七草叩き”の後、“粥”を炊き込み七日の朝、

歳神に供えてから家族で食べるのが慣わしだったそうで、

その後「四辻の左大臣」と呼ばれた南北朝時代の公卿・四辻善成が、「・・・これぞ七草」と詠んでから、

「春の七草」として定着したと云われています。http://kiransou.hp.infoseek.co.jp/harunonanakusa.htm




ところで、この四辻善成が残した最大の業績は、政治的なことではなく、

30歳代後半の1362年頃に「源氏物語」の注釈書『河海抄(かかいしょう)』20巻を著したことで、

この第十三巻の「若菜」の注釈の中で善成は、平安時代の「若菜まいる」の行事は、

次の12種の植物を合わせて羹(あつもの)にしたと書いており、

それは若菜 薊(あざみ) 苣(ちしゃ) 芹(せり) 蕨(わらび) 薺(なずな) 葵 蓬(よもぎ) 水蓼(みずたで) 水雲(すいうん) 芝(し) 菘(すう)の12種ですが、

これに続いて上記の七種の野菜・野草を挙げ、これが現在まで伝わる“春の七草”の原典になっています。



ちなみに、この七種とは、善成が生きた南北朝時代の“春の七草”の種類を示したものと思われ、

ただ五・七・五・七・七の短歌の形ではなく、この記述を元に、

種類の順序を入れ替え「これぞ七草」というフレーズを付けて短歌にしたのは、善成自身でしょうか・・・

それとも他の誰かでしょうか・・・? 未だに謎に包まれています。http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore3/46nanakusa.htm
 

銀座由美ママの心意気-晦日の由美ママ2



君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ ―仁和帝


今日は厳しい寒さの『ベルセルバ』ですが、ゴルフの合間にでも、「百人一首」にも採られたこの歌のごとく想いで、初春の野に出て若菜を摘み、そしてその“衣”の袖にそっと雪が降りかかるような・・・そんな風雅なる元旦を過ごしたく思う由美ママでした・・・

(『ベルセルバ』http://www.belle-co.com/belleselva/index.html で元木佳代子プロとの“お正月”は、次号をご期待?下さい!!!)