雨障常する君は ひさかたの昨夜の雨に懲りにけむかも
―大伴女郎
今週の関東地方は、「皆既日食」も観れず、再び天気が崩れて、“梅雨空”に逆戻りしたようですが、今朝はこれから少しでも天気が変わるといいですね。
昭和4年、財界人の手により中部地区で“最初のゴルフコース”として誕生した草分け的な存在
『名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース』 http://www.nagoyagolfclub-wago.gr.jp/
さて、23日に、この時期の様々な“梅雨”の表現を書きましたが http://ameblo.jp/ginzayumimama/day-20090723.html 日本最古の歌集「万葉集」に、『雨障(あまざわり)』と云う興味深い言葉を見つけましたので、今朝は『雨障』について調べてみました。
この『雨障』とは、大変由緒ある言葉で、その意味は、雨に降り籠められて外出しないことや、
雨に降られ濡れるのを嫌って外出を控えることで、
“あまつつみ”とも読まれますが、国文学者の古橋信孝氏によると、当時は雨に“打たれる”のを畏れ慎む習俗があったようで、昔の人々は、“神々が住む天から降ってくる”神聖なる雨には、人知を超えた霊力を感じていました。
そして、雨が降らなければ「祈雨」し、また降り過ぎれば「止雨」の祈願をすることからも分かるように、古代では、雨は神々が管理するもので、雨に“打たれる”のを避けねばならなかったのです。
そういった意味でも、この『雨障』とは、人々と、神々が営む“自然”との付き合い方を示す言葉として生まれたものだったのかもしれませんね。(毎日新聞 朝刊「余録」より)
http://www2.cosmo-oil.co.jp/dagian/42/16.html
『名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース』“名物”No.17
ところで、掲歌で大伴女郎は、逢引した翌日に、
「雨篭りするあなたは、昨夜の雨に濡れてさぞかしお懲りになったことでしょうね」と詠っていますが、
この歌では、“雨嫌い”ではなく、“雨の障害”と表現しているのが、現代の感覚では不思議な気がしますが、
そういった表現からも当時は“打たれるのを避けねばならなかった”習俗が伺え、
でも、いったいどんな“懲り方”をしたのでしょうか・・・・
そんな、当時の“雨”に対する感覚が興味深く思えますね。
またこの歌には、都合のよいことに
「ひさかたの雨も降らぬか雨乍見君にたぐひてこの日暮らさむ」と返歌が詠われていて、
この場合の『雨障』は“雨乍見”と表記されていますが、仮名の無かったこの時代、「万葉集」の原文は、すべて漢字の音や訓を使って歌を書きとめているので、実のところ『雨障』をどう訓んだのかは定かではありませんが、“雨乍見”の“乍”が助詞の“ツツ”を表記するのに使われることから、“見”の訓は“ミ”で、それ故に“ツツミ”と読むことができ、『雨障』は“アメツツミ”と読めることになります。
このように二首目の歌は、「雨が降ったらいいのに、そしたらあなたと二人で雨乍見して、一緒に過ごしましょう」と、本来ならば“雨つつみ”とは、人々が避けるべき禁忌ですが、
この場合は最初の歌で雨で慌しく帰った男をからかった女に、男はむしろ「雨が降った方がいい」と応じた恋の歌で、雨のお陰で“帰れなくなって寄り添う”男女の甘い恋の情景が思い浮かぶかのようですね。
http://mbs1179.com/manyo/htmls/song/b_2002_5_6.html
中部地区の名門コース『名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース』での由美ママ
http://www.nagoyagolfclub-wago.gr.jp/
今週はじめは山口で、“暴れ梅雨”となって、多くの人々を苦しめたこんな“雨”ですが、鬱陶しい梅雨もそろそろ終わりが近づいてきましたので、
これから6時発の始発に飛び乗り、名古屋へと“ゴルフツアー?”に出かける由美ママとしては、“出控える”『雨障』から開放されて、「梅雨明け十日」と云われるような、そんな燦燦と太陽輝く一日となりますよう祈っていて下さいね。