窓濡れて あざやけきかな 七月の 青きひかりは われの机に
―若山牧水
明日、文月一日は一年の折り返しに入りますが、微かながらもようやく梅雨らしくなりましたが、「水無月晦日」はいかがお過ごしですか?
“梅雨らしい・・・”とは、今週は、梅雨前線が少しずつ関東に伸びてきて、“梅雨明け”した沖縄を除けば、全国的に“雨”との予報ですが、実は梅雨の時季の天気の予想は大変難しいそうで、現に先週“入梅”した東京は、“梅雨”とは名ばかりで、本当に雨の少ない“水無い月”六月でした。
祇園花見小路『別邸 乾坤(けんこん)』(要紹介)では、旬の食材と料理人の匠の技が織り成す・・・・
季節それぞれの醍醐味を堪能できます。
『乾坤』“一間だけ”のお座敷
今宵の“もてなし”の準備中のカウンター・・・
“初夏の膳”は涼しげ・・・
ところで、今日「水無月晦日」は、“氷の節句”を祝う『水無月』を食べる風習があるのをご存知ですか?
京都では古より、一年のちょうど折り返しにあたる「水無月晦日」に、この半年の罪や穢れを祓い、これから迎える残り半年の無病息災を祈願する“夏越の祓い”と言う行事がありますが、この行事に用いられるのが、和菓子『水無月』で、白い三角形の“ういろう”に“小豆”をのせた和菓子です。
この和菓子の『水無月』を食べる由来は、京都では昔から、旧暦6月1日(新暦6月末頃)に、周辺に幾つか存在した“氷室(真冬に造られた氷をストックして置く室)”から、宮中に“氷”を運び、国家安泰・無病息災を願い、その“氷”を神に捧げ、口にして邪気を祓うと云う「氷の節句神事」が執り行われていたことに由来しますが、
それが室町時代に入り、この“氷の節句”を庶民が真似るようになり、“氷”の代わりに“ういろう”を用い、邪気を祓う三角形に切って、さらにその上に悪魔祓いの意味で“小豆”をのせ神棚に供えたのが、和菓子『水無月』誕生のルーツと云われています。
http://www.kanshundo.co.jp/museum/yogo/minazuki.htm
じゅんさいと南瓜をくり抜いた中に盛られた“旬菜”
そんな「氷の節句神事」の源である“氷室”ですが、その起源は古く、今から1600年以上前に、奈良市郊外の「闘鶏(つげ)」と云う場所で猟をしていた額田大中彦皇子が、その地の闘鶏稲置大山主が所有していた“氷室”を発見し、その中の“氷”を天皇への献上品として差し出したのがきっかけとなり、日本古代律令国家に於いて、「蔵氷」と「賜氷」として云う制度として生まれ、それが今でも、“献氷祭”として残り、奈良市春日町の「氷室神社」には“氷の神様”が祀られています。http://www.junpyou.or.jp/museum/jinjya_01.html
『花郷』と『別邸 乾坤』を仕切る岩崎料理長が“鱧ご飯”を披露!
神秘そも 人には説かし 氷室守
―蕪村
それでは、“氷室”開く「水無月晦日」も過ぎて、明日は、稲の穂の“含月(ふくみづき)”文月です。
今日は、遥か古からの「氷室神社」の「献氷」の習しに想いを馳せ、和菓子『水無月』を食し、恵みの“梅雨”を慈しめるような良き一日をお過ごし下さい。