夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、
ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。 ―清少納言「枕草子」より
今週末23日(土)から、「椿山荘」の広大な庭園にて、初夏の風物詩“蛍の夕べ”が始まります。
「椿山荘」2万坪の庭園内 料亭「錦水」玄関
「椿山荘」は、現在では結婚式場として有名ですが、元は南北朝の頃から、“椿”が自生する景観から、“つばきやま”と呼ばれていたものを、「山縣有朋」が明治11年(1878)に私財を投じて、この“つばきやま”を購入し、「椿山荘」と命名したことに由来します。
「山縣有朋」は、日本軍閥の祖と言われ、また政治家としてもその手腕を発揮しますが、それ以上に極めて文化人としても名を馳せ、和歌を嗜み、殊に庭園を好んで作庭については一家言を有し、今日まで残る“山縣の名園”には、京都の「無隣庵」、小田原の「古希庵」、そしてここ東京目白の「椿山荘庭園」で、この三園をあわせて「山縣三名園」と呼ばれています。
料亭「錦水」玄関に面した庭
料亭「錦水」“浮舟の間”
そんな由緒ある歴史の「椿山荘」には、約50年前から「蛍」が生息し始め、現在では大きな庭園内に、推定5000匹のゲンジボタルが生息しているようですが、「蛍」は、曇天で気温の高い夜には多く飛び交いますが、雨上がりの夜や、風のある気温の低い夜にはあまり飛ばず、「蛍」の幻想的な青白い光は見られないこともありますが、どうか都心にて、「蛍」の儚く繊細な光の舞をご覧になりたい方は、一度、この季節の「椿山荘」に訪れ、料亭「錦水」にて、“蛍会席”を召し上がってみてはいかがですか?
「蛍会席」“虫篭入り”先盆
「蛍会席」鮎の笹蒸し焼き
くり抜いた“冬瓜”は鱶鰭姿煮入り
「蛍会席」のメインは牛フィレや新鮮な魚介や野菜を陶板焼きで。
「蛍会席」かにご飯とデザート
【料金】21,000円 税金込・サービス料別(昼15%/夜20%)
【期間】平成21年5月23日(土)~7月20日(月)
【時間】全 日11:30~22時(ラストオーダー20時)
※予約制(前日15:00まで)http://www.chinzanso.com/restaurant/kinsui/menu/0372.php
ところで、「蛍」の歴史は、古くは奈良時代の「日本書紀」(720年頃)の中に、「彼地多有蛍火之光神や蛍火」との文字で登場することにはじまりますが、実は日本には化石すらなく、いつ頃から「蛍」が存在していたのか、今も定かではありませんが、その後、平安時代になると、「万葉集」や「源氏物語」の中で、「蛍」の文字が現れ、“水辺に住んで光るもの”と記されている文献もあることから、この時代には、すでに「蛍」が存在していたと思われ、冒頭の「枕草子」の一節では、季節について、「夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。」と記されていて、この時代より夏の風物詩であったことが分かります。
その他、「蛍」には、“蛍二十日に蝉三日”と、旬の時期が短いことの喩えとしても使われていますが、「蛍雪」という言葉は、「夏はホタルの光で、冬は雪明りで勉強する」という意味で、苦学することの喩えですが、元は中国「晋書」の中の「車胤伝」の故事を踏まえていて、晋の「車胤(しゃいん)」は青年の頃貧しかったため、灯火用の油が買えず、蛍を集めてはその光で書を読んだ、ということに由来するそうです。
音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあはれなりけれ―「後拾遺集216」源重之
今年の初夏は「椿山荘」の広大な庭園の漆喰の闇に儚げに光る「蛍」を観て、夕闇の中に華やかに舞うほたるの幻想的な世界をお楽しみください。http://www.chinzanso.com/restaurant/kinsui/