「最後の祈祷」の虚と実(2) | gildongのブログ

gildongのブログ

流れない時の中で・・・

多くの事物がそうであるように、全てが嘘ということはあまりないと思います。
全てが嘘なら、そのようなものは誰も信じないでしょうから、むしろ害は少ないでしょう。
嘘を真実で偽装する、もっと言うなら、真実のなかに少しだけ嘘を混ぜる、だからこそ、多くの人が信じてしまうのであり、有害なのです。

 

天使長は「真実」を語ってエバを誘惑しました。天使長がついた唯一の嘘は「時ならぬ時」、つまり「時」でないことを隠しただけ、単に「言わなかっただけ」であり、しかも天使長は彼自身を信じさせるために神様の名前を用いました。天使長(教育係)としての地位を利用したとも言えます。

 

共産主義や人本主義の罠に多くの人が騙された理由は、本来人間社会は(神様の下の一家族として)平等に創造され、神様の(無限の個別相と一対一で対応する)個性真理体として唯一無二の価値をもっているという真理が部分的に盛り込まれているからでしょう。それらの部分的真理で人々の目をくらませ、地上の楽園といいながら「この世の地獄」を作り出しました。

 

前置きが長くなりましたが、要するに、いわゆる「最後の祈祷」も全てが嘘ではなく、真実の中にほんの少しの嘘が混ぜられているからこそ、教会幹部は恥ずかしげもなく語ることができ、そのあり得ない話を多くの人が信じてしまうのではないかと思います。確かに録音の音声自体は本物であり、TM天聖経で公開されたみ言にしても、大部分は他所においても語られた重要な内容です。

 

しかし、録音に編集があることは疑いようもない事実であり、そこには「隠そうとした何か」が隠れている、換言すれば、「何か」を隠すために「最後の祈祷」なるものが公開されたと言わざるを得ません。もし教会幹部が正常な心理の持ち主であれば、録音を公開するにしても、加工などせずそのまま公開したでしょうし、誤解を招くような聞き苦しいものであれば敢えて公開しないという判断もできたはずです。

 

したがって、いわゆる「最後の祈祷」の虚偽の部分と事実の部分を見極めることで、教会本部が「何を隠そうとしたのか、何を信じさせようとしたのか」を推定することができると言えます。


先ずは翻訳を確認します。
-----------------------------------------------

 

(A)動画配信された「最後の祈祷」の日本語訳(※1)

 

今日、最終的な完成の完結をお父様の前にお返し致しましたので、今までの一生をお父様の前にお捧げしたと思っておりますので、そのみ意のままに全ての生を終了する時間を備えて
▼▼宗族的メシアが国家を代表できる名を成し
▼▼そのことを▼全て成した▼全て成した▼▼アジュー


 

(B)TM天聖経1646頁に収録された「最後の祈祷」の日本語訳(※2)

 

今日、最終的な完成完結をなしてお父様の前にお返しして、今までの一生をお父様の前にお捧げしたと思っておりますので、そのみ意のままに、今は全ての生を精誠を込めて終了する時間を迎えて、堕落がなかった本然のエデンの園に帰り、エバが過って、アダムが責任分担に引っ掛かったことを全て超越できるように、全てのものに対する解放・釈放の権限をもって誰でも父母様の後にだけついてくれば、4次元でも、14次元でも、地獄に行くべきものを天国に入養できる4次元の入籍と14名の息子娘たちを中心として宗族的メシアが国家を代表できる名を成して387個の国々さえ復帰すれば全て終わることを宣布します。
そのことのための全てのことを全て成しました。全て成しました。
(2012年8月13日)

 

----------------------------------------------

 

※1:音声データ不連続部分に記号「▼」を挿入

※2:音声に無い部分を着色

 


一々上げればきりがないので、3点に絞って問題を指摘すると、

 

(1)音声は各部に連続性がなく、何を「全て成した」のか不明であり、「全て成した」のあとに言葉が続く可能性(例:「全て成した」と・・)を否定できない。

 

(2)TM天聖経では「そのことのための全てのことを全て成し」となっており、単に「全て成した」というのとは、意味合いが全く異なっている。

 

(3)そもそも「全て成した」であって「全て為した」ではない。

 


以下、上記3点についてもう少し考察します。

 

 

先ず、上記(1)について
音声では確かに「全て成した」と語られていますが、百歩譲って公開された通りに解釈しても、「宗族的メシアが国家を代表できる名を成し」「そのことを」「全て成した」、つまり「名を成すことを全て成した」という意味にしかならず、教会本部が吹聴するような、使命を果たした的な内容は全く表現されていません。


それもそのはず、文先生がまだ聖母病院で集中治療を受けられていた2012年8月22日に早々に「遺言」である天聖経の改竄が企図され、改竄事業に着手したものの、文先生が聖和された後の10月以降になって、編纂委員の李載錫(イ・ジェソク)氏の夢に文先生が現れ

 

「おい、こいつ!」
「なぜ祈祷文に手を加えるのか?」
「そのまま全文を載せなさい!」

 

と大目玉を食らったので、編纂委員会で祈祷文全体を入れることに決めたとか。
この経緯は公務者のブログに詳細に記載されているので下記リンク先を参照下さい。

http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/401587860.html

ウエブ魚拓(こちらからも同内容を参照できます)
http://megalodon.jp/2014-1026-1212-11/uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/401587860.html

 

この内容は、PeacwTVが出している「TP Magazine」日本語版の天暦6月(陽7月)号に報告文として収録されているそうですから、教会本部の公式発表ということになります。

 

ここで留意すべきは、祈祷文は、当然のことながら、文先生の存命中に出版されたオリジナル天聖経には収録されていませんので、天聖経の改竄事業が始まった2014年8月22日以降ということになり、動画公開されたものと考えることになります。著作権は公開をもって発生するという原則から見てもそう言えるでしょう。

 

しかし、そのようにしてTM天聖経に収録された「祈祷文」は単に削除部分を復元するに留まらず、もともと音声に存在していた内容を数カ所改竄しています。しかも、一番最後の「全て成した」の部分を、小学生でも犯さないような稚拙な文体に改竄しています。これを実行した人間は精神異常者ではないかというくらい異常です。こういう馬鹿げたことをする心理が理解できません。

 

元の音声では「ターイルオッタ、ターイルオッタ」と反復しています。このような短い文を反復する場合、同じ言葉を繰り返します。ワンワン、ニャンニャンといった同音反復や母音調和が日本語や韓国語が属するウラルアルタイ語族の特徴であることは言語学を少しかじったことがある方なら直ぐ分かると思いますが、韻を踏む発想が殆どの言語に存在するように、短い文が反復される場合、最低語尾の音は揃います。ワンワンは英語では「Bow-wow」、語頭は変化しますが、語尾は一致します。

 

ところが、TM天聖経に収録された「祈祷文」では、最後の反復部分の最初が「縮約形(다 이뤘사옵니다)」、二回目が「基本形(다 이루었사옵니다)」、日本語では表現できませんが、多少無理を承知でカタカナ表記するなら「ターイロッサオムニダ、ターイルオッサオムニダ」といった具合で、ほんの少し変えてあるのです。普通、人間は、このような面倒くさい発音はしないし、故意にそうしない限りできません。

 

もし仮に、二回目を発音するとき何かアクシデントがあって多少発音が間延びしたとしても、ディクテーションする人が精神異常でない限り、表記を変えることはありません。そういう書き方をする小学生がいたら、担任の先生は何らかの障害(発達障害など)を疑うでしょう。さらに、もしTM天聖経に校正が入れば、校正担当が過度の職務怠慢でもない限り、このような文体に疑問を挟むはずだし、分厚いTM天聖経の最終ページ最後尾の一文の信じられないような瑕疵が見逃されることは考えられません。

 

全世界に公開された動画音声で「ターイルオッタ、ターイルオッタ」とまるでコピーしたようにきれいに同音反復されており、上述したようにカット編集されている事実が指摘されたことから、無理矢理変化させたのでしょうか。もしそうなら、イソップの「市場にロバを売りに行く親子」の話を想わざるを得ません。

 

何れにしても、普通では絶対にあり得ない異常な内容がTM天聖経の最後尾に記録されてしまっていることは、そのようなものを編纂した人々、教会本部が普通では考えられないような異常な精神状態におかれていることを如実に示しています。要するに説明がつかないのです。

 

次に、上記(2)はもっと深刻です。
TM天聖経では「そのことのための全てのことを全て成し・・」となっており、単に「全て成した」というのとは、全く意味合いが異なっています。「そのことのための全てのこと」という内容を普通に解釈すれば、「そのこと」のために必要な全てのこと(全ての準備、全ての条件など)という意味になりますから、その時点では「そのこと」は成されていないと言うことになります。

 

では「そのこと」とは何でしょうか。TM天聖経に収録された祈祷文の直前部分を参照すると、「・・・387個の国々さえ復帰すれば全て終わることを宣布します」が「そのこと」が指し示す部分であり、「・・・387個の国々さえ復帰すれば全て終わること」が「そのこと」に該当します。宣布することはその場で為されていますから対象外であり、国語的にもそう言うことになるでしょう。

 

結局「・・・387個の国々さえ復帰すれば全て終わること」のための「全てのことを全て成し」という意味になり、「・・・387個の国々さえ復帰すれば」という条件付きで全てが終わるためのこと(準備)を全て成したという意味なります。ところで、「387個の国々」が「復帰」された状態は殆ど復帰が完了した状態と言っても差し支えないでしょうから、結局、「全て復帰すれば全て成される」という意味にしかならず、何も言っていないのと同じになってしまっています。「387個の国々」が復帰されていないのは誰の目にも明かです。

 

さらに、「4次元でも、14次元でも、地獄に行くべきものを天国に入養できる4次元の入籍と14名の息子娘たちを中心として宗族的メシアが国家を代表できる名を成して387個の国々さえ復帰すれば」という条件はともかく、その条件の前に、「・・・誰でも父母様の後にだけついてくれば」というもう一つの条件がついており、当然ながら、「ついてくれば・・全てが終わる」というのでは整合しません。仮に「ついてくれば」が「地獄に行くべきものを天国に入養できる4次元の入籍」にかかると見ても、結局、上述した「何も言っていないのと同じ」問題は解消されません。

 

この「・・・誰でも父母様の後にだけついてくれば」は、文先生の基本的な思想と相容れず、かの「真の父母様宣布文」と同じ臭いがします。この部分は特に偽造の可能性が高いと言えます。最後の時を迎えて「自分の後について来い」と言うことが何を意味するか考えて見るべきでしょう。

 

冒頭部分の「今日、最終的な完成完結をなしてお父様の前にお返しして、今までの一生をお父様の前にお捧げしたと思っておりますので、そのみ意のままに、今は全ての生を精誠を込めて終了する時間を迎えて」にしても、仮にこの部分が真正なものであったとしても、最後の時間というより、生涯の終盤を迎えているという通常の意味に解するより他ないと言わざるを得ません。自ら命を絶たれるわけではないのですから。

 

(つづく)


 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


2013070803