どうして二院制が必要になるのか? | ギッコンガッタン 

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 昨日、選挙関連の記事を書きました。選挙関係の記事は衆議院の選挙が主になってきます。それはそれで大事です。しかし、どうも参議院と言うのは衆議院よりも下に見られている傾向があります。口の悪い人は衆院のカーボンコピーとか参議院不要論まで出される始末です。


 確かに今は衆参でねじれが起きているので意味がある状況ではあります。しかし、もしここで衆院選が行われまた自民党が勝てばねじれがなくなります。となれば前出の口の悪い人が言っていることは当たっているのでは言う気はしてきます。つまり衆院通過すればそのまま参院通過と言うわけですから。


 さてどうして二院制に意味があるのでしょうか。それを考える手掛かりになる言葉があります。良く言う『参院は良識の府』という言葉です。この言葉を更にうがって考えると衆議院は良識が無いのかと思ってしまいますよね。そしてじゃここでいう良識って言うのはどういう意味なのかとも思いますよね。


 では良識のある人と言うのはどういう人でしょうか。それを考えるためには戦前の制度を考える必要があります。参議院は戦前は貴族院でした。この貴族院と言うのは選挙で選ばれない名前の通り高貴な方々がそのまま議員になっているという構造でした。衆議院はもちろん国民の選挙で選ばれます。(戦前は成人男子全員に選挙権あり)


 この選挙で選ばれない高貴な人々と言うのがポイントなのです。選挙で選ばれる議員と言うのは言うなれば民衆の意見を多いに代弁する存在になります。いいことじゃないかとみんな思いますよね。でもこの今の日本史上最悪のミンス政権はこの選挙で選ばれたことを忘れてはいけません。


 つまり、民衆全体の総意が決してあてになるものではないということなのです。言うなればこれぞポピュリズムとか衆愚政治とか言われるものです。つまりこのポピュリズムや衆愚政治を防ぐと言うことが二院制の必要な所以なのです。戦前は教養あふれる高貴な身分の方の視点を貴族院に持たせたということなのです。


 しかし、戦後は参議院も選挙で選ばれるようになりました。だから、貴族院の時よりもポピュリズムや衆愚政治を防ぐと言う機能はかなり少なく実質無いです。ましてや4年前の参院選の時にはポピュリズムが多いに働き今と逆の参院がミンス多数のねじれになったのです。


 だから、私は思うのです。参議院が本来果たすべき『良識の府』の役割を持たせる

方向にして欲しいと思うのです。つまり、選挙をするにせよしないで選ぶにせよポピュリズムに流されることなく政治を考えられる良質な人材を確保できるようにしなければならないと思うのです。


 というわけで自分なりに考えてみました。例えば選挙でやるとすれば制限選挙方式がまず考えられます。まず一つはある程度以上の税金を払った人にのみ選挙権を与えると言うことが考えられます。二つ目は何らかのテストを行って合格した者のみに被選挙権を与えるというやりかたです。


 他に考えられるのは、戦前の貴族院のように愛国心がしっかりとあり教養豊かな人を選挙なしで選考して議員にするというやり方です。例えば以前、地方の自治体首長経験者でいい実績を挙げたことのあるかたや学者や一般の論客で良識がある方です。例えば前仙台市長の梅原氏とか三橋氏とかです。


 ともかく二院制のそもそもの意味をちゃんと考えた論調がちっとも世間にないことは私から見るとかなり不満です。ちゃんと衆議院と参議院の区別がしっかりとつけることが大事なのではないでしょうか。国会議員は国の将来を決める大事な役職です。間違いを無くせるようないい制度を望むものですね。