フクシマの対応には、アカウンタビリティ「自分の立場に付与されている責務を果たす」が欠損-黒川清氏 | Ghost Riponの屋形(やかた)

Ghost Riponの屋形(やかた)

 お気に入り動画の整理&保管庫

1052.フクシマの対応には、アカウンタビリティー「自分の立場に付与されている責務を果たす」が欠損-黒川清氏
2014年04月16日 院長の独り言
http://onodekita.sblo.jp/article/93306634.html
・フクシマ3周年を記念して行われた日本記者クラブの講演会で、国会事故調の座長を務めた黒川清氏が「アカウンタビリティー」の欠如を指摘
・「アカウンタビリティー」とは、"説明責任"ではなく、「自分の立場に付与されている責務を果たす」ことを指す
・この観点が全く抜けている。フクシマの事故は、人ごとではない。自分の立場でできることをやらねばならない。

 国会事故調査委員会 ちらちらとは見ていましたが、なにやらピント外れの討論だったような気がして、あまり注目していませんでした。この本は2012年10月に購入したままで、タンスの肥やしとなってしまっていました。一度だけ、武藤氏(事故当時副社長)の質疑応答を聞いたことがあるのですが、質問があまりにも下手すぎて(自分の専門分野にこだわり、副社長が知っているはずのことに一切言及していなかった)評価していなかったこともあります。
 2014年3月10日に

討論会「福島原発事故から3年経つ今、われわれは何を学んだか」
■北澤宏一 元民間事故調委員長 Koichi Kitazawa, former chairman of the Independent Investigation Committee of the Fukushima Nuclear Accident)
■黒川清 元国会事故調委員長 Kiyoshi Kurokawa, former chairman of the Japanese Diet’s Fukushima Nuclear Accident Independent Investigation Commission (NAIIC)
■畑村洋太郎 元政府事故調委員長 Yotaro Hatamura, former chairman of the Investigation Committee on the Fukushima Nuclear Accident
■グレゴリー・ヤツコ 前米国原子力規制委員会委員長 Gregory B. Jaczko, former chairman of the US Nuclear Regulatory Commission (NRC)


が開かれました。

 この中で、黒川氏の発言のみを取り上げたYoutubeをご紹介します。

事故の教訓は活かされているか ー 国会事故調委員長・黒川氏の部分1-4





芋づる式に4回分を見ることができますので、内容はご覧いただくとして、わたしが特に強く印象を受けたのが、「アカウンタビリティー」についてです。この内容については、氏のブログに的確に説明してありました。
(前略)
形をまねしても、その精神と歴史の経過、国民性を知らないと、モノマネにおわり、Lost in Translationになるのです。この150年、近代の日本では、時代の国際情勢もあり、急造の近代化でしたので、このような事例には事欠きませんね。その「クセ」はちっとも治っていない事例は、今になってもいくつも見えます。

この講演では、その一例として、極めて大事な誤訳 Lost in Translation として「Accountability」についても取り上げました(Topの図、ここではちょっと修正してあります)。日本では「説明する責任」としているよ、、、と。皆さん、「ハハハ、エエッ?」といった反応でした。この言葉の意味は「与えられた責務を実行する責任」です。Responsibility」よりもっと重い意味なのです。どんな肩書きにも責務が伴うのです。その責務を果たすことこそが「役職」である人の責務なのです。「役にある人」で責任がないなどあり得ないことです誰がこんな「不適切な誤訳」を使い始めたのでしょうね、教えてくださいな。まさか、「役の人」ではないでしょうね。

さらに「Groupthink」(Topの図)(Googleで英語、日本語で調べてみてください)についてもコメントしました。この意味をみなさんはどう考えているのでしょうか?何も学ばない「エリート群」といったところですね。私のコメントも、このブログに書いています。

このような思考形態が「Obligation to Dissent」(Topの図)の大事さを認識せず、「異論、異質、異端」を排除する日本社会にはびこる、特に「エリート」の精神的弱さになっているのです。弱さを認識しないと謙虚さを失いがちになる、「傲慢」になるのです。

でもこのようなこと、「思い込み」が今回の福島原発のような大事故の背景にもあるのです。本当にご都合主義のいい加減な「エリート」たちが大勢いるものですね。

参加者には、私が委員長を務めた国会事故調の報告書に目を通している方も多くおられました。後から、「あなたの話を聞いてよく理解できた、日本政府の方たちとお付き合いが多くありますが、いつも理解できないな、何かが違うと思っていたことがよーく理解できました、ありがとう」、という趣旨のことを何人かの方から言われました。

国会事故調報告書は、ご存じのようにあくまでも「事実」の記述であり、委員会の解釈、価値判断をできるだけそぎおとしています。ですから「はじめに」に書いてあること以外には、文化、社会論を述べるわけにはいきませんでしたからね。なかなか本質を理解するのは難しいことなのです、多くの日本の人たちにもね。

それが国会事故調の「はじめに」にある、「マインドセット」であり、「単線路線のエリート」の意味するところなのです。英語版でも「Message from the Chairman」も同じ趣旨でまとめています。

この黒川氏、ただ者ではありませんので、少し調べてみました。
黒川 清(くろかわ きよし、1936年 - )は、日本の医学者(内科学・腎臓学・医療政策・科学政策)。勲等は旭日重光章。学位は医学博士(東京大学・1967年)。内閣官房健康・医療戦略室健康・医療戦略参与、東京大学名誉教授、政策研究大学院大学アカデミックフェロー、特定非営利活動法人日本医療政策機構代表理事。

東海大学医学部学部長(第3代)、東海大学総合医学研究所所長、日本学術会議会長(第22・23代)、内閣特別顧問などを歴任した。

1955年に成蹊高等学校を卒業し、1962年に東京大学医学部を卒業した[1]。東京大学医学部附属病院でのインターンを経て、同大の大学院医学系研究科より博士号を取得し、アメリカ合衆国に渡った[1]。

医学者として
当初はペンシルベニア大学の医学部にて助手を務めたが、その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の医学部に移り、上級研究員や助教授を務めた[1]。南カリフォルニア大学の医学部にて準教授を一時務めたのち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に再び戻り医学部の準教授や教授を歴任した

 なるほど、経歴からして素晴らしく、非の打ちようがありません。このような方が組織のトップになれば、世の中変わるのでしょうが、すくなくとも電力、役所には一人もいないですね。確実に。
(追加)2014.4.18
“responsibility”と“accountability”―「責任」ってどう違うの?
2013年2月02日作者: 代表 高山和子

Responsibility: 何かをする責任
Accountability: 結果に対する責任

例文
The school is responsible for the safety of their students.
学校は生徒の安全に責任がある。

The coach should be held accountable for the student’s suicide.
そのコーチは、生徒の自殺に責任を取るべきだ。

A truly independent person should be responsible for his own actions.
真に自立した人は、自分の行動に責任を持つべきだ。

He should be held accountable for his poor decisions.
彼は、自分が下したまずい意思決定に責任を取らなくてはいけない。


■関連ブログ
福島原発事故当初のドキュメント-現場運転員の取材から書き起こした本(必読)2012年12月06日
東電が公開した事故当時の動画2012年08月06日


黒川さんのズバズバ動画必見です。
このケースでは、エリート=シロート(素人)と言うことですね(笑)
「アカウンタビリティー」つまり↓(国部分を置き換えれば)

Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.
あなたの国が何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国に何が出来るのかを問いかけてください。
J・F・ケネディ


やっぱり、前半部分は当たっているような気がする、本日は雨であった↓



■■■第5章:「東方が巨大な実験の場になる」──「永遠の未成年者集団」の出現
ヒトラーの予言(完全バージョン)
http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha400.html#05
●更にヒトラーの予言は不気味さを増していく。
ここで出てくる「東方」とは、「日本」のことを意味しているのだろうか?
以下、抜粋。
「よろしい、では解説してやろうハンス。私が言った未来に現われる『永遠の未成年者集団』というのは、もちろん、死ぬまで大人になりきれない人間たち、ということだ。

そんなことは、厳しい正常な社会ではありえない。だからそうなる背景には、甘やかされた異常な社会が当然ある。その中で、同じように大人になりきれない親に、愛玩動物のように育てられるため、子どもも成人しても真の大人になれないのだ。


「しかしハンス、じつはそれだけじゃない。私が本当に言いたかったのは、そのことではない。

未来社会には、そういう『永遠の未成年者集団』が現われる一方で、幼いときから大人の思考と感情を持った人間たちも現われるのだ。信じられないだろうが、彼らは胎児のときからさえ、そのように教育される。5つか6つで一人前の理屈と判断力を備え、13、4歳にもなれば、並の大人を指揮するほどの力を持つようになる。

つまり両極端ということだ。肉体が大人で感情が幼児のようなグループと、肉体はまだ青春期にまでいかないのに、思考と感情が大人を超えるグループ……」


「しかもハンス、それは人間の発育状況だけじゃないのだ。人類と社会のあらゆることが、未来には、そのように両極端に分かれてしまうのだ。

たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。貴族とか新しい中産階級とか言ったのはその意味だ。

だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。

それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う『無知の大衆』『新しい奴隷』も増えていくのだ。」


人間だけではない。国もそうだ。恐ろしく豊かな、労せずして肥っていく国が現われる。他方、何百年かかっても絶対に払いきれないほどの借金をかかえ、水一杯すら容易に飲めない国も現われる。

気候もそうだ。とほうもない旱魃や熱波におそわれる国と、寒波や洪水におそわれる国が出る。災害におそわれつづける地域と、楽園のような地域、人っ子一人いなくなる荒地と、無数の人間が鼻をくっつけ合って生きる都会とが分かれる。

愛もそうだ。特定の男女にだけ、愛と肉体の快楽が集中する。一方、一生に一度の真の愛も快楽も得られない男女も増える。要するに、土地や金や支配力を得る者は、ますますそれを得、支配される者はますます支配されるだけになる。そうだハンス、それが未来なのだ。私の見た未来だ。未来はそうなるのだ……」


「それは1989年だ。そのころ実験は完成する。人間は完全に2つに分かれる。そこから引き返せなくなる。そうだハンス、その完成と更に新しいアプライゼ(スタート)の時期が1989年4月に来るのだ。」