ブログネタ:アルバイトの思い出
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「アルバイトの思い出」の文字を見て、昔を思い出した。
筆者の年代で、しかも田舎となると、今のように高校生でバイトなんて、もっての他だった。
だから、初めてバイトをしたのは大学に入ってから。
大学の1年の夏休みに帰省(と言っても同じ県内だが)していた時、小中学時代の同級生が勤めている会社で、アルバイトをしないかと誘われたのが最初のバイトだったと記憶している。
事務用のコピー機のアッセンブリー工程でのライン仕事だった。
コンベアで流れてくるコピー機に、エアドライバーを使って部品を組み付ける作業だった。
単純作業ではあったが、以外と部品同士のネジ穴が合わず、ビスを斜めに押し込んでねじ込みながら真っ直ぐに修正していくような裏技も知った。
たまに斜めのまま、ねじ込まれて手直しに回されて、注意されたなぁ・・・
後、昼食は社員食堂だったが、あまり選択肢がなく、困った時のカレーライスで、よくカレーを食べていたような。笑゛
次にやったのは、1回だけだが交通量調査。
幹線道の脇で通っていく車種、軽車両、歩行者をカウンターで数えるヤツです。
今も時々、道路の傍らに机と椅子を置いてやっているのを見かけるが。
自分たちの頃は、そんなものはなく同級生の車を路肩に止めて、その中で数を数えていた。
一回だけ、雇い主と思われる人が来て、椅子に座らされて交通量調査の看板と一緒に写真を取られた。
まぁ、証拠写真って事でしょうね。
仕事としては、2人1組、2組で24時間を担当。
拘束は24時間だが、実質は12時間で当時としては破格の1万5千円だった。
そのバイト代で買ったのは硬式のテニスラケット。当時、流行っていたからね。
そのラケットはまだ家にある。使えはしないがwww
一番、思い出深いのは地元で有名な寺院の茶屋でのバイト。
正月休み限定の短期バイトだった。
メインは、三河地方のB級グルメの王道である五平餅焼き。
他には味噌おでん、甘酒などを売っていた。
寺院に併設されている国民宿舎が経営をしていたが、早朝からの仕込みから仕事は始まった。
五平餅用のご飯を練るが、米粒を完全に潰しきらない、いわゆる半殺しと言われる程度にまで練りつぶすのは、結構な重労働だった。
それを杉板を置いた型に押し込んで、五平餅の形にする。
こちらの地方では、小判形が主流です。
で、下ごしらえのできた五平餅を茶屋まで運ぶのだが、山寺ゆえに車が使えず、一輪車に乗せて運んだのを覚えている。
石畳の細い道で、一輪車のバランスを取るは大変だったなぁ~。
後は、店で焼いて売りさばく。
最初は、「五平餅、いかがですか~」の声が出せなかったほどの小心者です。
もう一つ、この茶店が管理していたのが、寺院のおみくじ。
ある日、大吉の札がなくなってしまい、くじから大吉の番号を抜いた事があった。
そんな時に限って十数人の団体がまとめて、おみくじを引きやがった。
当然、大吉はない。
客の方もバカではない。その人数が引いて大吉が一本もでないのを不振に思ったらしい。
客の一人がでっかい声で、「ここのおみくじ、本当に大吉入ってるのか?」とのたまわった。
おみくじの店番をしていた友人が、ちょっと焦っていたな。笑゛
もう、かれこれ数十年前の事になる。。。。。。。
バイトか・・・・・・
何もかも、皆なつかしい