俺はこの時の記事に、

 

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そう言えばよく、この世に生を受けたからには、必ず何か意味があるはず・・・なんていう人もいるけど、だったら病気などで、生まれてすぐに亡くなる人には、いったいどんな意味があったというのだろうか?

この世に生を受けた意味なんて、目標があった方が前に進みやすい、そういう人にはあっても良いと思うけど、必ずしも必要なものではない。

俺はそう思っているんです。

 

そんな俺にとっての人生とは、この世に生まれてきて、死ぬまでに生きてる時間のこと。
だから、特別な意味はない。

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上矢印上記点線内のようなことを書きました鉛筆

 

この記事を書く前にも1度、ある場所でこういう話をしたことがあったけど、1度目に話したときは相手に、俺の言ったことが全く伝わっていないような顔をされたんだよね。その時は、なんで伝わんないの?と思ったけど、2度目の、上記の俺の記事に対していただいたコメントで、やっと理解しました。

俺自身、意味がある、意味がない、という言い回しを使っていたけど、俺の言い回しだとこの世に生を受けた意味なんて誰も持ってないそうに伝わってるっぽいね。

 

でも、そうじゃないのよ。

まだうまく言えないかもしれないけど、がんばって話してみます。

 

この世に生を受けた意味

現時点でそれを、すでに見つけた人、あるいは今探している人、どっちにしてもそのほとんどの人が、何か大きな意味のあるものを、見つけたり、探したりしているように感じる。しかも人によっては、大きなことをしないと意味がない、みたいに言う人さえいる。他人に対しても。

一概には言えないよ。中には慎ましく質素な意味を探している人もいるだろうからね。

でも、やっと見つけた意味が小さかったらダメなのかな?意味ってなんなん?大きくても小さくても意味は意味、自分のが特別じゃなくても良いじゃん!

・・・みたいなことと、

意味が見つからない人は生きてる資格はないのか?

そういうことも、昔ちょっと考えたことがあるので、意味ってなんなん?って思ってしまうんですよね。

俺が、大きな意味のあることが出来ない言い訳でもあるけどね。

 

そしてこの

この世に生を受けた・・・

これって、意味を授かるのは、生を受けた後、そういう印象を受ける言葉だから好きじゃない。生き物にとって一番大きな仕事って、命が誕生する瞬間のような気がしています。新しい命が誕生した瞬間、これって、とっても意味のあることなんじゃないの?人生で、これ以上に大きな意味を見つけることなんて、なかなか出来ない気がするよ。まあさ、生まれた本人は覚えてないけどね。

 

この世に生を受けた、後の意味

だから俺は、この世に生を受けた後のことは、意味というよりは仕事とか趣味に近い作業のような感覚があります。

 

でも意味っていうのはさ、自分自身で実感できるものもあれば、自分がそれをすることで、他人に何かを感じさせるものでもあるじゃん?

常日頃のルーティーンの中で、自分が当たり前にやっていることが、自分以外の誰かには、意味があることだったりするかもしれんし、どんな些細なことが、ある誰かにとっての意味になってるかもしれん。

だから俺は、大きな何かをするよりも、小さなことをコツコツやっていく方が向いていそうな気がするので、今はただ、一日一日をがんばったりダラダラしたりと、それなりに生きていく。それが俺の仕事というか趣味。

・・・みたいに感じています。

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もちろんこれは、私の個人的な見解です。

こういうのって、無数に正解があるような気もするし、本当は1つも正解がないような気もする。

それに、必死で探すと、逆に見つからないものだったりもしますからね。

だから俺は、なんだかんだで結局、何かをしているようで、特に何もしていない。こうして長々と書くのは、そんなことへの言い訳だったりもします。