クロスカントリーの大会、見たことある?
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俗にいうクロカンというのは、スキーのマラソンなんだろうな、という程度の知識で、私の今でいうと右膝関節を痛めていることから、ほとんどキックスケートのお世話になっていて、いうなればスケカンをしているようなものです。
スケカンなんていうと思い出されるのは、映画の助監督の俗称で、業界ではどちらかというと蔑称になっています。
ということで無理に映画から、助監督にまつわる話をしたいと思います。
私自身は経験がありませんが、兄は役者から助監督、監督と転身してきましたので、けっこう知っているつもりです。
さて、実は助監督といっても、ファースト、セカンド、というランク付けがあって、同じ助監督でも役割が違ったんですね。
大昔はサードやフォースまであったといいます。
どうしてクロスカントリーから、映画、助監督に引っ張ってきたかといいますと、ストーリー作りにはそれぞれのポジションを持った人の合作作業だということ、その合作作業を小説の場合、一人でやる必要があるということなんです。
たとえば殺人事件が起こる。というストーリーを考えたとしましょう。
強盗殺人という凶悪犯罪です。
としますと、強盗殺人を犯す動機が当然問題となります。
仮に貧乏でやむなくとしましょう。
としますと、どうして貧乏になったのかを、きちんと精査する必要が出てきます。
博打で無一文になったのか、あるいは親が元々貧乏で、あるいは、あるいは、なんですね。
ストーリーを作るというのは、登場する人物の人生を把握していないと書けないということを知ってほしいのです。
クロカンはその意味では雪上の人生走破であり、そこにもストーリーが生まれます。
スポーツの世界では、トラブルがあっても、手をさしのべるのは禁止行為です。
以前、こういうことがありました。
トップを走っていた選手の杖、ストックがたしか折れ、ずるずると順位を下げていったのです。が、敵のチームのコーチが、自分のチームに余っていたストックを提供したのです。
その選手がどうなったのか記憶にありませんが、同情に値することには、人は心を動かします。
ストーリーを作るというのは、心の共感を設定しないと、ダメ、ということです。