仕事と人生を一緒にするな!とあえて、塾生諸君の質問にそう応じておきましょう。 | 作家養成塾『遊房』の公式ブログ 「めざせ!公募小説新人賞」門座右京監修

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塾生諸君から私の存じ上げない方のブログを示し、いろいろ質問をいただきました。
質問内容は差し障りもありますので、それについても、また、質問ネタになった方のブログ批判する気もありませんので、その意図はないと冒頭でいっておきます。
ただフレーズを引用しますと、当然、そのブログにもヒットすると思われますので、誹謗中傷をするのでもないことをお断りしておきます。

さて、当該の質問は以下にあるフレーズの考え方に対する質問です。

仕事と思うな、人生と思え。

ということがあり、それは

それは仕事=人生、という意味ではない。

と示され、

どういう姿勢で仕事に臨むか。それが重要だと言いたいのである。

というのが、簡潔にいうと意図であろうかと思います。

私の考えでその質問に関する回答、あるいは応答としておこうと思います。

私は仕事イコール人生ではない、とあえて否定することもないと思っています。
むしろそのあとに続く、どういう姿勢で仕事に臨むか。それが重要、という部分にこそ、個人的には?をつけたいのです。

ちゃらんぽらんな人生ということばがあります。
あくまでそれは、勤勉を美徳と考えた場合の反対語、あるいは対極にあるのがそうだと思うのですが、ちゃらんぽらんに仕事に望んではダメなのか?ということなんです。

人間万事塞翁が馬。ということわざがあります。
不幸と思っても、それは長い目で見たとき、その不幸がないと今の幸福はないし、その逆もあるという意味で、成り行き任せが人生であるという解釈もできることばです。

飲んだくれの兄と、勤勉倹約の弟。 というと、弟の素晴らしさが見えてくる気がするのですが、実はちゃらんぽらんの兄は、労せずして大富豪になるんですね。実話です。

戦時中、酒飲みの兄の家には一升瓶の空き瓶がゴミの山になっています。
が、終戦後、貯めに貯めた弟の貨幣はゼロとなり、空き瓶が飛ぶように売れた。というもので、私はそれが人生だと思うのです。
つまり仕事は単に生きる、つまり生をまっとうするための手段であり、どういう姿勢で、仕事に取り組もうが、比喩にもならないことが言いたいわけです。

何度もいいますが、そのブログを誹謗する気はさらさらありません。
ここでいいたいのは、受講生のみなさんが、学ぶための小説の勉強と、生きるための金品を得るために仕事として行なう小説の執筆は、明らかに違う部分があるということです。

みなさんにいつもいいますね。
きみたちの生きてきたエピソードを書いてごらん、と。

するとみなさんは「先生のように波瀾万丈の人生経験がありません」と返してきます。
たとえば「私、バツイチなんだ」というと、「そうなんですか」しか返らないですね。
でも、結婚するために、反対する親を逆に縁切りして一緒になったんだよね。というと、ほとんどの人は「ええっ!」って関心を示してくれます。

そうまでしてどうして離婚ということになったんですか?

これは読者を引き付けるつかみを知っているからで、みなさんが学ぶのはそこです。
が、そのつかみは必ずしも人生ではありません。ないと否定もしませんが。

仕事にせよ恋愛、婚姻生活も、私が基準で考えると、相手が悪いとなります。
仕事でいえば、売り上げに直結しないものは仕事ではない。とする人にとっては、酒を飲んで空き瓶を転がしている人は仕事をしていないわけです。貨幣が一番と思っている人であり、貨幣主義者の考える仕事は勤勉なんですね。

でも、生をまっとうするための手段と考えれば、貨幣以外のものを売り上げにしてもいいはずです。

つまり物々交換の時代であれば、お金をもらっても、腹は満腹にならないのです。

どういう姿勢で仕事に臨むか。それが重要、ではなく、どう生きたいかの、たったひとつの手段であって、仕事をカネと考える人なのか、仕事を生きるための娯楽と考えるか、によって感じ方は違うということです。

質問の回答の一助になっていればいいのですが。