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熊野古道ウォーク

3月20日春分の日、和歌山県田辺市中辺路町で開催された

熊野古道近野山間マラソン大会に参加してきました。


先月に出場したマラソン大会以来2回目の大会エントリー。

今回もショートの5kmコースですけどね(;^ω^A


日日是幸日

ウチから車で3時間半かけてマラソン大会会場に到着。


photo:01

前半飛ばし過ぎたのと、アップダウンが多かったのでバテバテあせる


結果は散々だったので内容は割愛させていただきますσ(^_^;)



今回この大会にエントリーしたのは、マラソン以外にも

実はもう一つの理由があります。




その理由とは・・・テケテケテケテ♪





じゃ~ん!


熊野古道ウォーク!



熊野古道とはご存じの通り2004年に

紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産に

登録された聖地・熊野へ至る信仰の道です。


鬱蒼と茂る原生林や滝、川、巨岩など熊野は人間が

簡単に立ち入ることが出来ない自然の神秘的な

雰囲気から神々が住み、死者の霊魂が集まる

神聖な地として信じられてきました。


「そこ~にゆ~けば~♪」ゴダイゴのガンダーラじゃ

ないですけど、神々が住むという熊野へ行けば、

生きながらにして浄土に生まれ変われる

蘇りの地として信仰が生まれ人は魂の

再生のために長く厳しい道のりを旅して聖地・熊野を

目指しました。


熊野へ至る熊野古道には、「紀伊路

小辺路(こへち)」「中辺路(なかへち)」

大辺路(おおへち)」「伊勢路」「大峰奥駈道」の

6つのコースがあります。



その中でも、今回マラソン大会が行われた中辺路は

平安時代中期から京都から大阪を経て、紀伊田辺から

紀伊山地に入って行く道で熊野詣の公式参詣道として

使われたそうです。



日日是幸日


古道歩きの里ちかつゆという道の駅で

古道歩き体験というのがあったので申込みました。


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500円を払うと、20分間の熊野古道見どころをビデオ観賞した後、

バスで牛馬童子バス停まで連れていってもらいます。


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バスに乗っているのはぼくだけ・・・

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ここから近露王子を経て、車を置いてる「ちかつゆ」まで約1時間のコース。
午前中のマラソンのダメージが残っているけどがんばって歩こ!歩く


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約20分ほどで箸折峠の牛馬童子像に到着

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近露の宝塔

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お不動さんとお地蔵さんがならんだ石像。
側面に「八大龍王」の文字。

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左が牛馬童子像。右が役の行者像
牛と馬にまたがるのは花山法皇の熊野詣の旅姿と
いわれ、高さ50cmほどのかわいらしい石像です。

よく見ると首から上の色が少し違うんですけど、
2008年6月に頭部が切断され持ち去られたそうです。悪いやっちゃ!むかっ

しかし奇跡的に2年後、近くのバス停で発見され元の鞘に収まりました。


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牛馬童子から近露王子まで15分ほど歩きます。
この石畳が熊野古道って感じがしますね。


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近露王子跡。
もとは社殿もあったのですが、明治時代末に神社合祀で廃社になり
跡地を伝える石碑だけがあります。


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近露王子之跡」と刻まれた石碑。

この文字、驚くことに出口王仁三郎の筆跡だそうです。

案内板によると

王子碑の文字について
「近露王子之跡」と書かれた碑の文字は、記名が
ないけれども大本教主出口王仁三郎の筆跡である。
昭和八年(1933)三月二十一日この地に来て休息
した際、当時の近野村長横矢球男の依頼で用紙に
筆をふるったのである。翌年一月それを彫りつけ
王子碑が建立されたが、二年後の昭和十年十二月
大本教は二回目のはげしい宗教弾圧をうけ、この碑
も取り壊さねばならぬことになった。その時横矢は、
この文字は筆跡を自分が模写したものであると主張
し、保存していた王仁三郎の書を警察に提出した上
で、碑面に見られた「王仁」の署名を削り、そこに「横
矢球男謹書」と彫り改めて、王子碑の撤去をまぬが
れたという。出口王仁三郎の筆跡の碑は全国に
数多く建てられていたが、他はことごとく破壊され、
辛うじて残ったのはここだけとされている。


近露王子を出て車を駐車している所まで戻るころ
には、すっかり陽も暮れかけ肌寒くなっていました。

約1時間の熊野古道体験ウォーク。
とてもいい経験になりました。

一千年以上も昔から多くの人々の思いが込められ
た巡礼の道を同じように歩くことによって、悠久の
歴史を感じることができました。

いつかまた来た時には、熊野の霊域の入り口と
される滝尻王子から熊野本宮大社までの約40kmの
道程を歩いてみよう!・・・かな!?



日日是幸日

ありがとうございました合掌
















船山神社

ここ何週間は数字とにらめっこする日々が続いていたのですが、

やっと確定申告も終わり数字の呪縛から解放されました( ̄▽ ̄)=3


「久しぶりに山に登ろう!」

と昨日から思っていたのですが、今日は朝からあいにくの雨雨


しかたなく家でゆっくりしていたんですけど、

お昼ぐらいから雨がやんできたので慌てて家を出て、

以前から行ってみたかった磐座のある平群町に向かい車を走らせましたくるま。煙


平群町にある長屋王墓から東南に位置する三里に

船山神社という式内社の神社があり、その背後の矢田丘陵

八合目付近に丸木船状の三つの巨石があるという。


しかも神が乗って地上に下ってきた船石として信仰されてきたそうだ。


「船石に乗って天から降りてきた!?」


これって天の磐船に乗って降臨したニギハヤヒのニオイがプンプン

するんですけど!?


少しワクワクしながら船山神社に向かいましたウキウキ


photo:01

船山神社へは畑の間を通り、ゆるやかな坂を登って行きます。
振り返ると見晴らしが良く平群の町が一望できます目

(デジカメのバッテリーが切れてiPhoneで撮影あせる



photo:03

しばらくすると鳥居が見えてきました。


photo:06

ここまで結構上り道だったので、じんわり汗をかきました汗

一枚上着を脱ぎさらに階段を上ります走る


photo:12

階段途中の石燈籠に「住吉大明神」の文字。

photo:07

拝殿

まわりはまったくひとけがなく、ひっそりと静まりかえっている。

拝後の矢田丘陵八合目に三つの巨石と旧船上神社跡地がある。


【ご祭神】

船山神、天児屋根命、住吉大明神


photo:11


photo:09

拝殿右側にびっくりするほど立派な陽石があります叫び

旧社地から移されてきたそうです。

この後、八合目の三つの船石目指して山を登って行くんですが、

途中から道なき道を歩いて行くうち完全に迷ってしまったので、

あきらめて下山することにしました。


残念ショック!


また天気のいい日にチャレンジしようひらめき電球




photo:14
帰りのあぜ道にまだ小さなクローバーが咲きだしてました四つ葉

今年初の四つ葉のクローバー発見ビックリマーク
写真の中に4つ、四つ葉があります。

わかるかな~(^~^)

photo:15


なんと!五つ葉まで発見ビックリマーク
ええことありそう~( ´艸`)



photo:17


つくしも顔を出してきました。

春はもうそこまで来てんねんなぁ~


ありがとうございます合掌
















等彌(とみ)神社 【前編】

これ何かわかりますか?


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答えは奈良県桜井市桜井字能登に鎮座する等彌神社(とみじんじゃ)の

敷地内から出土した土偶です。

写真のものはレプリカなんですが、本物はご神体として本殿に祀られているそうです。


この土偶のいでたち、人の形をしていますが顔は鳥のようなカラス天狗のような…

腰にはベルトみたいなのを巻いて近未来風の格好をしています。


これってもしかして・・・・宇宙人!?宇宙人? な~んてね


神社ではこの土偶をヤタガラスと伝えられているようです。

さて、本当の所はどうなんでしょう(°∀°)b




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等彌神社は鳥見山の北西麓にある式内社。

古くは「能登社」と称される。 

境内一帯は古代の遺跡地で、能登谷の細い川から末期の弥生式土器や

フリント製石鏃(せきぞく)、土錘(どすい)などが出土しています。

もとは鳥見山山中に社殿があったのですが、天永3年(1112年)の山崩れに

より、現在地に遷ったそうです。


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苔に覆われた狛犬

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境内は予想以上に広く、苔むした落ち着いた雰囲気の神社です。

雨上がりだったので木々や苔が濡れていて色鮮やかな緑が印象的霧

空気の湿った感じと静寂さがとても心地良く心落ち着きます。



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お祓所


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夫婦杉


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猿田彦大神社


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金比羅社

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愛宕社


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下津尾社

上下二社に分かれていて、上津尾社・下津尾社とあります。



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下津尾社ご祭神

右 八幡社(品陀和気命)

左 春日社(天児屋根命)


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下津尾社の左側 蛭子社


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上津尾社へと続く参道

写真でもわかると思いますが、道の脇の苔がええ感じ(°∀°)b

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ふっさふさのコケ、思わず接写カメラ



この後上津尾社に向かい、鳥見山を登りました歩く


鳥見山(244m)は神武神話の伝承地で、

神武天皇が即位後4年、天つ神を祀ったと云われる

霊畤(まつりのにわ)」が山頂にあります。



鳥見山の様子は次回【後編】へつづく