「高梨沙羅つぶし」ではまったくない、スキージャンプのルール改正 | 霞が関公務員の日常

「高梨沙羅つぶし」ではまったくない、スキージャンプのルール改正

 昨日、スキージャンプのルール改正がされるという報道がありました。


沙羅 ソチ金メダルに“逆風”…ジャンプ新ルールまとまる(4月15日スポニチ)

 ソチで金メダルを狙う高梨沙羅に逆風!?国際スキー連盟のジャンプ小委員会は13日、スイスのチューリヒで会合を開き、加点目的のゲート変更を認めない
などの規則改定案をまとめた。

 加点を得るためにコーチの判断でゲートを下げることができたが、今後は安全確保のために限られる。ゲートを下げると助走速度が落ちて飛距離は抑えられるが、飛型が安定するメリットがあった。

 飛型に課題がある高梨は、ゲートを下げて飛距離を抑えることでテレマークを入れやすくする作戦を採ったこともあった。高梨にとっては必ずしも朗報とはいえないルール変更と言えそうだ。ただし、日本女子の小川孝博コーチは「高梨も課題を克服すれば問題はない」と飛型改善に努める姿勢を示した。このほか、変更案では今年の夏のグランプリで、これまで5人の飛型審判員を3人とすることも試す。


 書いてある事実関係に間違いはないのですが、これだけ読むと、またいつもの「日本人に不利なルール改正をする欧米の陰謀」という説も出てきそう。
 それは今回に限っては完全な被害妄想なので、ここで指摘しておきます。



1.ジャンプ競技の本質を損なう「コーチ判断によるゲート下げ加点」ルール
 まず、今回のルール改正で認められなくなるという「加点を得るためにコーチの判断でゲートを下げる」というルールができた経緯から説明します。


 スキージャンプは飛びすぎると危険なので、気象条件と選手の実力に合わせ「最も実力上位の選手がヒルサイズの距離を飛ぶように」ゲートの高さを設定します。
(ヒルサイズ=それ以上飛ぶと危険な距離。札幌大倉山は134m、白馬は131m)


 しかし、たまに読みを誤ったり風向きが変わったりして、競技途中に、飛距離が出すぎたり出なさすぎたりするゲート設定であることがわかる場合があります。
 その際、従来はどうしていたかというと、そこまでの競技結果をすべてキャンセルし、ゲート設定を変えて最初の選手から飛び直させていました。


 しかしそれでは、せっかくうまく飛んだ選手が不利になり、失敗した選手が有利になります。また、競技進行が滞ることも問題です。


 そこで導入されたのが「審判の判断で競技途中にゲートを上げ下げし、それまでの競技結果はキャンセルせず、加減点で調節する」というルール
 2010/2011シーズンのことです。


 これはなかなか理にかなったルール改正で、ゲート設定の間違いを、競技進行を妨げることなく容易に修正できることになりました。
 厳密に言えば「ゲート変更による加減点の量は妥当なのか」という問題がありますが、実質的にはそれほどの問題にはなりません。


 なぜなら、ジャンプは実力下位→上位という順番で飛ぶので、競技途中でゲート変更があっても、最後の方にかたまっている実力上位の選手は同じゲートで飛ぶことになり、「最も遠く飛んだ選手が優勝」という競技の本質に影響がないためです。


 しかし、そのゲート変更による加減点のルールが拡張され、「コーチの判断でゲートを下げ、加点を得ることができる」というルール改正が行われます。
 2012/2013シーズンのことです。


 これは、私は聞いた瞬間、おかしなルールだと思いました。
 優勝争いをする実力上位の選手たちも違う条件で飛ぶことになり、飛距離ではなく人工的に設定された加減点で優勝が決まってしまいます。


 2010/2011シーズンに導入された審判ジャッジのゲート変更は、競技の本質に影響を与えることなく選手の危険を避けるためのもの。
 しかし、2012/2013シーズンのコーチジャッジのゲート変更は、「最も遠く飛んだ選手が優勝」というジャンプ競技の本質を変えてしまうものです。


 私は、このルールは撤廃されるべきで、実際にも遠からず撤廃されるだろうと思っていました(このブログでも2月にそう書きました )。
 長野五輪金メダリストの原田雅彦さんも、このルールには反対だと言っておられたようです。


 ということで、「コーチ判断によるゲート下げ加点」を廃止する今回のルール改正は、私は、ジャンプ競技の本質を取り戻す極めて妥当なものと評価しています。
 報道に携わる方々には、紙幅の限界はあるでしょうが、こういうルール改正の背景をきちんと説明してほしいと思います。



2.既にルール改正を予期して対応していた、高梨と日本チーム
 「コーチ判断によるゲート下げ加点」は、女子の中では、確かに高梨沙羅選手に有利に働くルールです。
 なぜなら、彼女は他のどの選手よりも遠くに飛び、他のどの選手よりも着地が下手だからです。


 高梨がゲートを下げて飛距離を落とせば、テレマーク姿勢を入れた着地ができるようになって飛型点が上がり、ゲートを下げた加点ももらえます。
 一方、彼女のライバル、サラ・ヘンドリクソンは、遠くまで飛んでもテレマークを入れられる着地のうまさが最大の武器です。


 今季、高梨がヘンドリクソンより2mほど遠く飛び(+4点)、飛型点がジャッジ1人2点ほど低く(-6点)、差し引きで負けることが何度も起こりました。
 高梨がゲートを1段下げれば、飛距離はほぼ同じになり(±0点)、飛型点の差がジャッジ1人1点に抑えられ(-3点)、ゲート加点+3点でほぼ追いつけます。


 そういうゲート下げ作戦を採った試合が、今季W杯16戦中6戦ありました。
 この作戦を採る選択肢がなくなることは、記事にあるとおり「高梨にとっては必ずしも朗報とはいえない」のは事実。


 ただ、高梨沙羅選手と日本女子ジャンプ首脳陣は、このルールが廃止された場合の対応を模索していたふしがあります。
 高梨がゲートを下げる作戦を採ったのは今季前半が多く、後半になるとあまりこの作戦は採らなくなりました。


 前半と後半で何が変わったか。ヘッドコーチが変わりました。
 今季前半、ヘッドコーチを務めていたのは渡瀬弥太郎氏。渡瀬氏は、ゲート下げ加点ルールをうまく使いたい旨の発言をよくしていました。


 その渡瀬氏が家庭の事情で海外転戦を続けられなくなり辞任、ヘッドコーチ代行に就いたのが小川孝博氏。
 その後、ゲートを下げたことは1度しかありません。ヘンドリクソンに勝つにはゲートを下げる方がいいと素人目にも分かる局面が何度もあったにもかかわらず。


【高梨沙羅の今季W杯、世界選手権でのゲート下げの有無】
 11/22  第1戦  ゲート下げあり(優勝)
 12/ 8  第2戦  なし(2位)
 12/ 9  第3戦  ゲート下げあり(3位)
 12/14  第4戦  なし(優勝)
  1/ 5  第5戦  ゲート下げあり(優勝)
 1/ 6  第6戦  ゲート下げあり(4位)
 1/12  第7戦  なし(2位)
  1/13  第8戦  ゲート下げあり(優勝)
  2/ 2  第9戦  なし(12位)
 2/ 3  第10戦  なし(5位)
  2/ 9  第11戦  なし(優勝)
  2/ 9  第12戦  なし(優勝)
   (2/13  渡瀬ヘッドコーチ辞任、小川ヘッドコーチ代行就任)
 2/16  第13戦  なし(優勝)
  2/17  第14戦  ゲート下げあり(優勝)
  2/22  世界選手権  なし(2位(飛距離+4.3、飛型-7.0で2.7点差負け))
 3/15  第15戦  なし(2位(飛距離+4.9、飛型-13.0で8.1点差負け))
 3/17  第16戦  なし(2位(飛距離+8.0、飛型-10.0で2.0点差負け))



 特に最後の3戦は、ケガから完全復活したヘンドリクソンに、飛距離で勝ちながら飛型で負ける形で3連敗しています。
 ここはどう考えても、ゲートを下げた方が有利だった。


 上の記事の中で、その小川コーチが「『高梨も課題を克服すれば問題はない』と飛型改善に努める姿勢を示した」とありますね。
 まことにごもっとな発言で、今季後半、有利に戦えるはずのゲート下げ加点ルールを使わなかったのは、ルール改正を予期した小川コーチの慧眼だと思います。


 ということで、わざわざ外野が心配しなくても、高梨と日本チーム首脳陣は既に先回りして対応しています。安心してください。



3.あえて誰つぶしと言うなら、シュリーレンツァウアー(オーストリア)つぶし
 「高梨つぶし」ではないという傍証が2つあります。
 
 1つは、高梨つぶしで有利になるのは、欧州勢ではなくアメリカのヘンドリクソンであるということ。
 ノルディック界はヨーロッパが主導権を握っているはずで、ヨーロッパ人は誰も得してないじゃん。「じゃあ欧米が」って、欧と米を一緒にするのは乱暴すぎる。


 もう1つは2月にも書きましたが 、女子のルール変更をすると男子も直撃してしまうこと。ジャンプは男女同じルールですから。
 競技人口わずか500人という未熟な段階にある女子のトップ選手をつぶすために、1万人近い男子選手に影響するルール変更をするわけがありません


 ということで、女子よりもはるかに影響が大きい男子が、このルール改正でどうなるかを見ていきましょう。



【今季のコーチ判断のゲート下げの人数と、ゲートを下げて勝った優勝者】
  ・独=ドイツ、墺=オーストリア、ノ=ノルウェー、他=前の3国以外
  ・( )内はゲートを下げて勝った優勝者。下げていない選手が勝った場合は空白
  ・審判判断のゲート下げは含まない。ただ、見分けが難しいものもあった
  ・ゲート下げた選手が1人もいなかった試合は除外した


 第4戦  7人【墺3、独2、ノ1、他1】(優勝:シュリーレンツァウアー(墺))
 第5戦  3人【墺2、ノ1】(優勝:コフラー(墺))
 第6戦  1人【墺1】(優勝:コフラー(墺))
 第8戦  5人【ノ2、墺1、独1、他1】(優勝:ヤコブセン(ノ))
 第9戦  5人【ノ3、墺1、他1】(優勝:ヤコブセン(ノ))
 第10戦  2人【墺1、独1】(優勝:シュリーレンツァウアー(墺))
 第15戦  1人【ノ1】
 第18戦  1人【墺1】(優勝:シュリーレンツァウアー(墺))
 第21戦  2人【独1、墺1】(優勝:フライターク(独))
 世界選手権NH  1人【墺1】←唯一下げたのはシュリーレンツァウアー
 世界選手権LH  9人【墺3、他3、独2、ノ1】(優勝:ストック(ノ))
 第23戦  1人【独1】
 第25戦  2人【他2】


 ゲートを下げた選手が勝った延べ9回の中で、最多はオーストリアのシュリーレンツァウアーの3回
 さらに彼は、今季最重要の試合、世界選手権のノーマルヒルで、1・2回目ともに1人だけ2段下げ、計12点を稼ぐ外道の所業をしています(結果は2位)。


 このルール改正をどうしても「誰々つぶし」と言いたいなら、オーストリアつぶし、シュリーレンツァウアーつぶしと言うべきなのです。
(そもそも、上で書いたように誰かを有利・不利にするためのルール改正ではなく、ジャンプ競技の本質を取り戻すための正当なルール改正なのですが)


 ジャンプ界ではオーストリアは要注意国と見られているようで、ダボダボのスーツを着て飛びまくり、スーツ規制のきっかけを作ったのもオーストリアです。

霞が関公務員の日常 ←「飛びまくるオーストリア」のイメージ画像





 ということで、被害妄想的な陰謀説に惑わされることなく、素直な気持ちで高梨沙羅選手を応援しましょう!