皇位継承問題を考える(3.2005年の皇室典範に関する有識者会議) | 霞が関公務員の日常

皇位継承問題を考える(3.2005年の皇室典範に関する有識者会議)

 ここまでの連載を読んで、多くの方が「何年か前にやってた皇室典範改正の議論、どうなったんだっけ?」と思われたことでしょう。


 政府は2005年に「皇室典範に関する有識者会議 」を開き、女性・女系天皇を容認する報告書をまとめ、国会に皇室典範改正案を提出する寸前までいきました。

 当時の首相は小泉純一郎氏です。


 ところが、その直後に秋篠宮妃紀子さまが懐妊したことで先送りとなり、さらに男の子が生まれたことで、改正の機運は遠ざかることになりました。



1.経緯
 時系列を追って、当時何があったのかを見ておきましょう。


2004年11月14日  紀宮さまと黒田慶樹氏との婚約内定が発表される
    12月27日  「皇室典範に関する有識者会議」の設置を正式決定


2005年1月25日  第1回有識者会議を開催
    11月24日  第17回有識者会議で報告書をとりまとめ
            内容は、女性天皇容認、女系天皇容認、長子優先が3本柱
            翌年の通常国会で皇室典範改正案の提出、成立を目指す方針

2006年2月7日  秋篠宮妃紀子さまの懐妊が報道される
       (結局、皇室典範改正案は2006年の通常国会には提出されなかった)
    9月6日  悠仁親王誕生
    9月26日
  小泉総理退任、安倍晋三内閣発足


 まず目に付くのは、紀宮さまの婚約発表を待ち構えていたかのように、皇室典範改正に向けた議論が始まったこと。
 待ち構えていた「かのように」と言うより、まさに待ち構えていたのでしょう。

霞が関公務員の日常 ←「紀宮さま」のイメージ画像(マニアックだ…)


 女性天皇や女系天皇を認めるということは、皇族女性が結婚しても皇室に残ることを意味し、人生が大きく変わることになります。
 婚約内定の時点で紀宮さまは35歳。今さら皇室に残って婿を取れと言うのは忍びないと誰もが考えたことでしょう。


 一方で、その時点で眞子さまは13歳、佳子さまは9歳、愛子さまは3歳。
 皇室に残って婿を取る人生に変えさせても、まだ十分に適応できます(と、大人は考えた。本人たちの気持ちはわからないが)。
 三笠宮彬子さま22歳、三笠宮瑶子さま21歳、高円宮承子さま18歳、高円宮典子さま16歳、高円宮絢子さま14歳(いずれも当時)はどうすんだという説はありますが。


 本当は、本人たちへの教育方針を考えれば、眞子さま13歳は遅いくらい。
 紀宮さまに早く婚約してもらって、すぐに皇室典範改正の議論を始めたいというのは、愛子さまが女の子として生まれて以来の政府の方針であったと思われます。


 次に目に付くのは、やはり秋篠宮妃紀子さま懐妊の絶妙のタイミング。
 皇室典範の改正論議に対する何らかの意図があったと考える方が普通でしょうね。どういう意図かはわかりませんが。


 そして、男の子が生まれた。この意味するところは極めて大きい。
 その時点で紀子さま39歳、皇太子妃雅子さま42歳。もし女の子が生まれていれば、次世代の男の子が生まれないことはさすがにほぼ確定し、どのような形であれ遠からず皇室典範改正が必要なことも確定します。


 一方で、1人でも男の子がいれば、その子を祖に男系男子が多く生まれていき、継承者不在の危機が去る可能性が出てきます。
 1人にすべてを賭けるのは本人と将来の妻となる方にとって残酷だと思いますが、いちおう、改正は悠仁さまのお子様を見極めるまで待つことも可能になりました。


 最後に、小泉首相の後継者が「戦後レジームからの脱却」を主張し、もともと女系天皇の容認に反対であった安倍晋三氏となったことで、有識者会議の報告書は完全にお蔵入りになります。

 いずれ説明しますが、女系天皇の容認は戦後の諸改革をプラスとする見方と親和性があり、逆に「戦後レジームからの脱却」的な主張とは相容れない面があります。



2.有識者会議報告書の内容
 報告書の内容を見てみましょう。
 「ここにあるから読んでね。以上! 」にしようかと思いましたが、さすがにサボり過ぎなので、拙い知識ながら解説を試みてみます。


(1)はじめに(1頁)
 報告書の1ページ(PDFファイルとしては5ページ目ですが、以下、報告書のページの方で統一します)の「はじめに」で、さらりと重要なことが書いてあります。


 具体的には、現行憲法を前提として検討することとし、まず、現行の皇位継承に関する制度の趣旨やその背景となっている歴史上の事実について、十分に認識を深めることに力を注いだ。
                         (報告書1ページより抜粋)


 「現行憲法を前提として検討することとし」とありますね。
 これは憲法尊重義務を負う政府としてはごく自然な発想ですが、「戦後レジーム」の象徴たる現行憲法を前提とすれば、おのずと125代の歴史よりも戦後60年で定着した考え方が前面に出てくるので、これに反対する方もいることでしょう。



(2) 基本的な視点(2~3頁)
 検討を行うに当たっての基本的な視点として、次の3つを挙げています。
  ○ 国民の理解と支持を得られるものであること
  ○ 伝統を踏まえたものであること
  ○ 制度として安定したものであること


 これだけ読むと全くごもっともですが、全文を読むと、「国民の理解と支持」には何の留保もないのに対し、「伝統」には次のような留保を置いているのが特徴的です。


 伝統の内容は様々であり、皇位継承についても古来の様々な伝統が認められるほか、戦後の象徴天皇の制度の中で形成されてきた皇室の伝統もある。さらに、例外の有無、規範性の強弱など、伝統の性格も多様であると考えられる。

 また、伝統とは、必ずしも不変のものではなく、各時代において選択されたものが伝統として残り、またそのような選択の積み重ねにより新たな伝統が生まれるという面がある。

 このため、社会の変化や現在の状況に照らして、皇位継承制度に関する様々な伝統の中で、何をどのような形で次の時代に引き継ぐのか、という視点が重要である。
                        (報告書3ページより抜粋)


 古来の伝統と戦後の伝統を並列しているとか、伝統は不変ではないとか、伝統を社会の変化に照らして選択的に引き継ぐといった点は、125代の男系継承の伝統を絶対のものと考える方からは、けしからんと見えるのかもしれません。



(3)皇位継承資格(4~11頁)
 いよいよ本論。報告書本文20ページ中8ページを費やして、「皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが適当」と結論づけています。



a.皇位継承資格を女性、女系に拡大する理由
 女性天皇、女系天皇を認める理由として、大きく次の3つを挙げています。


○ 安定性の面から
 側室を迎えられない以上、男系男子のみでは十分な人数の後継者が得られない

○ 国民の理解と支持の面から
 国民が天皇に期待するのは皇室の文化や皇族としての心構えであり、男女の別より皇室の中で成長されたことが重要
 国民の価値意識に沿った天皇制度であることも重要。天皇が男性や男系に限られるという観念は、明治民法上の家制度や男性優位の観念と結び付いているが、家の観念は代々継承されるものというより生活を共にする家族の集まりへ変化し、男女の役割分担意識も弱まった。

○ 伝統の面から
 皇位継承の最も基本的な伝統は、世襲であること。それは、憲法で世襲の原則のみが明記されていることにも表れている。
 男系も伝統ではあるが、これを貫くと、社会が変化した今となっては、かえって最も基本的な伝統である世襲そのものが危うくなる。

                (報告書9~11ページの内容を私が要約)


 説得力がある方の理由から順番に書いている感じですね。
 「男系男子はどっちみち先細りで詰んでんだよ。旧皇族復帰させても同じ」→「男系男子継承は戦前のにおいがして、今の国民は支持しない」→「伝統は……ちょっと自信ないけど、男系より世襲の方が重要なんだい!(強引)」



b.旧皇族の皇籍復帰論の否定
 女性天皇・女系天皇容認論のライバル、旧皇族の皇籍復帰論については、次のような理由から「採用することは極めて困難」と評価しています。


○ 国民の理解と支持の面から
 60年近く一般国民として過ごし、血筋も遠い。皇族として親しまれていることが重要な意味を持つ象徴天皇の制度の下では、国民の理解と支持を得ることは難しい。

○ 安定性の面から
 皇籍への復帰は本人の意思を尊重する必要があるため、皇位継承者の確保が当事者の意思に依存し、不安定さを内包する。皇族となることを事実上強制したり、第三者が影響を及ぼしたりすることにもなりかねない

○ 伝統の面から
 皇族を離れた者が再度皇族となったり、もともと皇族でなかった者が皇族になったりするのは極めて異例。これは、皇族と国民の身分を厳格に峻別することにより、皇族の身分をめぐる混乱が生じることを避けるという実質的な意味を持つ伝統。

                 (報告書7~8ページの内容を私が要約)


 皇族を離れた者は再度皇族にならないことが、「実質的な意味を持つ伝統」という表現は1つのポイントです。

 暗に、男系継承は惰性で続けられてきたに過ぎない、「実質的な意味のない伝統」だということをほのめかしています。


 男系維持派の人たちは、そもそも、伝統に実質的な意味を求めてはならない、伝統は続いてきたことだけで価値があると主張するのでしょう。


 旧皇族の皇籍復帰の否定は、「補論」としておまけのように触れていますが、全体として見れば、このライバル論の否定が報告書の最も重要な部分な気がします。
 この唯一のライバルさえ否定すれば、あとは機械的に結論が出ますから。



(4)皇位継承順位(12~14頁)
 女性天皇や女系天皇を認める場合の皇位継承順位について、「長子優先」「兄弟姉妹間男子優先」「男子優先」「男系男子優先」の4つの選択肢を挙げた上で、「長子優先の制度が適当である」と結論づけています。


 「長子優先」とは、男女全く関係なく直系の長子が優先という考え方。
 今の天皇家にあてはめれば、皇太子→愛子さま→秋篠宮→眞子さま→佳子さま→悠仁さまの順になります。


 「兄弟姉妹間男子優先」とは、まず直系子孫を優先した上で、兄弟姉妹間では男子を優先するというもの。
 今の天皇家にあてはめれば、皇太子→愛子さま→秋篠宮→悠仁さま→眞子さま→佳子さまの順になります。


 これは、今のイギリスの王位継承順位と同じです。
 ちょうどタイムリーなことに、イギリスが「兄弟姉妹間男子優先」から「長子優先」にルールを変更するという報道 がありましたね。


 「男子優先」とは、男子を優先してその中で直系から順に順位をつけ、次に女子の順位をつける考え方。
 今の天皇家にあてはめれば、皇太子→秋篠宮→悠仁さま→(愛子さま・眞子さま・佳子さまの息子)→常陸宮正仁親王以下の傍系男子皇族→愛子さま→眞子さま→佳子さまの順になります。


 「男系男子優先」とは、「男子優先」と似ていて、優先されるのが狭まって「男系男子」になる考え方。
 今の天皇家にあてはめれば、皇太子→秋篠宮→悠仁さま→常陸宮正仁親王以下の傍系男子皇族→愛子さま→(愛子さまの子供)→眞子さま→(眞子さまの子供)→佳子さま→(佳子さまの子供)の順になります。


 「男子優先」「男系男子優先」の難しさは、傍系の男子が天皇になると、順位がひっくり返ること。
 例えば、秋篠宮または悠仁さまが天皇になった時点で、眞子さま・佳子さまが愛子さまより上の順位になります。


 それぐらいならマシですが、「ちょっとそれはどうよ」という感じの皇位継承順位の逆転がいろいろ考えられます。
 傍系に男の子が生まれて、その近親の女性の潜在的な順位(その男の子が天皇になった瞬間に現実化する順位)がジャンプアップするのもまだマシ。老齢男性2人のどっちが先に亡くなるかで、違う系統に皇位が受け継がれたりします。不吉だ。


 この皇位継承順位の逆転現象は、深く考察するとけっこうおもしろい。
 皇位継承問題の本質論ではない枝葉の部分ですが、いずれコラム的に悲喜こもごもの皇位継承順位の逆転例について書いてみます。


 さて、報告書では、「男子優先」「男系男子優先」は傍系への皇位の移動が頻繁に起こるので好ましくないとされ、「長子優先」「兄弟姉妹間男子優先」に絞られました。


 次に、弟が生まれて姉の順位が下がるのも、女の子の養育方針を定めたり、国民が将来の天皇候補を見守るに当たり好ましくないとされ、「長子優先」が適当という結論になりました。


 しかし、悠仁さまが生まれたことで「長子優先」「兄弟姉妹間男子優先」は取りにくくなってしまいました(悠仁さまより愛子さまが優先してしまう)。
 悠仁さまを愛子さまより優先するには、「男子優先」「男系男子優先」しかないけど、これには恐怖の逆転現象が待っている。


 さて、どうしたもんでしょうかねぇ。
 悠仁さままでは男系男子優先、以後は長子優先とかすれば解決はするけどねぇ。なぜそこで切るのか、理由のつけようが全くないけど……。



(5)皇族の範囲(15~17頁)
 女性天皇、女系天皇を認めると、女性も全員皇室に残すこととなり、人数が増えすぎるかもしれません。
 皇籍離脱制度をうまく使って、増えすぎず、減りすぎずの形で維持しましょうね、みたいな話が書いてあります。


 当面、三笠宮彬子さま、三笠宮瑶子さま、高円宮承子さま、高円宮典子さま、高円宮絢子さまをどうするかですが、今上天皇の娘である紀宮さま(黒田清子さん)をリリースしておいて、この5人を残すのはいかにも変ですね。



(6)その他関連する制度(18~19頁)
 女性皇族の夫に関する仕組みは今の男性皇族の妻と同じでいいですねとか、摂政の任命や宮家が受け取るお金の額も男女区別なしでいいですね、みたいな話。


 女性皇族の夫については、(3)の皇位継承資格のところで「性別による固有の難しさがあるとは必ずしも考えないが、初めてのことであるがゆえに、配偶者の役割や活動への配慮などを含め、適切な環境が整えられる必要がある」とされています。


 「性別による固有の難しさがあるとは必ずしも考えない」ですか。
 そうかもしれないですが、男性皇族の嫁さがしより、女性皇族の婿さがしの方がはるかに難しいじゃないか、という意見もありそうなところ。


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 以上、2005年11月にまとめられた、皇室典範に関する有識者会議の報告書の内容を解説してみました。


 悠仁さまが生まれたことでそのままは使えない部分もありますが、女性天皇、女系天皇を認めるという根本的な方針は、政府として揺らがず堅持しているものと思われるので、今もなお十分に参考になると思います。


 さて、この報告書は、女系天皇に反対する人たちから強い批判を受けています。
 次回は、どのような批判があるのかを紹介してみましょう。



 前回のエントリー で書いた後桃園天皇→光格天皇の傍系継承について改めて調べたら、後桃園天皇の娘が光格天皇の正妻となっている事実を見つけました。
前回のエントリーに追記してあります。