インド人の賄賂の感覚 | このままでは日本は危ない

インド人の賄賂の感覚

インド人と賄賂の話題を話すのは
まったくタブーになっていない。

誰彼と公然と賄賂の話をする。

このインドに住んでいると
それは避けては通れない。

どんな役所でもだ。

警察も税務署も。

感覚がマヒしているのではと思うほどであり、

日本人で清廉潔癖な人はインドでは暮らせないかも
しれない。

日本ではコンプライアンス、コンプライアンスなど
といって
極端に走っているが、

そのようなコンプライアンス部の人が聞いたら
気絶するような話ばかりだ。

日常の役所の処理では
たかだか、日本円にして500円から1000円くらいの
ものであるが、

なにか、早く仕事をしてほしいときは
渡す必要がある。

なにも悪いことをまげて頼むということではないのだ。


何か書類を通してもらうときに、
彼らはわざとあら捜しをしているように見える。

そこで、小さなあらを見つけたら、
それをまけてやるから
袖の下を要求するのだ。

これはもう、賄賂というより、
心づけのような感覚になっている。

こっちも早くやってもらいたいときは
渡して早く処理してもらいたいと思ってしまう。


もちろん、街中ではこの腐敗が批判されてはいる。

しかし、あまりにも当たり前のように
授受するものだから、

なにか当然のように感覚がマヒするのも確かである。

もちろん、インドにも贈収賄罪はある。

しかし、取り締まる側の警察も賄賂を要求すると
なれば世話がない。

これはインドの恥部であるが、

公共における当たり前のことであるから
はっきりと書く。

良くなってほしいと思うから。

しかし、インド人にしてみるとそれは
見果てぬ夢だという。

絶対に直らないという。

そうかもしれない。


そもそも、役所は権力である。

彼らの意志次第で一般市民の生活を左右することができる。

だから、金品を渡すことによって
法を曲げたり、わざと遅らせるようなことを
コントロールすることが法律で禁じられるのだ。

一般の民間の間では、
心づけとかお礼とかで済むし、

そもそも、その相手と付き合わなくても
いいのだから、

金品の授受は民間の間では賄賂とは言わない。

しかし、役所の場合は、そこしか付き合う相手が
いないし、

正当に処理してもらわなければ
困るのだ。

一般市民に対しては公平に扱われなければ
ならない。

役所の処理で金持ちも貧乏人もない。

万人に対して公平なサービスを提供しなければならない。

だから、わいろ罪を規定する。



では、日本はどうであろうか。

現在の日本は清廉潔癖になりすぎ、

多少の記載ミスや記入漏れなどで、

日本のマスコミは金権腐敗だとか、
金に汚いとか大騒ぎをする。

決していいこととは言えないが

そのように騒ぎ立てる輩は
一回、世界がどのようになっているかは

見ておいたほうがいい。

どんな国でも清廉潔白な人間などいないだろうに、

自分のことを差し置いて
政治家はカネにきたないなどと記事を書きたて

それによって、被る国家の損失、

すなわち、ダイナミックに行動できない、
委縮してしまうなどの悪影響を考えたことが
あるのだろうか。

今の日本は、そのような賄賂かどうか
わからないようなことにまで神経質になりすぎ、
活力を失っている。

まったくの委縮効果である。


もっとも、
インドの賄賂はインドの恥部であるには
違いないが、

しかし、一方では
賄賂の額を交渉して向こうから
500ルピー寄こせと言われても

いろいろ難癖をつけて300ルピーにまけろと
交渉する余地もある。

処理してもらったあとに渡すから
向こうもそれ以上は要求してこない。

賄賂の額を交渉するのも変な話であるが、

そのようなダイナミックさもあるのだ。

少なくとも渡すことによって
処理が流れることだけは間違いない。

賄賂を奨励しているわけではもちろんないが、

そのようなフレキシビリティをもって
世渡りするスキルも必要な場合があるのである。

近頃は、インド、インドという人が多くなった。

しかし、


そんなことも理解せずにインドに来たいと
言っているノー天気な人は、

その事実に耐えられるかどうかを
自分に問いかけてインドに来るがよい。

観光で来る場合と、ここで生活するのでは
全く違うのである。

しかし、それでもなお、
一つ言えることは、


インドはダイナミックで活力のある場所である
ことだけは間違いない。








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