先日、日本の「リベラル」の正体 という記事をアップしました。

今日は、「じゃあ(例えばアメリカの)リベラルってどうなのよ」

ということをちょっと書きます。

 

今月号の雑誌「正論」で、<「リベラル」という病>の著書もある、

山口真由氏が、

 「米国の「リベラル」は人間の理性を絶対的に信頼し、

 「自然」さえコントロール下に置こうと考える人たちです。

 日本のリベラルは「原発反対」が主流ですが、

 彼の国のリベラルは人類に征服された自然の象徴と見なし、

 好意的にとらえる向きもあります。

 

と書き、続けて、、

 

加えて、日本においてリベラルは「平和主義」と同一視されがちですが、

米国のリベラルは、伝統的には、「大義の御旗」を掲げれば、

力による折伏も許されるという「介入主義」です。

背景にあるのは「弱気を助け、強気を挫く」を地で行くヒロイズム。

理性の力で自然や他国を保護・支配できると本気で信じているのでしょう。

 

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これを読んで、特に前半部分を読んで、

東日本大震災の翌年の1月に、思想家の吉本隆明が、

『週刊新潮』1月5・12日号のインタビューで答えていた、

「"原発はもう廃止したほうがいい"という声が高まっているのですが、

それはあまりに乱暴な素人の論理です」といい、

「『反原発』では、人間は猿に戻ってしまう。」とまで言い切ったのです。

 

かつての「左翼運動」に多大な影響を与えた「知の巨人」の、

最後のインタビューがこれだったので、

「反原発サヨク」、特にかつての「リュウメイ信者」が、もう大騒ぎ。

娘の、「出来損ないパヨク小説家」の吉本ばななに、

「父親は呆けたのではないか」、とまで言わせる始末。

 

まったく、誰の七光りで世に出られたと思ってるんでしょうか。

親不孝にもほどがあります。

 

結局、吉本隆明氏はまっとうな「リベラル」だったと。

「戦後サヨク」が裏切られたと思ったのは、

自分達が「リベラル」に値しない脳みその人だったと。

 

当時、拙ブログでも書いております。

「吉本隆明氏」の名誉のために>

 

 

世の中、理性の力で困難は克服できる というのがリベラルで、
いやいや、そう言う時は過去に学ぶんだよ、というのがコンサバ(保守)。

 

、、、 、で、

どうしようもないのしかいない、のが日本の「リベラル」

 

って事ですかね。