相手が「○○」だから、「△△」してもいい。


「ありのままの自分」を受け入れられず、

他人より優れていることを誇示するという安直な手段によってしか

自分の存在を認められない……。


朝日新聞という「権威」の上にふんぞり返った勘違いサヨクの「冨永格」が、

まさにこの「優越コンプレックス」丸出しで、笑えます。





ツイッターで、「ブロックをしない」と宣言していたのに、、、




またぞろ、安倍首相の「保健所」発言の揚げ足取りをつぶやいたところ、

反論した相手を「ブロック」。


そこで、思わず相手を「ハエ」に見立て、ブロックを「ハエ叩き」と表現


人は、間違っていたという証拠を突きつけられたとき、

考え方や行動を改めず、かえって頑固にこれを正当化することがあります。


こういうのを「認知的不協和」といいます。


自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、

またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語です。


「不協和」な状態は解消されなければなりません。

その際は態度や行動を変化させることによって、解消を試みます。

「タバコを吸うと肺がんになりやすい」という不協和は、

「禁煙する」という行動の変化によって解消に向かいます。


しかし、「原因はそれだけではない」と「認識」を変えることによって、

不協和を回避する方法を選択する時もあります。


代表的なのは「酸っぱい葡萄の理論」です。

キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。

食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。

何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、

「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」

と捨て台詞を残して去る。


“天声人語”冨永が、やったのはこれと同じ。


ブロックした自分を「正当化」するために、

「相手が『ハエ』だからいいよね、」と。


これが、「ジャーナリスト宣言」の朝日新聞の元論説委員です。


問題なのは彼が書いた「天声人語」がまさに、

この思考で貫かれていることです。

こんなものが「大学受験に出る」などと言われ、

書き写しされるようなことがあって良い訳がありません。