過食に至る脳のメカニズム部分の引用※長文 | カロリー貯金ダイエット by 東城薫(ホネホネロック・かお2015)

カロリー貯金ダイエット by 東城薫(ホネホネロック・かお2015)

夜中に食べても大丈夫・炭水化物も食べてOK・運動しなくてもいい・体重計の数字に振り回されなくなる

私の場合の過食体験と過食防止策を語るシリーズです。
が、この回ではまず「病的嗜癖関連障害編・こば心療医院」から、過食に至る脳のメカニズムや摂食障害にかかわる部分、そのための導入部を引用して紹介させて頂きます。
 
抜粋の関係で、主語がなかったり、主語が「アルコール」や「薬物」になっている項もありますが、内容は過食や摂食障害にも関係があります。
それとなく主語を「過食」とか「美味しいものを食べる行為」などと補完しながらお読みください。
できれば引用元(上記リンク先)を全て読むことをお勧めします。
用語は専門的ですが、一般人にも分かりやすく書かれてあるので、じっくり読めば分かります。
 
ただ、そうは言っても「まずは概要だけでもサラっと知りたい」という方もいらっしゃるのではないかと思い、この記事にまとめました。
私なりの感想は本日中に更新する次の記事で書きますので、この記事では引用抜粋のみ行います。
次の記事アップまでの間、ぜひ引用部だけでも(できればリンク先で全文を)お読みください。
※改行とフォントの色は私が変えています。
 
↓以下は上記サイトからの引用・抜粋となります↓

「依存症・病的嗜癖」だといわれるのは、
(1)何か嫌な感情から逃避するために耽っている行為であり、短期的・刹那的には嫌な気分から逃れ良い気分になれるものの長期的には自分にとっても周囲にとっても有害になってしまう
(2)頼れば頼るほどどんどん依存的になってしまう
(3)次第にそればかりになってしまい、他の大切なはずのことがあまり大切ではなくなってしまう
(4)長期的には有害だとわかっていても、やめたくてもなかなかやめらない
という共通した理由があるからです。
 
たいてい誰にとっても短期的・刹那的な「いい気持ち」を感じさせるものです。
こうしたことに「気持ちいい」と感じるだけでは「依存症」とは言わないのです。 実際、ほとんどの人がこうした行動を「気持ちいい」と感じていながら、病的嗜癖・依存症になってしまうのは、その中のごく一部です。
 
では、なぜ「病的嗜癖・依存症」の人たちは、そうなってしまうのか?
普通の「健常者」とどこが違うのか?
その時、脳の中では何が起こっているのか?
 
私たちの行動は「不快を避け、快を求める」という原則で方向づけられています。
私たちがより良く生きて繁殖するのに都合がいいことを「気持ちいい」と感じるように私たちはできているのであり、これを脳の中にある「報酬回路」がつかさどっているのです。 
 
しかし、「いい、気持ちいい」を繰り返し得たいがために薬を連用していると、次第に脳の中の「報酬回路」が馴れを生じてきて、「報酬を感じさせない回路」が働くようになります。
つまり、だんだん薬の効果が低下してくるのです。
すると、ますます多い量の薬が欲しくなりますし、ますます依存が深まるのです。
しかも「報酬を感じさせない回路」が働いてしまうために、薬による強烈な「いい、気持ちいい」以外の、普通の生活の中にある普通の幸せを「いい、気持ちいい」と感じなくなるのです。
 
この状態で薬をやめるとどうなるか? たとえ「離脱症状」を生じなくても、薬なしではつまらない、何の価値も感じられない世界が残されるだけなのです。 
そのうえ、物事をしっかりと考え、計画的に要領よく行っていき、「人間性」の中枢のような働きをする前頭前野の機能がどんどん弱ってくることもあって、ますます衝動的・無計画になり、刹那的な欲望に負けやすくなってしまいます。
 
同じようなことは物質(薬物)以外の「病的嗜癖・依存症」においても、「報酬回路」の病的な使い過ぎによって起こってしまいます。
飲酒が「問題」の色彩を帯びてくるのは、それを嫌な気持ちからの逃避として使ってしまうところから始まります。
嫌な気持ちからの逃避として使ってしまう、という私たちの行動は無意識的に動機づけられていることがあり、本人は逃避目的でそうしていると気づかないでいることもよくあります。
むしろ、嫌な気持ちからの逃避目的で習慣的にしてしまっているその嗜癖的行動をいったんはやめてみないと、それが逃避目的であったことも、どんな問題から逃避しようとしてそうなっているかも、はっきりとは見えてこないことがほとんどなのです。
 
アルコール依存症の人にとってお酒をいったんやめてみることは、実はそれほど難しいことではありません。
難しいのは、やめ続けることであり、二度と乱用的・依存症的なお酒に手を出さないことです。
依存症はやめるのが難しいのではなく、再発しないことが難しいのです。
 
さらに、同じような「報酬回路」の過剰使用による問題は、過食症や過食を背景とした病的肥満においても起こっています。
私たちの身体は、もともと「おいしいもの」を食べると「報酬回路」のドーパミン系がどばーっと放出される性質があります。
特に甘いものや味覚刺激の強いもの、ジャンクフードなどではその傾向が強いのです。
食べるという行動を、報酬回路の働きによる「いい、気持ちいい」という感覚を得るためや、それに伴って嫌な気分を忘れるために「乱用」的に使ってしまうと、飲酒や物質乱用の問題と同じようなことが起こるのです。
 
過食症に陥る人は、最初の頃はたいていは何らかのネガティブな感情をまぎらわしたくて過食をしてしまいます
その前に極端なダイエットをしていることも少なくありません
それなのにダイエットの効果が思ったように表れないばかりか、自分の容姿・体型を含めて嫌なことばかりの日常です。
仕事で、人間関係で、家族内葛藤で、恋人との関係で、慢性的に嫌な気持ちや満たされなさが続いていたりします。
そんなある時に甘い物やジャンクフードなど「報酬回路」を過剰に刺激する性質のある食べ物を「無茶食いすると、その一瞬だけ嫌なことを忘れ、幸せな気分になることに気づきます
 
「病的嗜癖・依存症」は、このように、すべて同じような感じです。
麻薬・覚せい剤はその依存性の強烈さから特に注意されていますが、お酒でも、ダイエット・過食(肥満)でも、自傷行為でも、その他の全ての「病的嗜癖・依存症」について、「依存症やめますか?それとも人間やめるつもりですか?」という問いを多かれ少なかれつきつけられることにはなるのです。
 
ところで、アルコールにしろ、違法薬物の使用にしろ、過食にしろ、こうした問題行動をやめたいと思いながらもやめられないのはどういうことなのでしょう?
逆にいうと、「病的嗜癖・依存症」になっていない「健常者」が我慢できるということはどういうことなのでしょう?
 
私たちの内側からわき起こってくる、動物的・衝動的な「欲しい」という気持ちを抑える機能は、通常「自制」と呼ばれます。
実際、前頭前野の働きの健全さを反映するとも考えられる「自制」の力は、私たちの精神的・身体的健康に大きく関わっていると考えられていて、「自制」の良好な人は、仕事・学業面で成績が良く、精神的な問題を生じにくく、対人関係も安定的に良好であり、アルコール関連問題や危険なセックスの問題を生じにくく、食行動も安定しており、さまざまな面で身体管理が良好なために身体的健康度も高い傾向があることが、これまでの研究結果からも示唆されています。
 
しかし、逆に言うと、前頭前野の働きが弱く「自制」が弱い人は、上記の問題を生じやすいですし、アルコール関連問題をはじめ様々な「病的嗜癖・依存症」を生じやすいということになります。
内側からむらむらとわき上がってくる「欲しい」という気持ちにしっかり気づき、それをしっかり抑えることができないと、「病的嗜癖・依存症」になりやすい、というのは考えてみれば当たり前です。
 
問題は何が「自制」の強さ/弱さを決定づけているか?です。
まず確実にあるのは遺伝子的・体質的に生まれ持った能力として前頭前野機能が良い人と悪い人がいるでしょう。
そして人間の身体のほとんどの機能がそうであるように、脳の機能も使えば使うほど改善されてくるところがありますし、サボればサボるほどダメになってくるところがありますので、前頭前野の機能をちゃんと使い込み、訓練してきた人は、そうでない人よりも前頭前野機能が良好になることは充分に考えられることです。
 
そして、いくつかの状況的要因が、私たちの「自制」を低下させてしまう傾向があることもわかっています。
(1)気持ちがネガティブな感情状態の時
(2)ずっと我慢してきたものをちょっとだけやってしまって堰を切った状態になってしまう時
(3)直接的な誘惑的刺激を受けた時
(4)自制力が疲労している時
(5)大脳皮質の前頭前野が直接的にダメージを受けて自制力がなくなってしまう時
 
まず、気持ちがネガティブな時は自制力が弱くなる、という問題です。
気持ちが落ち込んでいるとき、不安な時、すさんでいる時というのは、自制力が弱くなり、ついつい攻撃的な言動をしてしまったり、お酒を飲んだり、ギャンブルに行ったり、いらないものを買いすぎたり、食べ過ぎたりする人が多いことがわかっています。
嫌な感情から気をそらすために、こうした病的嗜癖・依存症的な行動に走ってしまうという側面も当然あるでしょう。
 
つぎに、ずっと我慢してきたものをちょっとだけやってしまって堰を切った状態になってしまう時です。
有名なところでは、アルコール依存症でずっと断酒していたのに、何かの会合で「最初の1杯だけ、乾杯だけ」と思って飲んでしまうと、ずっと我慢してきたものが堰を切ったように我慢できなくなり、ついつい2杯、3杯、4杯・・・・ときりがなくなってしまうというものです。
あるいは、ずっと厳格なダイエットをしてきた人が、何かの拍子にちょっとだけおいしいものを口にしてしまうと、これまた急に堰を切ったように我慢ができなくなり、「欲しい」という衝動が高まってしまい、せっかく積み上げてきたダイエットが台無しになってしまうということもあるでしょう。
脳機能画像研究で示唆されるのは、こうした「堰を切ったように」なってしまうのは、前頭前野機能が低下してしまうからではなく、「欲しい」衝動が高まってしまい、前頭前野機能(自制力)を圧倒してしまうから、ということのようです。
 
3つめの、直接的な誘惑的刺激を受けてしまう時、というのはわかりやすいでしょう。
ずっと我慢して断酒している人が酒宴会場にいくのは「直接的な誘惑的刺激」が強すぎます。
ずっとダイエットをしている人がスイーツ食べ放題のお店に行くのは危険すぎます。
薬物依存の人は、吸入器具や注射器を見るだけで「欲しい」気持ちに火がついてしまいます。
「据え膳食わぬは男の恥」とは言い訳であって、実際には「欲しい」衝動が強まりすぎて我慢できなくなってしまうわけです。
 
自制力は、他の「力」と同様に、長時間の連続的な使いすぎによって疲労してきます。
例えば、対人関係での感情的なことを我慢し続けた一日がやっと終わると、「自制力」がすっかり消耗して弱ってしまい、いつもよりもアルコールや過食を我慢することが難しくなるかもしれません。
さらに、自制力は大脳皮質の前頭前野の活動ですから、基本的にそのエネルギー源は「糖分(グルコース)」であり、無理なダイエットをして飢餓状態になり血糖値が下がりすぎているときには、当然、自制力も弱ってしまいます
無理なダイエットが続かないのは、当然ではあるのです。
 
そして、怪我による損傷やアルコールなどの薬物は前頭前野機能を直接的に障害します。
このため、普段はいろいろなことを我慢できている人でも、アルコールを飲むと自制力が弱まってしまい、我慢が効かなくなることは珍しくありません。
アルコールの他に、別名「マイナートランキライザー」と呼ばれるベンゾジアゼピン系抗不安薬も似たような働きがあり、自制力を弱くします。
アルコールや抗不安薬による「ほろ酔い状態」や「酩酊状態」で、普段だったら我慢している過食、自傷行為、危険なセックス、無謀運転などの衝動行為におよんでしまう人もいます。
 
もともと、「自制」の力が弱く、病的嗜癖・依存症の傾向がある人は、上記の5つの状況は特に要注意だと言えるのでしょう。
逆に、上記の5つの危険状況をうまく工夫して避けていくことで、「自制」が効きやすくなるとも言えるでしょう。
 
子どもの頃に父親がアルコール依存症で飲んだくれて暴れていて、あれだけ嫌な思いをしてきて、自分は絶対にお酒なんか飲まない、そんなダメな大人にならない、と心に決めていたはずなのに、なぜだか大人になると自分もアルコール依存症になってしまう(あるいは薬物依存や摂食障害、ギャンブル依存など、別の病的嗜癖・依存症になってしまう)・・・という人は少なくありません。
これは一体なぜなのか?
 
そういう親を見て育ってきてしまったから、そうなってしまうのか?(生育環境要因)
あるいは、そういう親の遺伝子を引き継いでいるから、そうなってしまうのか?(遺伝子的要因)
この問題は双子研究や養子研究などの方法を使って1990年代にたくさん調べられました。
その結果から、薬物依存やアルコール依存には、相当の遺伝子的要因があり、遺伝子的要因の寄与率は40~60%くらいあるだろうと計算されたのです。
事実、生物学的な親(遺伝子的な親)がアルコール依存症だった場合、まだ物心つく前に養子に出されてアルコール依存症のない健全な家庭に育てられても、遺伝的リスクのない子に比較して、やはり4倍近い確率でアルコール依存症になってしまうことが示されてもいるのです。
 
いったい、どんなわけでアルコール依存症などという病気が「遺伝」していくのか?
アルコール依存症という「病気」の成因には、いくつもの遺伝子が複雑に絡んでいると見られているのですが、そのうち主なものは
(1)体質的に大酒を飲めること
(2)性格的にアルコールに限らず依存症性格になりやすい気質であること
がありそうです。
そして、性格的に依存症になりやすい性格・気質というのが、どうやらあります。
この依存症になりやすい性格というのは、あまり依存症の種類を問わないようです。
つまり、薬物依存もアルコール依存も摂食障害もギャンブル依存も、ほとんどすべての病的嗜癖・依存症に共通して、それに陥りやすい性格的傾向というのがありそうなのです。
 
よく知られているところでは、計画性に乏しく衝動的に行動する傾向、待つことのできなさ/我慢のできなさ、地道さや退屈を嫌い過剰に刺激を追求する傾向、失敗体験から学ぶ能力の低さ・・・などの性格傾向です。
こうした性格傾向は、環境要因よりもむしろ、かなりの遺伝的要因によって、子どもに引き継がれていくこともわかっています。
このため、父親がアルコール依存症だった人が、あんなダメ人間の親のようにはなるまいと思いつつ、自分もアルコール依存症になったり、摂食障害になったり、ギャンブルにはまってしまっていたり、薬物に手を出してしまったりすることは、決して珍しいことではなく、しかもその問題のかなりの部分を遺伝子的要因が寄与しているということになるのです。
 
つまり、アルコール依存症や薬物依存症に非常にしばしば見られる「家族性」というのは、その寄与因子の大部分が「育ち(生育環境要因)」にあるのではなく、むしろ「生まれ(遺伝子的要因)」にあるのだ、ということが、動物実験や人間の双子研究・養子研究などの結果から繰り返し示されてきていたのです。
 
しかし、その一方で「育ち」の重要性がまったくないというわけでもありませんでした。
たとえば、動物実験で人工的に母親から引き離すとか、かわいがられなくさせるなどの操作をして、「不幸な育ち」をするネズミやサルをつくってみると、こうした不幸な子どもたちは、そのまま育って大人になると不安耐性・ストレス耐性が低く、社会性が悪く、いろいろな意味で「心の弱さ」を身につけてしまう傾向があることも示されていたのです。
 
サルの実験をさらにおしすすめていくと、子どもの頃に母親サルから無理矢理引き離されて不幸な育ち方をした子ザルたちみんなが「心の弱い」、大酒飲みのサルになっていってしまうのではないことがわかってきました。
つまり、生まれ持っている遺伝子的傾向があるものは不幸な生育環境を経験すると「心の弱い」、大酒飲みのサルになってしまうのですが、また別の遺伝子的傾向のものは不幸な生育環境のもとに育ってもそうならないのでした。
 
生まれてまもなく物心つくまえに養子にだされた約1万8千人もの子どもたちを追跡調査し、その子が大きくなって薬物乱用をするかどうかと、その「生みの親」と「育ての親」とによる影響(遺伝的要因と生育環境要因)の度合いを計算してみました。
その結果、「生みの親」による遺伝子的なリスク要因が少ない子は、「育ての親」による生育環境がかなり悪くてもほとんどその悪影響を受けないのですが、「生みの親」による遺伝子的なリスクの大きい子は、その遺伝子的なリスクが大きければ大きいほど、「育ての親」による生育環境の悪影響を受けやすくなってしまうのでした。

結果として、病的嗜癖・依存症への遺伝子的な脆弱性をもともと持っている人が、不幸な生育環境のもとで育ってしまうと、「心の弱い」「依存症性格」になりやすくなり、その結果として病的嗜癖・依存症の「家族性」というものが生じてしまうのだ・・・・と言えそうなのです。
「生まれ」の不幸と「育ち」の不幸がかさなったところに、「心の弱さ」が育ってしまい、その先に病的嗜癖・依存症が生じてくる・・・。
私たちは実験動物と違って、ほとんどの場合が遺伝子的な親が育ての親になります。
病的嗜癖・依存症の問題については、これを絶望的な状況だとみる人もいるでしょう。
しかし、遺伝子は変えられませんが、環境はものすごく努力をすれば変えることができる可能性を持っているものです。 ここに希望を見ることができる人は幸いでしょう。
 
「報酬回路」を強烈に、過剰なまでに、ビンビン刺激するようなことを慢性持続的に繰り返していると、そのうち「報酬回路」の働きがますます弱まってくることになります。
すると、もっともっと強烈な刺激を与えなくてはいけなくなり、そうするともっともっと「報酬回路」の働きが弱まっていくことになり・・・という悪循環です。
こうして行き着く先は「廃人」です。
つまり、依存対象以外のことには、ほとんど一切「報酬回路」が働かなくなり、人生において大切なこと、価値あることがほとんど一切なくなってしまうのです。
アルコール/薬物依存にしても、摂食障害にしても、ギャンブル依存にしても、ほとんどすべての「病的嗜癖・依存症」において「そればっかり」になってしまうのは、こういうメカニズムが考えられていて、これを「報酬回路不全症候群」と呼ぶわけです。

摂食行動の異常がなくなった、しかし人生に本当の意味での喜びや楽しみを見いだせていない「回復した」拒食症の女性を集めて、摂食行動には何の関係もないインセンティブ(カードゲームのようなもので勝つとお金をもらえ、負けるとお金を失う、というもの)を与えて、その時の「報酬回路」の働きが健常者と違うかどうかを見てみました。
すると、健常者ではゲームに勝つか負けるかで「報酬回路」の一部である腹側線条体の反応に違いがあるのですが、元拒食症の人たちはゲームに勝っても負けても腹側線条体は同じような反応しかせず、やはり何らかの意味で「報酬回路」が壊れてしまっていることを示唆していました。
 
私たちの遠い祖先がまだ原始人だった頃は、「報酬回路」の過剰使用の問題など全く想定外だったでしょう。
このため、原始人の頃とほとんど変わらない脳を持っている私たちは、「報酬回路」の過剰使用と、それが引き起こす「報酬回路不全症候群」に対する有効な防御手段を持ち合わせていないのです。
私たちにできることは、この構造上の弱点を認識して、危険を遠ざけるようにしておくしかないわけです。 たぶん・・・。
 
ところで、もともと、この「報酬回路」は生き物が生存・繁殖していくために必要な行動を動機づけるためにあるものです。
この回路があるから、食べること、セックスすること、などの基本的な生存・繁殖に必要な行動が導かれ、意識的にも「いい、気持ちいい」こととして感じられるわけです。
でも、へんです。
食べることやセックスすることは、確かに多くの人にとって、(時と場合と身体の状態によりますが)「したい」と感じ、それを得ようと行動するように動機づけられており、「いい、気持ちいい」と感じるようにできてはいますが、だからといって食べることやセックスすることに「病的嗜癖・依存症」のようになってしまうことは、ほとんどありません。
これはいったいなぜなのか?
 
簡単なことで、こうした生き物が生きて繁殖していくために必要な自然な行動は、普通の生活をしていれば、「報酬回路」を少しだけ働かせるのであって、依存性のある薬物のように過剰に刺激することはないのです。
「普通の生活をしていれば」という但し書きをいれたのは、普通ではない生活習慣をすることで、「報酬回路」を過剰に刺激することもできるからです。
 
例えば、ネズミを使った実験で、ネズミたちに餌を与えず、しばらくずっと飢餓状態にします。
そのあと急に甘い甘い砂糖水を好きなだけ飲めるようにします。
そしてその後また絶食にします。
そしてその後また急に砂糖水を好きなだけ飲めるようにします。
・・・といったことを繰り返していると、長い我慢の時間の後での「むさぼるように甘い物を食べる」という行動に対して過剰に「報酬回路」が働くようになり、薬物依存で生じるのときわめて類似した脳内の変化が生じるようになります。
つまり、甘い物に対する食べ物依存症が形成されてしまうのです。
 
脳内の「報酬回路」の過剰使用と、それが慢性的に繰り返されることによって起こる鈍化が、その他の病的嗜癖・依存症と同様に、食べ物依存症でも生じます。
甘い物を我慢している間は、甘い物に対する異常なまでの「欲しい」という気持ちが高まりますし、だんだん不安や落ち込み感などのネガティブな気分が高まってきますし、甘い物を手にしてしまうと止められなくなって過剰に摂取(過食)してしまいます。
これらの「症状」は、薬物依存症などと同様に、脳内のドーパミン系や脳内麻薬様物質系が関与して形成されていると考えられます。
 
そして、どうして無理なダイエットをした後で、しばしば過食症(過食依存症、甘い物依存症)になってしまうのか?がおわかりになると思います。
哀れなネズミたちを甘い物依存症にするための上記の実験操作とほとんど同じ事を自分で自分にしていることになるからです。
人間もネズミと同じように、絶食と過食を繰り返していると、どうしても脳内の「報酬回路」の過剰使用が生じてしまい、繰り返せば繰り返すほどに「報酬回路」が狂ってしまい、どうしても食行動に対する「病的嗜癖・依存症」になってしまうのです。
 
もともとアルコール依存症だったり、(父親がアルコール依存症だったなど)アルコール依存症の家族歴がある人、つまり遺伝子的・体質的にアルコール依存症になりやすい「報酬回路」の脆弱性のある人は、そうでない人に比べて、甘い物に対して「報酬回路」が過剰に働きやすく、甘い物好きになりやすく、甘い物依存症/過食依存症(過食症)になりやすいと考えられるということです。
現在断酒しているアルコール依存症の人と、健常者をたくさん集めて、どのくらいの甘さの飲み物を好きだと感じるかを調べてみました。
普通の人は、甘さの度合いが砂糖濃度にして0.3Mくらいまでが「おいしい」と感じ、それ以上になってしまうと甘ったるくて嫌になってくることが多いのです。
ところが、アルコール依存症の人や、自分自身は今はアルコール依存症でなくても親がアルコール依存症だったという人(遺伝子的・体質的にアルコール依存症になりやすいと考えられる人)は、0.3M以上のより甘さ刺激の強い甘さの方が好きな傾向があったのです。
 
過食依存症(過食症)の人たちの中には、アルコール依存症の家族歴がある人(父親がアルコール依存症だったなど)が少なくない印象です。
こうした人たちは、もともと遺伝子的・体質的にアルコール依存症になりやすい、生まれつき「報酬回路」に脆弱性がある可能性が高いと考えるべきであって、無理なダイエットや過食に対しては人一倍気をつけていなくてはいけないのでしょう。
 
糖分や脂肪分の多く含まれる「お菓子」などカロリーの高い食べ物を制限して体重を減らそうと努力する若い女性は多いでしょう。
中には極端に食事制限をして短期間に激やせする人もいます。
こうした「ダイエット」をする若い女性は、誰も過食依存症になろうと思ってそうしている人などいないでしょう。
しかし、多くの人の自制心には限界がありますから、ダイエットをして好きなものを我慢している時と、我慢ができなくてたくさん食べてしまう時を繰り返してしまう人がけっこういます。
もともと性格的に衝動性が高かったり自制心が弱かったりする人はなおさらです。
ところが、このようにして高カロリーの嗜好食品を著しく制限する時と、我慢できなくて無茶食いしてしまう時とを交互に繰り返すことは、脳の中の「報酬回路」を過剰に刺激することによって、過食依存症への道まっしぐらではあるのです。
 
食べ物の中でも特に嗜好性の強い「お菓子」のようなものは、糖分や脂肪分が多く含まれていて、高カロリーであり、その分だけ脳内の「報酬回路」を強く刺激するところがあります。
そこに加えて、これを食べるタイミングを「間欠的で過剰」にすると、「報酬回路」の過剰刺激がさらに強まり、依存症とほとんど同じメカニズムで依存と習慣性が形成されていくわけです。
 
訓練すれば自制心は強くなれる?
「わかっちゃいるけど、やめられない。」そんな病的嗜癖・依存症の克服のためには、どうしても自制心の力が必要です。
自制心は、大脳皮質の前頭前野がつかさどっているらしいことはすでにお話ししました。
前頭前野が報酬回路を含む辺縁系の活動を頑張って抑えるわけです。
より長期的に見て自分に有利なように、不利が少なくなるように、前頭前野が辺縁系の活動である「欲しい」「したい」を抑えていく・・・これが自制でした。
 
ということは、生まれつき前頭前野の機能が高い人は自制心が強く、生まれつき前頭前野の機能が低い人は自制心が弱いことになります。
これはまさしくその通りで、このために遺伝子的/体質的に前頭前野機能が低い人は(他の精神疾患にもなりやすいのですが)病的嗜癖・依存症にもなりやすいと言えます。
でも、なんとかならないでしょうか?
 
例えば、生まれつき運動のできる子というのはいます。
それに比べて生まれつき運動が苦手な子というのもいます。
相対的な話ですから、それは当たり前です。 では、生まれつき運動が苦手な子というのは、どうしようもないのでしょうか?
そんなことはない、ということを多くの人が知っているでしょう。
頑張って練習すればいいのです。
確かに、生まれつきできる子に比べて人一倍頑張らないといけないでしょうが、それでも頑張ればそれなりにできるようになるものです。
 
それと同じことが自制心の強い/弱いについても言えるのではないでしょうか?
頑張って訓練すれば少しずつでも強くなっていくのではないか?
驚いたことに、「我慢する」ことを主に繰り返し練習した「自制心を鍛える課題」を頑張った人たちは、「プラセボの課題」をこなしただけの人たちに比較して、統計的に有意に高い確率で禁煙を続けられていました。
1ヶ月後の「禁煙を続けられていた率」は、「プラセボの課題」12%に比較して、「自制心を鍛える課題」27%と差がついていたのです。
「甘い物を我慢する」とか「ハンドグリップを我慢して握り続ける」というのは、禁煙とはほとんど何の関係もないことです。 しかも何てことはない「訓練」です。
それなのに、この差です。
 
こんなことってあるのでしょうか。
しかし、よく考えれば、部活で頑張った子は受験の時に勉強に対しても(社会人になってからの仕事に対しても)根性がつく・・・と昔よく言われていました。
なるほど、あながち根拠のないことではないのかもしれません。
 
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