どうも、森元気です。
この前、家を掃除していてら、高校時代の生徒手帳が出てきました。
こんな時代もあったなー。
と、懐かしんでしまいました。
最近出会った人は想像がつかないかもしれないですね(笑)
他人からどー思われているかわからないんですが、当たり前の話で僕にも高校時代があって、それはそれは昔からテキトウに生きてました。
今さえ良ければいい方のテキトウです。
それから考えると、干支も一周回ってます。ずいぶん成長したなーと。
思い返すことはあんまりしなかったのですが、最近よく僕が何してる人かわからないという言葉をきいていたので、
たまたま小学校からの昔の僕も今の僕もよく知る親友と話す機会があったので、
「どー見える?」
って尋ねたら、
「なんかすごそうー!って感じで、自分達とは違う感じが出てんちゃう?俺はいろいろ知ってるからあれやけど、もっと『もりげん』を出した方がいいで。もりげんきという人の人間味みたいなもんがわからん気がする。」
と言われました。
なるほどなぁー。。
と。
まだまだよく見られたい感や、むしろ嫌われたくない感なんかで、無意識に自分を出すことを抑えていたことに気づかせてくれました。
昔の自分が、全然ほんとうの自分と一致してなかっただけに尋常じゃないほど向き合って来た自負はあります。
だから、それは昔から比べればかなーーーーーり良くなってますし、一致感もあるのですが、今でいいと思っているのか?と問われるともっと変化してまだ見ぬ自分に会いたいし、成長したいし、クリアになりたいと。
決して今に満足してないか?って聞かれるとそんなわけはなく、今でもかなり満足しまくりの上でやっぱり人生を味わい切りたいわけです。
旅行に例えるなら、グアムに行きたいとかハワイに行きたいとか、日本やから満足とかではなく、いろいろ行きたいんです。
旅そのものを、命そのものを味わい尽くす感じです。
で、そんなことに気づかせてくれた友人には感謝やし、持つべきものは大切な友人やな。と。
誰に聞いたか忘れましたが、アメリカでは3人の友人を持とう!と言われているらしく、
弁護士
医者
カウンセラー
の人らしいです。
僕の友人はどれでもないけど、いてくれて良かったな。と思えるのだけは間違いないですね。
有難いです。
持つべきものは素晴らしい友人だと思ったオチでした。
