こんにちは!
最近黄砂にやられまくっている良玄です(>_<)
ひょっとしたら花粉よりも酷いかも…
眼や鼻や肌がやられまくってます
しかも車や窓も黄砂まみれ
季節ものなので仕方がないですが
春先は花粉も含めて
色々なものが飛来してくるので
それに負けないように努めたいと思います
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さてそんな今回のテーマは
おもてなしは表なし!?
です
新年度に入って
新しい環境にも慣れえきた今日この頃
そんな折に改めて
日本人ならではの
おもてなしの心について
考えてみたいと思います
というのも私も茶道を習っていた時に
おもてなしというのは
主人と客人の双方の心によって成り立つ
ということを習いました
(奈良の若草山からの景色が綺麗でした)
例えばお茶の世界では
主人がやって来る客人のために
水を撒いて地面を濡らし
花を生けて空間を彩り
生菓子を選んで味わい
一杯のお茶をもてなします
ただしこれは客人にも
主人の心をしっかりと受け取る心
がとても大切であります
地面がなぜ濡れているのか
どんな花が生けられているのか
お菓子はなぜこのお菓子なのか
それを読み取れるからこそ
主人の心遣いに気づくことができます
私も初心者の時に
掛け軸が自分の祖父のものであるのに
それに気づくことができずに
先生の気持ちに応えられなかった経験がありました
要するにおもてなしの心には
お互いがお互いを思いやる気持ち
が必須なわけです
そうでないと結局は
おもてなしも空回りになって
気づかれずに終わってしまいます
そんな「おもてなし」という言葉は
「もてなす」に「お」を付けた丁寧でありますが
それ以外にも「表なし」
という言葉から来ているとも言われています
即ち「表も裏もない平等な心」
相手が偉い人だから丁重に対応したり
相手が目下だから無碍に扱ったり
そういった忖度する心のない平等な境地
誰に対しても
親切丁寧に対応できる心
それがまさに
おもてなしの心の語源でもある
というのは私も妙に納得しました
(夜の若草山のライトアップもとても幻想的に)
言われてみれば人間というのは
相手を見て少なからず色々と判断します
それはもちろん当然のことですが
それによって相手に嫌な思いをさせたり
自分自身の心に負の感情が沸いたりもします
おもてなしを大切にする場であれば
そういった表裏のない真っ新な心で対応する
打算的ではなく
あるがままに見ていく!
それがまさに
日本のおもてなしの心には
大切であるように思います
表も裏もない
まさに見返りを求めない気配りだから
表なし=おもてなし
誰にも気づかれないところでも
善い行いができる陰徳を積む行動
まさにおもてなしの実践には
そういった陰ながらの善行も
とても大切なように思います
そうすることで譬え
誰かに褒められなくとも
自分自身の心がスッキリするのが
最大のご利益でもある
のではないでしょうか
新しい環境に入って
色々と周りに気遣う場面も多い季節
歓迎会や新スタッフでの懇親会も
増える時節かと思います
そんな時こそぜひとも
表のない「おもてなし」の心で
皆様と接してみると
ひょっとしたら良いことが訪れる
かもしれません
良玄合掌
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