こんにちは!
最近は年賀状に追われている良玄です(⌒▽⌒)
この時期になるといつも同じように焦ってます
今年はどんなデザインにするのか
宛名漏れはないか
喪中のところに送ろうとしていないか
昨年の年賀状とともに
これまでの記憶を必死に辿ります
ただその分これまでの出会いにも感謝
他を見つめるということは
やはり自己を見つめることにも繋がるようです
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さてそんな今回のテーマは前回からの連続シリーズ
当たり前にありがとうpart2
です
前回はありがとうの反対語が当たり前であることに始まり
目の前にある当たり前の物が実は有難いものであること
これに気づくのが仏教の教えにあることを書きました
今回はその続きで
今度はどうしたらこの当たり前の有難さに気づけるのか
それを少し考えていきたいと思います
ここで一つの例題を考えてみましょう
もしお金を使うことなく
ホットドッグを手にするには・・・
皆さまならどうするでしょうか
あなたの大切な人が
最愛のパートナーが
自分の子供が
どうしてもホットドッグを食べたいと言い出した
しかしながらあなたは一銭のお金もない
はたまたお金という概念が無い世界だったら・・・
そうです
ホットドッグをゼロから作らなければなりません
ではどうやってホットドッグを作るのでしょうか
まずはパンを作るために小麦粉と卵を買ってきて・・・
これではお金を使っているので
ホットドッグを買ってくるのと変わりません
なのでそうではなくて
小麦を育てるところから始めましょう
まずは土を耕して小麦の種を撒いて
肥料に水やりと色々と手間がかかるのは想像できます
おそらく小麦粉が完成するまでには数か月かかるでしょう
日本の気候では作れる場所も限られるかもしれません
とにもかくにも小麦粉を一から作るだけでも大仕事です
そしてようやく小麦が手に入りました
そこから次は卵が必須です
鶏を捕まえてきて
卵を産ませなければなりません
野生の鶏を捕まえるか
雛から育てるのか
運よく誰かに譲ってもらうか
とにもかくにも卵一つだって
お金をかけずに手に入れるのは至難の業です
そしてやっとこさパンの材料をかき集めることができたら
今度はメインのソーセージが必要です
まずはソーセージを作るためのひき肉を手に入れるために
今度は豚さん狩りの始まりです
野生の豚さんは
はたして日本にいるのでしょうか
要するに今度はミンチ肉を手に入れるために
豚さんを捕まえて飼育することから始めなければなりません
小麦を育てるところからようやくパンを作れたとしても
今度はソーセージの具材で数年ぐらいかかりそうです
それにホットドッグはパンとソーセージだけではありません
トッピングにピクルスや玉ねぎだって欲しいはずです
なのでピクルスと玉ねぎも
小麦と一緒に育てなければなりません
さらにさらに調味料
塩コショウにマスタードやケチャップなどなど
美味しいホットドッグを作るには
調味料もかき集めなければなりません
塩1グラムだって
海の水から作るのは大変そうです
とにもかくにも数百円で手に入るホットドッグですら
私たちは自分一人では容易に作ることはできないわけです
小麦を作ったりそこからパンを作ったり
牛や豚の肉からホットドッグを手に入れたり
ピクルスや玉ねぎをトッピングできるのも
全て自分の代わりに誰かが汗水垂らして
一生懸命作業をしてくれる人がいるから
自分はやらなくて済むわけです
そしてその代わりとして
お金という通貨で
その品物を手に入れることができるのです
たかが数百円かもしれませんが
その数百円の中には
もの凄い多くの人と労力が詰まっているのです
そしてより高価なものは
その量がもっと大きくなります
それにも関わらず私たちは
ついつい高い物と比較することで
安いものの価値感を小さく見てしまいます
安く手に入るホットドッグの有難さを忘れ
当たり前のものとして受け止めてしまいます
これはもちろん社会を生きていく上では
自然に養われるもので仕方のないことであります
しかしながら
当たり前のものに目を向けること
そしてその有難さに気づくこと
これも決して忘れてはならないと思うのです
自分の足下を振り返って
目の前の当たり前のことにも感謝をする
これを忘れずに続けていくことで
幸せを得ることができる
これが仏教の基本的な考え方であるわけです
仏教は決して経済社会を否定するものではなく
科学の進歩を批判するものでもありません
そうではなくて
どうしても新しい物や輝かしいものに目がいったり
優劣をつけたがる人の性に対して
大切なものに改めて気づかせてくれるものなのです
料理にだって調味料が無ければ成り立ちません
スパイスが無ければ美味しくないわけです
それと同様に宗教や仏教も
決してメインである必要はありません
人が生きていく人生において
スパイスのようにメインの生活を美味しくしてくれるもの
これが仏教であり
その一つに当たり前の有難さに気づく
という教えがあるわけです
自分の欲しい宝物は
実は目の前にあるのかもしれない
日常生活のマンネリに飽きてきたときこそ
仏教という調味料を混ぜてみる
そんなスパイスの効いた日常生活こそ
人の心を豊かにしてくれるのではないでしょうか
良玄合掌
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