前回の記事で宣言した
自宅敷地にある砂利の山を切り崩し
家(中宇宙)の氣を流すぞ作戦。
読まれてない方はこちらから
完成は年内目標。と
長期的に考えていたのだけど
なんと、なんと、
父という名の救世主が現れ、
昨日、完成しましたっ!
写真影で見づらいかもしれないが
これでプラス車3台はイケる
思い立ってから
たったの4日間。
これも
引き寄せと言えば引き寄せだよね
父自身の人力だけにとどまらず
一輪車やクワやスキなんかも
持ってきてくれて
とんでもなくはかどった…
父は74歳だけど
腰痛も筋肉痛もなかったらしく
感謝の極みだ。。。
一方、
私は体の背面すべてが激痛
鉄板を背負っているくらいの重量感が
今もなお私を苦しめているという。
痛いっす…
体の前面と背面が
全く別物のような感覚。
当然、
普段しない力仕事をしたんだから
筋肉痛になるのは当然なのだが
あまりの違和感に
またまた
キネシオロジーの方法を用いて
身体に聴いてみることにした。
…
すると
「土地の神様に改めて挨拶するように」
と、
そんな
メッセージがくるじゃありませんかっ
確かに…
今まで作物を育んでいた場所に
突然大量の砂利が
敷き詰められてしまったんだ。
これからは
雑草が芽吹くことすら難しくなるだろう
ここに住まわせていただいているだけでも
本来ありがたいこと。
さらに
私が住まいやすいように
勝手に地球に手を加えてしまったんだ
大袈裟に言うとね。
事後で申し訳ないけど
これは
やはりこの土地に挨拶をし、
ことわりを入れるべきだ。。。
日本酒に塩を混ぜたものを
土地にまくのがいいと
身体が教えてくれたので
その通りにする
夜中だし怪しまれそう(・_・;)
誰かにみられないといいなー
などと思いつつ。
と、
そうしているうちに
ある場所で手が止まる。
ここは…
昨日まで
無花果(いちじく)の木が生えていた場所だ
そういや、
「無花果の木切っちゃったよ」
昼間父がそう言っていたのが
ずっと引っかかってたんだ。
そこから間髪入れず
ぶゎーっと
身の毛がよだつような感覚になった
私、無花果だった…?
なんの根拠もなく
そんなことが頭によぎってた
私の前世、
無花果だったんだよーとか
そういうことじゃなく、
無花果のエネルギーと共振している
という感じ。
そう、
無花果の木を切った
と聞いたとき、
かわいそうなことをしてしまったって感覚と
これで良しとする感覚が
混在していたんだ。
私は
子供を帝王切開で産んだんだけど
この、
自然分娩できなかった自分が
いつも苦しかった。
帝王切開しなければよかったという
後悔ではないの。
ただ、ただ、理由もなく苦しかった。
罪悪感とも違う
後悔でもない
なんとなくだけど
自然に逆らっての出産に
苦しさを感じてた自分が居るのはわかってた
そうだ、
私の出産云々というよりも
子供側の立場として
産まれるときのポテンシャルを
発揮させてあげられなかったことに
申し訳なさを感じてた。
そうか、この苦しみは
自責の念だったのか。。
“花”を辞書で調べると
「種子植物などの生殖器官」
と冒頭に載っていた…
確かに
私は無花果だった。
花は咲かず(女性の器官は使わず)とも
実(子供)は育っている
でも
無花果と共振していたのであれば
それはそれで
自然の成り行きだったんだ
私にとっては
産道を使わずに出産することが
自然な分娩だったんだ。
そう気づくと
肩の荷が下り…
なんだか
背中の鉄板が少しづつそげ落る感覚。
父があっという間に切り倒してくれた無花果は
過去の自分だった。
お疲れ様。
よく頑張ったね。
私なりの自然分娩だってことに
気づいてよかったね。
もう、
無花果は切り倒された。
お父さんが切ってくれた。
だから
これからは
人生に花咲かせてもいいかもね。
そんな思いが心をかすめる。
中宇宙(住空間)を整えれば
小宇宙の自分もそれに同調する。
こういう繋がりだったとは
知らなかったが
今、心がこんなにも平穏なのは
大きな流れに身を任せているからだと思う
いつも
お読みいただきありがとうございます。。。