マキです。
簡単ではなかったけれど、ここ数日で自分の生き方みたいなものを再確認しました。

短所も長所になりうるし、コンプレックスものびしろになる。
やっぱり信念はひとつで、そのことを突き詰めていこう、といつも言ってますが(笑)。

自分の良いと思うものしか良いと思えない、
自分の好きなものしか愛せない、
こういう活動をしていて、そのことって実はものすごく大切なんだなって思ったりします。
もちろん食わず嫌いにならないように、方法は増やす、感性は閉じないで、間口を広く持つことは言うまでも無く大事なんだけれど、結局出力するときに自分の世界観や好みはまざまざと反映されるわけで、それを受け入れてくれる人を信じるってことは役者みたいな職業を続ける上ですごく強力な力になる。
そしてその相手が演出家だったり、相手役であるのはすごく幸福なことなんだなあ、と。

私は恵まれています。

そしてそれが私が此処にいる唯一最大の理由なんだと思いました。

小西優司さん。
劇団の愛すべき主宰です。色んな戯曲を一緒にやって、何本か演出として付いてもらって、最後の瞬間までいつも信じてくれる。私の好みは私一人で創ったものなんかじゃなくて、この人の影響が多大だし、同じ景色を見たいとずっとその背中を追ってきました。実は稽古場でものすごく怒る彼を見て、私が前回公演の熊の稽古でまったく同じことをまったく同じ熱量と言い方で怒っていたのを思い出して、すごく心を動かされました。怒っている彼は不快だったろうけれど、私はちょっと、いや、かなりうれしかった。分身なんでしょ、と思うくらい(笑)

ここで告白しますが、最近9月新人公演の稽古に結構付き合っていて、好きでやっているんだけれど、この公演を何としても成功させたいと思うのです。それは私がこの公演に出る人たちを愛し始めていて、そして何よりも小西さんが伝えきれない言葉を伝えたいと、それが出来るのはこの劇団で唯一私だけだと思っているからです。

小西さんは主宰であり、教師であり、演出家であり、役者です。
束縛も立場も誰よりも多くて苦しんでいらっしゃると思います。そんな中で私は彼の役者としての部分が大好きだし、演出家としての部分を信頼しています。稽古場で怒った時、彼は芸術を探求する者としてものすごく作品と真摯に向き合っているんだな、と失礼ながら久しぶりに思いました。
ここのところ、先生として曖昧で優しい彼に物足りなさを感じていたのです。ああ、この人は忘れていないのだなと思いました。後輩ばかりでいつも妥協を強いられる環境でしょうけど、もっともっと上手になって、もっともっと心を惜しみなく消耗して、たくさんの喜びを還元できる女優になりたいです。

そのために出来ることは何か。
それは色々と思いつきます。でも小さなことからでも、実現可能なことをやり始めなければいけない。そう思いました。9月新人公演のお手伝い、後輩たちとの交流、自分の演技の研鑽、修行・・・。客演もしたいですが、時間的なことと生活費のことでもうちょっと時間がかかりそうです(^^;;でも、きっとやります。やりたいと思いました。

今、最近の中で一番、芝居がしたいです。

後悔のない人生を送ってきました。どの岐路も、いつも、自分の心に素直に生きてきましたから。周りに迷惑を掛けてもそれだけは止めなかった。母もいない、父もいない、ただ協力者がいるだけの境遇に生まれて、自分探しをしていった果てに小さな頃に観た市民会館の舞台のことを思い出して始めた演劇でした。ライトを浴びて、衣装を着けて、現実ではない世界の中、楽しそうに演じる自分と同じ世代の子供たちを見て、衝撃だった。あそこへ行きたい、と思った。今はそれが身近な環境にいます。幸せです。

無力で孤独だった私に、これだけの仲間がいること。そのこと自体がものすごく幸福だということに今さらながら気付かされます。

やりましょうよ、舞台。
現代にいながら、古典を。名作を。魂を代弁してくれる台詞を使って、生で、躍動しましょうよ。結果はお客様が見てくれる。何年も何年も最後の一人までに、同じ歌を歌い続けましょうよ。生まれてきた意味、生を共有する喜びを。舞台で出来るのは、一緒に楽しむこと。生で、興奮できること。私はそれがやりたいのです。笑ったり、泣いたり、心を一緒に震わせたい。それが味わいたくて、劇場に通う人が一人でも増えますように。

女優になりたいです。頑張ります。