安倍外交は個々での失敗は時々見られるものの、トータル的にはよくやっていると思います。歴代首相の中で、彼ほど世界中を飛び回って海外首脳と会談を重ねてきた人物はいないでしょう(中韓に行っていないというツッコミは無しです)。

ただし、多くの識者が指摘するように、日本という国は伝統的に外交センスに長けているとは言い難い部分があります。明治時代には陸奥宗光とか、小村寿太郎のような優れた外相がいたのですけどね(小村に関しては日英同盟締結の功績はあるものの、日露戦争後の南満州鉄道に対する米国鉄道王ハリマンによる共同経営提案を拒絶してしまった事は評価の分かれるところ)。

そこで歴史にIFはありませんが、過去の失敗の外交を振り返ってみたいと思います。そこから得られる教訓は、現在の私たちにとって貴重な経験則となるでしょう。

 

第一次東条内閣(1941年10月) Wikipediaより

 

①対米開戦前夜

 

この頃の出来事に関しては過去記事の

 

『 「安倍総理、真珠湾訪問」に対する私見 』(2016/12/08)及び、

『 少し整理しませんか?「宣戦布告」 』(2016/12/10)

 

などを参照して頂ければと思いますが、いわゆる対米最後通牒(対米覚書)の手交が開戦に間に合わなかったという、現地日本側大使館員の大チョンボがあります。よく言われている理由に「暗号を解読し、タイプで清書するのに手間取った」というのがありますけど、実際はそんなレベルではなく、現地大使館員が前日に同僚の送別会を行っていて翌朝寝坊したという、あまりにも情けない経緯が真実でした。

ただし今回問題にしたいのはその事ではなく、「ハルノート」を受け取った時に、日本側はどのように対応すべきだったかについてです。

 

日本側は「ハルノート」を受け取った際、これを事実上の米側による最後通牒と受け取り、開戦を決意するのですが、しかし一方、まだ開戦を回避出来る可能性があったというのですね。

例えば評論家の渡部昇一氏は、その著作「渡部昇一の昭和史」の中でこう述べています。

 

ハル・ノートが送られてきたときに記者会見をやればよかったのである。東京でやってもいいし、ワシントンでやってもいい。とにかく、アメリカの新聞記者を一堂に集めて、次のようなことを話せばよかった。

「ご存じのとおり、これまで日米間で現状打開の道を探ってきたわけだが、先日、かくのごとき無理な要求を満載した覚書(ハル・ノート)が、アメリカから突然、突きつけられた。これは実質的な国交断絶の書であって、日本としては遺憾きわまりない。アメリカ国民にぜひ分かってもらいたいが、日本は太平洋の平和を心から願っているし、妥協点を見付けたいと考えている」

もし、日本がこのように言っていれば、アメリカ国民はルーズベルトに対する監視を強めたであろう。そうなれば彼とても、いたずらに日米間の緊張を高め、日本を開戦に追い込むようなことはできなかったはずである。

ところが現実には、日本政府がアメリカ国民に直接話しかけることは、とうとうなかった。日本の外交官たちには、「外交交渉は密室で行われるもので、国民は関係ない」というセンスしかなかったからである。

 

なるほど、当時から米国は世論の国という本質を利用すべきという渡部氏の言説は説得力があります。しかも、ルーズベルトは議会に日米交渉の経緯を秘密にしていました。ハルノートの内容やそれを日本に突き付けた事さえ、民主党、共和党の議員は知らなかったのですから、日本側がハルノートを公開して記者会見を行ったらかなりの効果があったでしょうね。

しかし当時の日本人にはそのセンスがありませんでした。「黙して語らず」という武士道の美徳の影響もあったのかもしれません。

そしてこの傾向は、戦後も色濃く引き継がれているようです。日本は何かと対外発信の点で諸外国に後れを取り、常に後手後手に回ってしまうケースが多いのは確か。。。

その点、当時の蒋介石がその夫人・宋美齢などを使って、大々的にプロパガンダを含む反日キャンペーンを米国にて行い、その世論を引き付けたのとは対照的でした。

 

 

米国グレンデール市の慰安婦像と撤去運動を展開する日本地方議員団(RAFU SHIMPOより)

 

②慰安婦問題

 

慰安婦問題に関しては現在、日韓最大の歴史問題かつセンシティブな問題となっているので多くの記事で触れてきましたが、前日の記事や過去記事

 

『 山口敬之氏の「韓国軍慰安所」スクープを握り潰したTBS 』(2017/01/14)や、

『 米韓のあきれる偽善~オバマ大統領の慰安婦発言 』 (2014/04/26)

『 「従軍慰安婦問題」について思う 』 (2013/12/23)

 

などを見て頂ければ梅之助がどう捉えているかお分かり頂けるかと思います。

この問題は韓国側の信義なき卑劣な「ゴールずらし戦法」のおかげで、国際的大問題に発展してしまいました。

そして今回も『 慰安婦問題、日韓合意へ① 韓国が約束を守るとも思えないが 』(2015/12/29)で予想した通りになってしまいそうですね。

 

韓国内で慰安婦問題を先導してきた「挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)」には、明らかに親北勢力が多数浸透しており、その狙いは北の意を受けての「日韓分断工作」です。

別に慰安婦のおばあさんの事など考えちゃいない。そのこと自体には韓国内にも気付いている人が多くいるはずですが、それでも彼らが色々な歴史問題で「反日の誘惑」を捨てきれないのは、それらの問題を通じて日本と韓国の間に上下関係を作りたいからだと梅之助は想像しています。もちろん、強い自覚があるかどうかは別として。

朝鮮半島は儒教文化の中で地政学上、大陸王朝の支配下に屈折した感情を持ちながらも常に入らざるを得ず、そのストレス(?)の捌け口として歴史的には日本を格下に見て来ました。

ところが、そんな日本が華夷秩序から抜け出していち早く近代化し、その格下に自分自身が併合されてしまったという歴史は、現在の韓国人としては受け入れ難いほどの屈辱であり、プライドの毀損だったと思いますよ。

今でも韓国人の見栄はかなり強いようですからね。

 

さて、この慰安婦問題はその「戦場と性」という問題の性質から本来は日本だけではなく、形態を変えたかたちで世界各国普遍的に見られた問題です。いわばほとんどの国が「脛に傷」を持っているという事。

しかし韓国と日本の反日左翼マスコミによって「日本軍による強制連行説」が世界中にばら撒かれ、この手の問題の事実上のラスボスである中共のチャイナマネーの後押しも受けて、世界ではこの問題が「日本固有の問題」と認識されてしまったのです。そこには自国に飛び火しないように、日本だけをスケープゴードにしようとする欧米諸国の思惑も透けて見えました。

しかも日本の外務省は、デリケートな問題でもあるゆえに積極的な反論や日本の立場の説明を怠り、世界に「性奴隷 (sex slave)」という言葉が定着するのを指をくわえて眺めていたという始末。

ここでも日本の外交は全く機能しなかったのです。

 

 

ベトナム戦争中の出来事です

 

昨年末の韓国・釜山日本領事館前の慰安婦像設置事件を受け、韓国と二国間協議を行っても意味をなさない事がハッキリと分かった今日、もしこの慰安婦問題を根本的に政治解決しようと願うならば、日本は橋下徹・前大阪市長が主張している線で行くしかないと梅之助は考えます。

 

◎ 「強制連行」や「戦場での与太話」としか思えない内容はしっかりと否定するのを大前提とした上で、日本を含めた世界中の国々が行った戦時中の女性への人権蹂躙を真摯に反省するアクションを、特に日本が先導して起こしていく。

◎ 当然、同時並行で韓国のライダイハン問題や朝鮮戦争・ベトナム戦争時の慰安所の存在、欧米の慰安所や、ソ連兵による現地人レイプの事実上の容認などを、世にどんどん炙り出していく。

 

日本の威勢のいい保守系論者が、旧日本軍の慰安婦はただの売春婦で、比較的自由も保証され、彼女らは高給を貰っていたと強弁しても、事実はどうあれ、女性の権利意識が高まったこの時代に国際的なコンセンサスが得られるはずはありません。

 

ただ、もし日本が上記のような方針で行動を起こそうとしたとしても、韓国もそうですが、中共が大反対したと思われます。欧米諸国の方も反対の声を上げたでしょう。トラップを仕掛けられる可能性すらあります。何せこの問題はパンドラの箱ですから。

しかし、結果論かもしれませんが日本はそうするべきでした。

今ですらまともな反論が韓国の感情論で遮られ、世界中で日本をターゲットにした慰安婦像が乱立進行形という状態です。ならば自ら動いて主導権を握った方が、少しは良い結果が期待出来たでしょう。

政府・外務省が勇気を持てなかっただけなのです。