映画の記事が続きます。
今回は1968年公開の「連合艦隊司令長官 山本五十六」と、2011年公開の「聯合艦体司令長官 山本五十六 - 太平洋戦争70年目の真実 - 」です。
双方とも、日独伊三国同盟に反対した山本五十六の海軍次官時代から始まり、1943(昭和18)年ブーゲンビル島にて戦死するまで、「日米開戦に誰よりも反対しながら、自ら真珠湾攻撃の火ぶたを切らざるを得なかった悲劇の軍人」という観点で描かれています。

まずは1968年版。

 



山本五十六役は三船敏郎。大変威厳があります。この人以上に軍人を演じる事の出来る日本人俳優は、恐らく今後とも現れる事はないでしょう。下の海軍第二種軍装(白)で敬礼する姿は本当にハマっています。
海戦シーンなどはCGなどを駆使した最近の製作映画に比べてさすがにチャチに感じますが、そこは評価対象外とするべきでしょうね。
ミッドウェー海戦後のガダルカナル島争奪戦や南太平洋海戦なども時系列に描かれており、日本海軍がどのような戦いを経ていったのかが、よく分かるようになっています。知識的な意味で、大東亜戦争入門編ともいえますね。
その分、登場人物を取り巻く人間模様等の描写が少し淡白なのは否めません。

 


 

1968年版 映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」より


次は2011年版の方。山本役は役所広司さん。



他に軍人役では米内光政に柄本明さん、井上成美に柳葉敏郎さん、山口多聞に阿部寛さんなど。役所・山本はともかく、他の人たちはイメージが違いすぎる。。。
阿部さんは演技そのものは良かったものの、山口とビジュアルが間逆過ぎて違和感が後々まで残ったし、柳葉さんは演技が田舎臭過ぎます。
その一方、南雲忠一を演じた中原丈雄さん(梅之助、この俳優さんは存じませんでした)は大変良い演技だと思いました。真珠湾を攻撃する実行司令官ですが、山本とは考え方に一線を画する思惑がよく表れていました。
そして主役の山本五十六に関してですが。
想いと行動が矛盾せざるを得なかった「人間・山本五十六」の苦悩と葛藤が、1968年版に比べてより深く掘り下げて描かれていましたね。山本の妻子や姉を登場させているあたりも、いっそうその印象を強く植え付けようとしているようです。
ただ、山本の理性と度量の広さ、そして悲劇性を表そうとしての事でしょうが、役所さんの演技は少し柔らかすぎる傾向がありました。

 


 

2011年版 映画「聯合艦体司令長官 山本五十六 - 太平洋戦争70年目の真実 - 」より


さて、2011年版の方には副題として「太平洋戦争70年目の真実」という文言が添えられています。
ん?真実?
今更そんな言葉に見合うほどのものがあったか?
むしろこの映画は史実をかなり脚色していると言えるのですが。
まず、冒頭で陸軍兵の部隊が海軍省に銃を向ける示威行為のシーン。これ戦前なら(まあ、現在でも)大問題となる出来事で、最低でも軍法会議ものです。いくら陸・海軍が仲が悪いからといって、平時にこの映画のシーンのような事など実際にはあり得ません。
また、ガダルカナル戦での海軍司令官に門倉総司という架空人物を登場させている件も意味不明です。末端の兵や下級将校に架空人物を登場させるのは戦争映画を構成するうえで必要でしょうが、史実の戦争映画ならば司令官レベルに全くの架空人物(あえてモデルを探すのならば角田覚治が考えられるが、彼は1944年8月のテニアンの戦いで戦死している。映画の門倉は1943年2月のガダルカナル島撤退作戦で戦死しているものの、同作戦で戦死した海軍司令官は実際には存在しない)を登場させるのは「無し」でしょうに。
あと、山本が奥さんに恩賜の銀時計を渡すひとコマが映画にはありましたが、あれを実際に渡したのは愛人さんにですよ。

なんだか「太平洋戦争70年目の真実」という言葉が浮いてきそうです。このフレーズが無ければ、多少の脚色は気にならないんですけれどね。
恐らくこの副題は、対米戦争を侵略戦争の一環としての観点からしか教育を受けておらず、そしてそれを信じきっている素直で純粋な人達や、もう米国と日本がかつて戦争をした事さえよく知らない人たち向けのものなんでしょう。好意的に解釈して。
少なくともあの戦争について、そこそこ知識のある者にとっては「肩すかし」の副題でしかありませんでした。

決して嫌いな映画ではないのですが、どうしても最近の作品には少々辛口の批評になってしまいます。その為、少しフォローも入れておきましょう。
2011年版には玉木宏さんや香川照之さん、益岡徹さんらが演じるメディア関係者が出てきます。彼らこそが国民を煽り、軍部にはっぱをかけて、戦争への道を推進してきた一大勢力であった、という視点が入っているのは大変良かったと思います。
またラストに流れた小椋佳さんの「眦(まなじり)」という曲も、特にメロディがいい雰囲気でした。

 


そして最後に明記しておきたい事が。
これは新旧の両作品に言えるのですが、この二つの映画は戦後多くの日本人の間で共通認識とされてきた「海軍善玉・陸軍悪玉論」を、そのまま引き受けて製作されている印象があります。
特に2011年版は上記の傾向が顕著で、先ほども指摘したフィクションでしかない陸兵の海軍省への示威行為や、米内、井上、堀悌吉あたりの描写などが、如実にそれを物語っています。
しかし、梅之助にしてみれば、陸も海もどっちもどっち。
特に山本、井上の親分格の米内光政などは、海軍良識派の代表格と目されているものの、支那事変(1937年)当時海相を務めていた彼の言動は「良識派」という言葉からは程遠いものでした。
彼こそが陸軍中央の事変不拡大方針に反対して戦線を拡大させ、閣僚として日本を中国大陸での泥沼戦争へと追い込んだ最も責任ある立場の一人なのです。まあ、ここではその具体的指摘は控えますが、調べればすぐにわかる事です。
因みに2011年版の原作・監修は、映画「日本のいちばん長い日」と同じ半藤一利氏(「聯合艦隊司令長官 山本五十六」)。この人、調べてみると典型的な「海軍善玉・陸軍悪玉」論の系譜上にある人なんですよね。
やっぱりな。
ご本人は歴史家を自任されているようですが、それなりにバイアスもかかっているみたいです。