ちょっと古い本なんですけどね(と言って古い本ばかり紹介する)。。。。
1989年刊行の講談社ノンフィクション賞及び大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
日本の近現代史でもマスコミが意図的にあまり触れない戦後のソ連によるシベリア強制抑留を背景に、抑留された日本人達が如何に生き抜いたかを一人の人物を中心に描いたノンフィクションです。

「戦争関連」のノンフィンクションとしては、特に著名な人物をテーマにした訳でもなく、派手な戦闘・悲惨な戦場というセンセーショナルなお決まりのテーマというものでもありません。しかし約60万人が抑留され、そのうち約6万人が死亡したとされる(ソ連崩壊後に明らかになった新資料では、抑留者100万以上で犠牲者は30万以上と推定)「シベリア抑留」という史実の中で、無名な男たちによる「このような物語」があった事に驚かされると同時に深い感銘を受けます。「収容所が悲惨だった」というような、被害者意識丸出しのレベルの低い作品ではありません。
本書の登場人物達はもちろんですが、「このような物語」を歴史の深層から掘り起こしてくれた著者にも敬意を表したいと思います。
こういう作品はなかなかお目にかかる事は出来ません。

 


この本の中心人物は山本幡男という市井の人物で、戦争後半に召集されるまで満鉄(南満州鉄道)に勤めており、学生時代は左翼思想の影響を強く受けていました。
ソ連参戦と終戦で、山本は他の日本兵・民間人とともにソ連に抑留されてしまいます。当初は左翼思想の総本山であるソ連にシンパシーを抱いていた山本も、過酷な強制労働と拷問、そしてソ連の思想教育の実態を知るにおよび、かつてソ連に抱いていた憧憬が完全な幻想であった事を悟ります。
同時に、過酷で先の見えない環境がもたらす絶望や不信・反目、密告といった空気に日本人が完全に取り込まれないよう、山本は周囲に「必ず帰国できる」という希望を説き続け、ソ連監視兵の目を盗んで俳句の会を作っては、抑留者の精神の摩耗を防ぐ活動を行います。
そんな山本の知性と人格の力に触れ、多くの日本人が年齢や旧軍時代の階級を越えて集まってくるようになりました。
しかしその山本も病に倒れ、周囲の誰の目から見ても彼の帰国は無理と悟った時、山本を慕う男たちが取った行動は・・・・・そこが先ほどから「このような物語」と書いている部分の核心になります。
梅之助の率直な読後感は一言で言うと「日本人ってやっぱり素晴らしい」でした。
興味をもたれた方はどうかお読みください。

さて山本幡男は子供たちにあてた遺書に、父親として愛情あふれる想いと、生きて再び会う事の出来ない無念の心情を綴った後、こう続けます。

さて、君たちは、之から人生の荒波と闘って生きてゆくのだが、君たちはどんな辛い日があらうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことを感謝することを忘れてはならぬ。日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化・・・人道主義を以て世界文化再建に寄与し得る唯一の民族である。この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。
また君達はどんなに辛い日があらうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するといふ、進歩的な思想を忘れてはならぬ。 偏頗(へんぱ)で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基く自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。
最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友だちと交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面において、この言葉を忘れてはならぬぞ。
(中略)
自分の才能に自惚(うぬぼ)れてはいけない。学と真理の道においては、徹頭徹尾、敬虔でなくてはならぬ。立身出世など、どうでもいい。自分で自分を偉くすれば、君等が博士や大臣を求めなくても、博士や大臣の方が君等の方へやってくることは必定だ。要は自己完成! しかし浮世の生活のためには、致方なしで或る程度打算や功利もやむを得ない。度を越してはいかぬぞ。最後に勝つものは道義だぞ。  


ここからも山本の高い知性と、深い人間性を見る事が出来ます。
これは戦後日本人に向けられた遺書と言ってもいいでしょう。

著者の辺見じゅんさんはニュートラルな姿勢で、無名の人々と戦争との関わりを書き続けてきた人です。そこから浮かび上がる人々の姿は、戦争の苦悩と悲劇をリアルに訴えてくると同時に、そこに勇気を持って関らざるを得なかった先人の誇り高き姿も、私たちの前に照らしてくれます。
この著作もそういう点で、歴史を見る眼の自然さ、健全さに裏打ちされており、例えば反戦作品という観点から見ても最も説得力のあるものの一つと言えるでしょう。

よく「国家賠償」とか「戦争責任」などを、執拗に一方的見解で追及するイデオロギーに満ちた左系反戦本がありますが、それらとははっきり言ってレベルが違います。

 

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