けれど、あくまで「遊び」の域を出るものではない。
幼稚園の頃に楽器メーカーが主催する音楽教室に2年ほど通っただけで、
その後は正式なレッスンを受けてはいない。
遊びで弾くにしても、自己流では先が見えている。
いつかきちんと学びたい、という思いはずっと抱いていた。
娘がピアノを始めたのは3歳の時。
私のSLEも寛解状態で落ち着いていた。
長男と次男の手がはなれ、私も少しは自由な時間ができていたので
娘の送迎も兼ねて、一緒に通うことにした。
先生・・・Nちゃんのお宅までは徒歩10分。
夫の同級生で、親類、上の子のPTAの役員も一緒にしていた関係で、気心は知れている。
娘と一緒にバイエルからのスタート。
ふだんはNちゃんだが、レッスンの時は当然「先生」だ。
それからは毎日レッスンが楽しくて、娘とピアノの取り合い・・・というか、
娘を押しのけて自分が占領していることの方が多かったかもしれない。
でも、順調に進んだわけではなかった。
非破壊性の関節炎のため、常に関節の痛みがある。
加えての鬱病。
無気力でありながらも、ピアノにだけは向かうことができた。
レッスンの時間から逆算して痛み止めや安定剤を服用するのだが、
痛みは軽減できてもボーッとして集中力に欠け、手が震える。
ただでさえ不確かな指の動きが余計おぼつかなくなる。
ほどなく病状が悪化し、何ヶ月もお休みしては再開する、ということを繰り返すようになった。
やる気ばかりは先立つが、行動が伴わない劣等生だった。
2003年に胸椎圧迫骨折のため、3ヶ月間寝たきりになった。
回復するも、要介護の身。
付き添いなしでの外出は原則として不可。
ついに14年続いたレッスンを断念した。
昨年の2月24日。
Nちゃんが体調を崩して療養生活に入ることになり、入院を前に、かつてのPTAの役員仲間が久しぶりに集った。
メンバーのお宅にて会費制。
ケーキとお茶、お寿司でおしゃべりを楽しんだ。
Nちゃんは誰よりも大きな声で、一番よくしゃべった。
終始孫自慢。
嬉しそうで、とびきりの笑顔で、病気だなんて思えなかった。
それから2ヶ月も経たない4月の初めに届いた訃報。
お通夜・告別式会場へと続く道の桜は盛りを過ぎていた。
それが昨年の、私にとってのただ一度だけのお花見となった。
さくら~やなせなな
![](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblogimg.goo.ne.jp%2Fuser_image%2F08%2F34%2F5c9716d42972f579ce7203ca1820eaf3.jpg)
今、ピアノに向かうとき、Nちゃんの声が聞こえる。
楽譜を見ると、この箇所はこういう注意を受けた、ここがうまくいかなかった・・・
書き込みがあるわけではないのに、ひとこと、ひとことが蘇ってくる。
相変わらず暗譜はできないけれど、私は当時よりも熱心にレッスンするようになった。