菅内閣による浜岡原発の停止要請、ぜひ即座に実行されるよう、また津波対策でお茶を濁して、本当に苦しんでいる方々以外の「ほとぼりがちょっと冷めてから2年後に運転再開」という茶番劇あという狙い?通りにならないよう、日本の危険な原発(54基)の恒久的な廃炉と、エネルギー政策の転換を図るべく、たゆまず声を上げ続けねばならないと思います。

そうした声を、政官財&学は「庶民の浅知恵」「デマにつながりかねない」などと言い募るかもしれませんが、だとしたら冗談じゃありませんよね。

国策規模の科学技術も、全て、民間の一人ひとりの尽力があってこの世界に送り出されてきるのであり、危機的な状況に精通し、新たな実行策を産み出していけるのは、お上が選定した一部の「専門家」などでないことは明らかです。

・・・と怒りつつも、本題に徐々に移ります。

原子力発電所のもたらすリスクについて、素人(とは言っても官邸や保安院よりはよほど事態を理解している実務スペシャリストを含めての民間人)が、「お上」に向け危機意識を表に出そうものなら、
 「だいたいそんなことを言ったら飛行機にも乗れやしない」
 「リスクとベネフィットのバランスが理解できてやしない」
 「どうせお前はゼロリスクを求めるのだろう」
 「どうせ政治的な意図があるのだろう」
などという、呆れてものも言い返せないような稚拙な罵倒が即座に投げつけられるのが常でした。
一応過去形ですが、まだそんな流れが、今となっても続いています。

「飛行機うんぬん」という比喩は、事態の重大さが一定レベルを超えたら全部同じ、という幼稚な比喩であり航空機墜落と地球の破壊も同じ、というたわけた「想定」に基づくものです。またリスクを被る側とベネフィットを受けまくる側が異なる人なのはそもそもの前提に反しますね。「ゼロリスク」は、多分言っている側が理解していないか、話のすり替えのように感じられます。

ただ、どうもこういう能書きを文字でだらだら示していても、何のことやら、ですね。
そこで、頭を少し整理するために、技術の世界、とりわけ製品などのリスク(危険度合い)を捉えるための考え方のひとつ、原発でも、確率論的安全評価、として取り入れられてきている考えかたの基本を少し図示します。
ここでは、厳密に産業界で使われる考え方を少し簡略化しています。
流儀は色々あるようで、後半に参考となるウェブを示しました。またいくつか書籍も斜めにですが読んでいます。

考え方はこちらです。
縦軸が、ある問題(リスク)が発生するであろう確率を示します。
システムや製品によって絶対値をどう置くかは違います。
横軸が、ある問題が発生してしまったら、どの程度のまずい被害になるかを示します。
便宜的に、縦横を掛け算し、被害(事態)の大きさと確率から、被害規模の「期待値」(期待したいものではないですが)が分かります。バクチさながらですが。
Like a rolling bean (new) 出来事録-一般的な定義

オレンジの領域、つまり、そこそこ起こる可能性が高く、また起きたらそれなりにまずいことになると危惧されることが最初から分かっていると、危険なので(人に危害を与える恐れ、道義的、賠償面でのリスクも)システムや製品は作れません。人や社会に被害を与える看過できないことが起こりうるからです。
青の領域なら「まあよかろう」として許容されます(めったに起こらないか、起こってもまあなんとかなる、という見立て)。

ただ、オレンジの領域で何か怒りそう、でもどうしても効能があるからなんとか製品を作ったりサービスろ利用したい、という強い動機がある場合には、(タテマエ的ですが)技術的対策や人的措置などを十分に講じて、悪い事態が発生しない対策をして(この下の図では下向きの矢印)、かつ、それが起こったとしても、大きな被害には至らない、というための最大限の努力をします(同じく横向きの矢印)。
しかも、かくかくしかじかの可能性は排除できないけれど、効能のほうが大きいので選択しているのですね、という納得(合意)が伴っていることも必須です。

Like a rolling bean (new) 出来事録-効能があるならリスクは下げて実用化する

たとえばよく挙げられる民間航空機の場合、事故の確率を下げるために管制システムを入れたり、機体自体の安全性を確保したり、パイロットの健康状態を管理したり・・・をします(下図の下向き矢印)。もし、運悪く緊急事態が発生したとしても、たとえば酸素マスクや救命胴衣や緊急脱出装置が用意されたりします(横向き矢印)。

Like a rolling bean (new) 出来事録-飛行機ではどうか

ただ、ここで原発をどう扱うか、です。
たしかに原発開発も、多くの現場の設計者は、上記の航空機のように、さらにそれより念を入れて、対策を講じてきた意識なのだなと思います。「想定内」をできるだけ広くとって、事故発生がないようにしたつもりで(下向き矢印)、また、「想定内」を超えるアクシデントが起こった際にも各種対応策(バックアップ電源しかり)を採用するよう、回避策に心を砕いていたことは、この震災後にUstreamなどで視聴する色々なお話からも、窺い知ることもできました。

なので、下記は理論的にはどう見なされているかを示した図です。

Like a rolling bean (new) 出来事録-原発ではこう言われてきた(イメージ)

ただ、現実はどうでしょうか?
そうした現場の意見が、組織では、コスト面から取り入れられなかった、というニュースも複数あります。
また、個別には正しくとも、システムとして堅牢だったかというと、完全性は求めることはできません(柏崎刈羽の事故でも分かったように)。

そして、組織がコストや納期との折り合いで物事を判断する際、「今や最新鋭、あるいは過去の事故を踏まえた対応策を取っているから安全だ」と見た理論値にどのくらいの希望的観測や、ちょっとしたコストカットがいくつも積み上がって、誰も知らない食い違いが生じていなかったのか、計り知れません。


で、ここから本当に書きたかったことです。
実際に上の図とはまるで異なるところに原発の実際があったとわたしは考えます。

つまりは、この下記の図の赤い右端のゾーンに被害が無限大となる地球規模の事故がありうる限り、これまで見てきた図と同じく捉えることはできないと確信します。

なぜなら、他は一定の被害を確率で「希釈して」被害の波及効果を、超アバウトながら見積もることもできましたが、この無限大には、いかなる小さな数値を乗じても、無限大なままだからです。
つまりは、局所的・一時的被害で抑えられないことをわざわざ発生するような暴挙をさせてはなりません。

Like a rolling bean (new) 出来事録-でも実際には枠外です

炉心溶融や爆発という事故に至った場合のリスクの大きさ(横軸)は、自動車や飛行機で見られる「致命的」(乗客と巻き添えの犠牲発生)が最大なのではなく、「破滅的」とでも言うべき新たなゾーンがあり、その事故の破滅性を、せめて致命的(左に一個ずれる)ようにすることができない限り、まあないだろうと思う事故発生の確率であったとしても、それは決して許容できないのだと思います。

つまり、「いくら危なくても、確率的に小さければ納得して使おう」と考えられる領域にはなかったのだと考えます。

さらには、炉心溶融の可能性も10のマイナス8乗で、80年に一度も起こりえない、とされてきましたが、それも確率の縦軸の高さを随分落としてみなしたもの(いわゆる過小評価)のように思えます。
※個人の感想です。・・・と言いたいところですが、実際どうだったのでしょうね。
 想定外は想定内だった、という次々と明らかになる事実からも、過小評価のためのバイアスが働かなかったか、疑わしいと言いたくなります。

リスクの大きさについても同様、事態の重大さが一定レベルの航空機墜落と地球の破壊も同じように扱って、一番上で示した図のモデルを使ってきたのではないでしょうか?

さらには、原発立地でリスクを被る側と、ベネフィットを享受する産業や大企業、そして都市生活者は個別で、天秤にかけた合意はできていません。

こうしたあり方にも関わらず、壊滅的なリスクは許容できない、とひとこと言うだけで、ゼロリスク派、だとか、行き過ぎた予防原則派、として、脊髄反射よろしく批判罵倒する方々の理念というか意味が分かりませんね。

下の図のようなことを相手が主張している、という脳内変換(すりかえ)が起こっているのでしょうか?
あるいはこちらの考えすぎで、「確率はゼロにできっこない」というドグマがあるだけなのかも?

少なくとも、下記の図の矢印のようにしてくれ、という注文をしているのではないですよね。
Like a rolling bean (new) 出来事録-こんな話してないのにすりかえられる

なのに、問題はすりかえられます。
絶対安全なものを作れ、と命令するから、原子力産業も真実を言えなかった・・・などという言い訳は通用しません。

繰り返し、言いたいのはこちら↓です。
Like a rolling bean (new) 出来事録-でも実際には枠外です

破滅的(と勝手に付けましたが)な事態のもっとも端的な例には、危険な立地条件の原発(というと日本の全てになると思います)の野放図な稼動と、そのことによる事故がありますが、

・重大な放射能汚染に見舞われながらも、子どもたちに(なんら正しいプロセスなく)最大20mSv/年の
 被曝をさせ続けること
・(毎回この話だと言わないでくださいね)日本の台所である卸売市場を、日本最大級の汚染と液状化の地域に移転させること

という生体実験も、国家レベル・地球レベルの破滅的結末につながります。
確率だけ見ても実際には決して低くありませんし、そして、確率のみで議論して済ませられる話ではありません。


【参考にしたページのいくつか】
KPMG
http://www.kpmg.or.jp/resources/keywords/r_portfolio.html

製品評価技術基盤機構
http://www.nite.go.jp/jiko/journal/journal_vol7_pdf/journal_vol7_p074siten.pdf

日本科学技術連盟
http://www.juse.or.jp/reliability/52/

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液状化した豊洲新市場予定地。

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