『緊急シンポ!「小沢VS検察」にみる検察と報道のあり方』の当日のメモを書いたエントリーが、どうしてもタイトル変更も記事編集もできなくなっています(新たにコピーして作成してもNG、短く編集することもできません。不正なタグなどもないようですが・・・)。
上書き保存と同じ画面を使うため、たぶん、トラックバックもできないはずです。

また、その当日のメモのエントリーでは、タイトルにもメディアのことを書き添えたかったのですが、下書き時の状態のままになっていますが、当然、問題があるのは、検察だけではありません。

それらの事情のため、このひとつ上に掲載されるエントリーの前書き部分を少し訂正したものをこちらに貼りつけ、タイトルも変えておきます。

メモについては、長いですが、重要なお話を盛り込んだつもりです。
こちらでお読みください。
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10469772415.html

よろしくお願いいたします。

~~~ここから前書き訂正内容~~~

2月26日の、『緊急シンポ!「小沢VS検察」にみる検察と報道のあり方』に参加してきましたので、その内容メモ全体をまずこのエントリーで公開します。
音 声再度聞き取りでなく、わたしのメモに、一部記憶で追加をし、構成したものです。
趣旨をできるだけ正確に捉えようと思いました。
細部の表 現や抜けなどの正確な発言は、音声データや動画再録にあたるようお願いします。
また、発言者は(コメント内容以外は)敬称略とさせていただいてい ます。

検察のそもそもの出自や、その実態、つまりは威信を見せながらも、自ら作成したシナリオに対し自作自演を繰り返すありさま、それに実社会では到底社会人として通用しないモラルの低さ と幼稚さは、実際に検察に対峙したことのある三井環さん、また多くの登壇者の実体験からきわめてよく分かり(「直接の被害者」と呼びたいと思います)、こ の期に及んで検察のリークなどない、だとか、あったとしてもそれが問題になるはずがない、だとか、日本は堂々たる民主主義国家で検察は大いなる正義の味方 だとか、という思想がどれほどばかばかしいもので、もっと言えば、そんな「ありもしない干からびた神話を垂れ流すことに加担する生き方そのもの」がどれほど虚しいものかも、理解できると思います。

そ して、権力の横暴に対しては、憶測で なく、事実をこうして積み上げ、分かったことをできるだけ速やかに広げることが大事だ、とも強く思いました。

「何 でもできるし何でもやってきた」のが検察(特に特捜部)の実態であることも明らかで、加えてそこへのお追従メディアです。

記者クラブ制度 という、日本とジンバブエにしかないとも言われる異常な制度のもとでは、メディアがそこに参加できないというのは、情報という「商売道具」を失うことを意 味し、誰もがそれを恐れて自粛するとは、学校や職場である、「いじめられたって正しいことを言えばいいのだ」がなかなか通用しえないこととも、似ているか もしれません。

ただ、それでも、世界のジャーナリズムのあり方からすれば、当然、「たかがそんなことのためになぜ?」と言わなくてはなり ません。

一方で、記者クラブ制度というもの自体を維持させることで、互いに報道を抑制する思惑が成功してきたのは、メディアの自浄力の低 さや堕落であるに留まらず、連綿とある日本的な風土(出る杭を徹底して許さず)の中で、組織も人もがんじがらめにする「態度」がきわめて効果的に成功した 現象を示しているようでもあり、これと同じことは、人々の側にも存在します。

これらが、「権力」をその場に留まらせることに多いに利用さ れています。
また、検察やメディア自体も、「誰かの道具」であることも、思い知らされます。

こうして日本とはどんな国であり続け てきたのかを知ることを知った以上は、このシンポジウムでも触れられているように、権力に立ち向かうことを、三井環さんや鈴木宗男議員だけに委ねていては ならないと考えます。それは、お任せなんて無責任だ、という以上に、そうした方の生命の危機を回避するために欠かせない行動でもあり、わたしたちが民主化 を自分の手で勝ち取るための行動でもあると思います。

~~~ここまで