オバマ大統領へのノーベル平和賞を喜びをもって歓迎します。


昨晩の列車の中でも、「まだ彼にどんな実績があったというんだろう」「この受賞はまったく呆れて、がっかりした」という会話を聞いたりしました。「核軍縮は望ましいが、核武装主義者と対峙している闘争のさなかで平和の実現ではない」ということなのかもしれません。


それに、ノーベル平和賞にも過去からの負の歴史はあることを十分理解したうえでなお、この賞に中立性(というものがあるのだとして)を少しでも期待したい人には、まだアフガン問題を抱えているアメリカ、ということも踏まえて、道の途上、あるいはスタートラインを切ったばかりでの若手大統領受賞というこのありように、違和感(何かが「薄い」感覚)を抱くのだと思います。


まだスタートラインを切ったばかり、という点について、正直なところ、わたしも最初は誤報?と思いました。


それに、「彼が努力することへの期待値」がこめられている、というしたり顔のニュース報道もありました。


極論としては、「(どうせ)政治的側面があるんだから、結構なんじゃないですか」(吐き棄てるように by イシハラ)」という意見などもあります。


いろいろな見方があって、でも、こうした小さな分かり合えなさで残念がっていても仕方がありませんね。

あまり多くの記事や論考を読んでいませんが、少なくとも昨日、初めて聞いた時点で思ったのは、今回受賞したのはオバマ大統領であっても、実際には今回、わたしたち全員が、この賞を(それぞれの領分や可能な範囲で)考え、この好機に平和への行動をすべきだと突きつけられている、いわば課題を与えられた、ということでした。


わたしたち全員が、少なくともこの受賞をもって、オバマへの「お手並み拝見」「受賞したからにはしっかりやれよ」「かえって足元をすくわれるだろうな」という感想を持って「冷笑的でクール」な無力感にとらわれていても仕方がないことは明らかです。


本格的な国際対話と核軍縮を進めるという、「どう考えても難しそうなこ」とをなすべき時期にあって、小さな一人一人が無力感で、「世界の権力者たち」を遠巻きにするのではなく、陳腐ですが、「千載一遇のチャンス」に何ができるかを考えて、気づいたことはそれぞれが隣人に伝えていければ、と思います。


あまりうまくまとめることができませんが、先日読んで感銘を受けた池田香代子さんのブログを転載させていただき、思いに変えさせていただきます。


強調は引用者によります。


(ここから引用)

池田香代子ブログ 2009年9月27日
目から水 第五福竜丸
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51259786.html

おととい9月25日、すこし蒸すけれど気持ちのいい青空のもと、東海道本線の各駅停車に乗っていました。


次は焼津という車内放送を聞いたときです。飛び降りてタクシーに乗り、花屋に寄って、あるお寺の墓地の小高いところにたたずむあのお墓に詣でたい、そしてあることを報告したい、そんな願いが、特異な形の白いお墓や、お寺までの狭い道のフラッシュバックとともに、一瞬頭を過(よぎ)りました。


だめだめ、時間が足りない、駅にとんぼ返りしてすぐ電車が来たとしても、次の予定に遅刻してしまう。わたしの数十秒の迷いを断ち切るように、焼津駅はしずしずと後方に遠ざかっていきました。

車中の迷いは、その日の朝のテレビニュースに端を発します。ニューヨークの国連本部、安保理首脳会合で、あの巨大なドーナツ型のテーブルに向かった鳩山総理が演説していました。英語の中からふいに「ダイゴフクリュマル……ハイドロボム……ビキニ」という音が聞こえました。


アメリカが提案した「核のない世界」決議について、各国首脳が演説した、その中での発言でした。こうした場で、このくにの総理なら、ヒロシマナガサキのことは言うでしょう。けれど、CTBT(包括的核実験禁止条約)に関連して第五福竜丸にも触れるとは。わたしは不意をつかれたあまり、目から水が出てしまいました。


決議はなんら国際条約的な拘束力をもつものではありません。けれど、これをほかでもないアメリカが提案した。核保有国の首脳たちはごちゃごちゃ言ってもいたようだけれど、とにもかくにも全会一致で採択した。たまたまアメリカに議長国の番が回ってきている時で、それを初めて時の大統領が買って出た。たまたま日本が非常任理事国だった。たまたま政権交代の直後で、新しい総理がこの場のスピーチをすることになっていた。


まさに時は熟し、このくにも世界も大きく変わろうとしている、だからこそ、こうした「喜ばしいたまたま」がいくつも重なり、がっちりと組み合わさって、新しい大きな流れを、もはや打ち消しようもなく生じさせているのだ、と思いました。世界の空気が入れ替わったような気がしました。いまこのくにの上空に、さわやかな秋の空気が日ごとぐんぐんと勢いを増しているように。


次の目的地の藤枝で、中学の英語の先生が1枚のプリントをくださいました。それに目を落とし、またしても驚きで涙が出そうになりました。


その2日前の9月23日は、第五福竜丸で被爆し、ついさっきわたしが焼津でお墓参りをしたいと思った久保山愛吉さんのお命日だったのです。プリントは、第五福竜丸のこと、そして先生も参列したおとといの墓前祭のことを、生徒さんに伝えるものでした。


各駅停車の電車と1枚のプリントのかたちで、わたしのようなちっぽけな存在にも、世界を席捲している「喜ばしいたまたま」は訪れました。こうした偶然の巡り合わせは、思いのあるところにやってくる、と考えないわけにはいきません。だって、思いがなければ、せっかくの訪れも気づかず見過ごしてしまうかもしれないでしょう?


あまり有頂天になっては、夢みる夢子さんになってしまいます。世界にもこのくににも、不公正や悲痛事が絶えません。自戒しつつも、今のところ掛け声だけだろうがなんだろうが、世界が、このくにが、戦争とは逆の方向を向いた、そしてこうした動きを推し進めていける唯一の力はわたしたちの意思なのだということを、しっかりと噛みしめようと思います。


鳩山総理の安保理演説ですが、「唯一の被爆国」ではない、「核兵器による攻撃を受けた唯一の国家」という言い方は、正確で好ましいと思います。「唯一の被爆国」という言い方もしていますが、上述の正確な表現の後に出てくるので、その短縮形とみなしうるでしょう。


これは、核保有の能力がありながらそうしないという選択をしてきたのは、「唯一の被爆国として我が国が果たすべき道義的な責任」だからだ、と続きます。これはもちろん、オバマ米大統領の「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります」という、チェコ演説に呼応することを意識しているでしょう。


「非核兵器地帯の創設」に言及したことも高く評価できます。北東アジアと中東という、具体的な地域名を挙げていれば、もっとすばらしかったと思います。


また、核の先制不使用という、このくにをふくむ北東アジアの最大の関心事についても、ひとこと言ってほしかったなあと思います。ついこのあいだまで、「アメリカが核の先制使用政策をやめてくれては困る」と言って回っていた在米外務官僚の行動を、今後きっぱりと封じることにもなりますし(これにかんする記事はこちら)。


そして、広島長崎に触れるだけでなく、世界の衆人環視のなかで直接、核保有国の首脳たちを被爆地に招いたことは、すばらしいパフォーマンスだったと思います。外務省のみなさん、この招待が実現するよう、フォローお願いしましたよ!


(ここまで引用)

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