今日は丸の内線に乗る機会がありました。時間は15分ほどしかありませんでしたが、途中下車して夕刻に年越し派遣村に立ち寄りました。


知人の携帯にはつながらず、わずかながらカンパをさせていただいた後、一人で近くの方のお話に耳を傾けていました。

野宿の経験があり、そこから「戻ってくる」ことがどれだけ難しいか、だからこのニュースを見て駆けつけたとおっしゃっていました。


東京新聞

「派遣村」170人生活保護申請 横浜では野宿者支援

2009年1月3日 22時18分

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009010301000364.html


 派遣契約打ち切りなどで仕事や住居を失った人たちに宿泊場所や食事を提供する“年越し派遣村”(東京・日比谷公園)は3日、開設から4日目を迎え、これまで約170人が千代田区に生活保護を申し込んだ。派遣村の実行委員会は、最終的に申請は200人を超えるとみている。

 派遣村には同日午後も失業者らが次々と訪れ、この4日間で400人を突破。うち約250人が宿泊している東京・霞が関の厚生労働省の講堂は、仕事始めに当たる5日から使用できなくなるため、派遣村の実行委員会は厚労省に、5日以降の衣食住の確保など6項目にわたる要望書を提出した。

 厚労省に対しては民主、共産、社民、国民新の野党4党も3日、「東京以外でも同様の状況が起きており、本格的な対応を求める」などと申し入れた。

 実行委によると、要望書提出の際、厚労省社会・援護局の幹部は「雇用政策の結果による“災害”だという認識か」との問い掛けに「そういう気持ちです」と答えたという。

 例年、野宿者の支援活動が行われている横浜市中区の寿町にも前年の1・5倍の人が集まり、今年は30-40代が激増している。これまでは60代が中心だったという。

 支援団体「寿支援者交流会」の高沢幸男事務局長によると、この年末年始に寿町周辺で市民団体や行政の支援を受けている人たちは400人を超えた。20歳の若者や30代前半の女性までいる異変が起きているという。
(共同)


暗くなったのと携帯だったのとでちゃんと写った画像がありませんが、こちらがカンパの受付です。

Like a rolling bean (new) 出来事録-090103年越し派遣村カンパ受付


こちらが18時半までの相談窓口です。
Like a rolling bean (new) 出来事録-090103相談窓口


ちょうど夕食を配布していたさなかにお邪魔してしまいましたが、入村者もボランティアも、またユニオンやメディアの方々も含め、通り道は人でいっぱいです。そして静かなで確かな怒りを感じます。


怒りと生きなくてはならないという気持ちに、この場面での自分自身の無力さを思い知らされますが、今、こうして日比谷公園で起こっていることはまったく他人ごとではありません。


ここには、たとえばわたしの子どもの世代がまもなく出遭う状況がつぶさに見て取れます。


また、「ボタンを掛け違えない」ことのために、時にだいぶ大きな妥協(知らぬ間にきっと誰かを出し抜いていたこともあるのだと思います)をしてこなければ、わたし自身や身内がすでにそうであったはずの状況がここにあります。


言う間でもないことですが、苦境にある方々が「がんばらなくて報われない」人であろうはずがありません。いっぽうで、たまたまわたしの世代などは成人になってからバブルを経験(それもあのITバブルを含めれば二度も!)し、その濁流に押し流されるように高い割合で陸地にたどり着けただけでしょう。


こうした世代間格差や、地域間格差を諦めさせ、さらにもはや身分制度に成り果てた機会の格差、職業現場で個人能力の発揮を突き詰めることや組織の空気を読むことへの過剰なる圧力、これらいずれにも「しょうがない」と甘受させようとする試みは、明らかに個人の尊厳の破壊だと思います。


過剰な自己責任論のうさんくささは、責任や義務と抱き合わせであるはずの人の権利(そうです、権利を主張する際、必ず義務が引き合いに出されますね)を完全に無視する点にもあります。


以下、湯浅誠さんの本からの引用です。

貧困を見る、可視化するとは、同時に目に見えないその人の境遇や条件(”溜め”)を見る、見えるように努力するということを、不可欠の要素として含んでいる。

 「昔はみんな貧乏だった。それでも頑張ってきたんだ」「世間は厳しい。甘えるな」「おれだって大変なんだ。あんただけじゃない」--こうした言葉は、日常的に耳にする。そのとき人は概ね、いかに客観的な状況が大変だったとしても、本人の心がけ次第、頑張り次第で道は開ける/我慢できる、という神話を反復している。それは多くの場合、自分が頑張ってきたことを認めてもらいたい、という承認の欲求に根ざしているが、素直にそれを表現できない人たちは、しばしばそれを他者に対する叱責として表現する。

 人情としては、仕方のない面もある。大学受験に合格した人が「それができたのは、高い教育費をかけてくれた親がいたからだ」と考えることは少ないだろう。やはり、「自分が頑張って受験勉強を耐え抜いてきたからだ」と考えるし、考えたい。昔貧乏で今成功している人たちも、やはり「貧乏でもこつこと頑張っていれば、必ずいいことがある」と考えるし、考えたい。それは自然なことである。

 困るのは、返す刀でそれが条件の異なる他者に向けられるときだ。「自分も頑張ってきたんだから、おまえも頑張れ」という言い方は、多くの場合、自分の想定する範囲での「客観的状況の大変さ」や「頑張り」に限定されている。そのとき、得てして自他の”溜め”の大きさの違いは見落とされる。それはときに抑圧になり、暴力となる。


『反貧困』 湯浅誠著 p.87~

日比谷公園から約1km離れた銀座の風景は華やかでしたが、ここにも幸せが溢れているようにはまったく見えません。


Like a rolling bean (new) 出来事録-090103銀座



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※『麻生でてこい!!リアリティツアー救援会ブログ』

http://asoudetekoiq.blog8.fc2.com/
3人は釈放・不起訴となりましたが、不当なやらせ逮捕、基本的人権の弾圧、権力の横暴に引き続き抗議します。昨今のあらゆる言論弾圧の高まりに抗議します。


※引き続き、「もやい」への寄付とカンパをお願いいたします!!

いくらからでもOKだそうです。政官財の非情がこれ以上漫然と繰り返されないためにも、もやいを支援しながら、積極的に反貧困を訴え続ける必要があります。

http://www.moyai.net/modules/weblog/details.php?blog_id=384

(もやいの危機について解説したエントリー: http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10147525072.html


当面のカンパは集まりつつありますが、誰しもが思うように世襲議員の貴族クラブのような与党政治家から正しい手当てへの判断がなされないことをもやいのような団体が埋めていることを考えなくてはなりません。

サポーター会員も募集中とのことです。


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汚染と利権まみれの市場移転計画に反対する「東京大行進」へのご参加と、真実を明らかにする署名へのご賛同ありがとうございます。


UNPLUG KASHIWAZAKI-KARIWA
中越沖地震から1年以上たちました。

引き続き、柏崎刈羽原発停止への署名↑をお願いいたします。

被災された方々の不安と風説被害に心よりお見舞い申し上げます。

7号炉の年明け運転再開に向けて既成事実が積み上げられています!

原発しか当面のエネルギー問題の現実策がないという原子力バブルの欺瞞をまかり通らせるわけにはいきません。引き続き動向を見守ります。


NPTを骨抜きにした米印原子力協力協定に異議を申し立てます。

http://www.cnic.jp/modules/abolition2000/index.php  (ABOLITION2000)


「壊すな築地 7.12東京大行進」(雨天決行) 

→好天のうちに今回終了です。ありがとうございます。またよろしくお願いします。
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江戸街初夏示威行歌舞伎座引幕版
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