40代になったころから、私の左目の下にシミができて、
だんだん大きく濃くなっていきました。
そのたびに、高名な美容皮膚科で肝斑(かんぱん)と言われ、
レーザー治療で消していました。
でも、何度レーザーで消してもまたできるので、
親戚の皮膚科のドクターに相談しました。
切り取ったほうがいいとのことで、腕がいいという美容形成外科の友人を紹介してくれました。
美容形成外科では、そのシミをメスで切り取って、縫い縮めて、
横1本の線が残りました。
ところが、半年から1年たつと、横1本の2センチくらいの線の両端から、
また黒いシミができてくるんです。
そして、そこで3回目の手術をしたとき、
傷口からベットリと赤いゼリー状のものが大量に出てきました。
生理が重いとき出てくるような赤黒いゼリーです。
後から思うと、あれは東洋医学で言うところの“お血”(汚れて滞った血液)でした。
そこでまた、親戚の皮膚科のドクターに相談したら、
今度は出身大学の病院の形成外科を紹介してくれ、
そこで手術をすることになりました。
手術の前日、ふと、勤め先の職員室で、同僚の先生が話していた、
「上大岡駅前の○○皮膚科は、ものすごく性格の悪い陰険なじいさんだけど、見立てだけは確かだ。」
という言葉を思い出しました。
調べて、村○皮膚科に行ったところ、
私の顔を見るなり、「国○が○センターに行け」と言われました。
わたしは“がんセンター”と聞いて怖くなって、
「でも親戚の皮膚科が紹介してくれた大学病院で手術してもらうことになっていて・・・」と言うと、
「親戚と自分の命とどっちが大事なんだ?! その大学病院ってどこだ?」
「○○大学病院です」
「○○大学なんか、日本になくてもいい医大の筆頭だ! おまえはバカだ!」
と、ガンガン怒鳴られて、○立○んセンターの皮膚科への紹介状を書いてくれました。
そして、待合室で会計を待っている私のところまでやってきて、
たくさんの患者さんたちのいる前で、「そんなんなるまでほっといて、おまえはバカだ!バカだ!」と、
大声で何度も言われました。
国立がんセンターで、悪性黒色腫(=メラノーマ)という悪性度の高い皮膚がんだと診断され、
さらに乳がんがわかり、
大馬鹿者の私は、○上皮膚科の陰険なじいさん先生に命を救われました。48歳のときです。
一生の恩人です。