JR東日本初の新型特急電車を覚えていますか? | 新田鉄人「久慈だョ!全員集合」

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難病と闘いながらピンの鉄道芸人、その他で活動する、元本物の鉄道の駅員と電気部、さらに保線の経験を持つ、新田鉄人のブログへようこそ!岩手県久慈市公認、北三陸久慈市ふるさと大使。潜水士の資格取得済。


1987年(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道(国鉄)はその長い歴史を閉じ、JR各社へと分割民営化が行われました。当時の国鉄はすさまじい額の負債を抱えており、末期には新型車両の製造をも抑制してしまい、JRは国鉄の残した車両を引き受け、傷んだものも数知れずでした。その中でもJR東日本は、車両数が多いことから、製造費の安い国鉄が登場させた電車をしばらく増備し、傷んだ車両の早期の取り替えを進めました。
そんな中、平成元年にJR東日本で初めての、オリジナルの特急電車が生まれました。その名も651系「スーパーひたち」。特急電車としてはあちこちで見られる485系のみならず、その前の483系まで残っていた常磐線に投入されました。
スタイルは、いわゆる「こだま型」を近代化させたもので、カラーリングもガラッと変わって新時代を感じさせました。最高時速は130kmと速く、さらに停車駅を減らして到達時間を大幅に向上、従来の「ひたち」と差別化を図って、頭には「スーパー」の文字をつけました。
7両編成と4両編成が各9本ずつ製造され、今も上野と仙台の間で活躍しています。早々とリニューアルも施工され、今後も当分の間、活躍が続くものと思われます。現在は、ごく一部の、停車駅が多くて運転区間の短い「フレッシュひたち」にも使用され、時刻表でもグリーン車マークの有無で、後に「フレッシュひたち」用に製造されたE653系との判別ができます。グリーン車があるのがこの651系です。
常磐線を追われた旧「ひたち」のうち、ボンネット型の先頭車と中間車が鉄道博物館の中で余生を送っています。