戦闘民族日本人 その1 | ゲーム後進国日本

戦闘民族日本人 その1

いつから言われ始めただろうか。「日本のRPGは自由度が無い」という、いかにもJRPGファンからニワカ洋ゲー信者と卑下されそうな、国産ゲームを批判する際に広く使われている名文句。確かに短絡的すぎるとは思うがこの言葉が意味する所は事実でもある。日本のRPG、いわゆるJRPGには海外のRPGでは当たり前に存在する冒険や探索、自由な意思選択などの要素は無いに等しい。ストーリーの指示通りにキャラクターを進め、立ちふさがる敵を倒し、話を進める。JRPGの多くはこの繰り返しである。このような戦闘とストーリーしか楽しみの無いJRPGが氾濫した結果、日本におけるRPGとは「ストーリー付きの戦闘ゲーム」、または「戦闘付きの映画」であると定義付けられてしまった。


こういったJRPGが存在する事自体は問題無いとは思う。クロノトリガーなんかは今となっては時代遅れだが、紛れも無い名作である。古めかしいコテコテのJRPGを求めるユーザーは今も多く存在するだろう。だがこんな内容のRPGが日本のRPGの9割を占める(あくまで個人的なイメージ)現状はいかがなものか。そしてそれ以上に問題なのが、ユーザーのRPGに対する印象の統一である。日本のゲーマー達はJRPGに教育され続けた結果、彼らはRPGに対して「戦闘」でしかゲームとしての面白さを理解することができなくなってしまった。どのようなRPGであれ、発売前にメディアによってもたらされる情報はどれもこれもキャラクターがどうとか世界設定がどうとか、まるで発売後の設定資料集のような内容ばかりで、ようやくゲームシステムの情報が出たかと思えば戦闘システムの話ばかり。公式サイトを見ても、キャラクターや地域紹介だのどうでもいい情報ばかりで、ゲームシステムに関する情報の殆どは戦闘システムに割かれている。なにしろユーザーがこういった情報しか求めていないのだから。RPGのゲーム要素と言えば戦闘しか知らないのだ。


そんな日本のユーザー達にとってまさに黒船来航となったのが、Oblivion、Fallout3、そしてskyrimの登場である。もちろんこれらBethesda作品以前にも良質な海外RPGは腐るほどあった。だがそれらはどれもPCゲームであり、また静かなブームしか起こらず、海をわたって知れ渡る作品は無かった。しかしこのBethesda作品は、日本で発売される前から全世界で絶大な評価を集め、日本でもあらゆるメディアが大々的にその凄さを称えた。いくら洋ゲーが嫌いとはいえ、ミーハー大国の日本人がこのゲームを無視することはできなかった。


その日本のユーザー達はこれらの作品を楽しめただろうか?確かにネットでは概ね良好な評価を聞く。だがそれと同時に、まるで親の仇かのようにこき下ろす者も大勢いた。そしてネットの外では、まったく楽しさが分からないというユーザーが大量に存在したたと思われる。どうして彼らはSkyrim等を楽しめないのだろうか?ではSkyrimの戦闘を確認してみよう。ガシガシ殴りあうだけ。または魔法をかけ続けるだけ。もしくはスニーク状態から一撃をお見舞いするだけ。つまらない。そう、Skyrimの戦闘はつまらないのである。どんなに熱狂的なSkyrimファンであれ、プレイ後に戦闘シーンを思い出して面白かったかどうかを問われれば、返答に困るだろう。


ところがSkyrimの戦闘は面白いのである。何を言っているのかわからないと思うが、Skyrimの戦闘ほど面白いRPGは、ARPGはともかくJRPGには存在しないだろう。少なくとも、「プレイ中に」戦闘がつまらないと思う事は一切無い。なぜこのような現象が起こるのかといえば、日本のユーザーはSkyrimの戦闘をJRPGの戦闘と同じような見方で抜き出しているからである。SkyrimにはJRPGのような戦闘は存在しないのに。


JRPGの戦闘は独立している。ランダムエンカウントであれシンボルエンカウントであれ戦闘が開始すれば謎空間に放り込まれ、先ほどまでいたフィールドとは全く別の法則によって縛られ、戦闘が終わればまた移動と会話しかできないフィールドへと戻される。これなら戦闘の良し悪しを他作品と比べるのは容易いだろう。ところが海外のRPGはこれとは別物、いわゆるシームレスなのである。特にSkyrimの場合、戦闘行為でさえもシームレスである。戦闘中でなくても剣を触れるし魔法も撃てる。あらゆる行為が時と時間に限定されない。こうなると「戦闘」とはどのような時と場面を指すのかわからなくなる。だが日本のユーザーはその答えを「敵と殴りあう数秒間」と結論づけてしまった。


実際にはSkyrimの戦闘は長大なものである。人によってはプレイ中は常時戦闘のようなものだと感じることもあるだろう。索敵や魔法の下準備なども戦闘であり、戦闘後に転がる敵の死体から武器防具をはぎ取ることもまた戦闘である。対話や隠密行動で戦闘を回避することも立派な戦闘である。市井の民の助けを聞いて戦地に向かったり、見事敵を打ち倒して報酬を受取ることもまた、戦闘の一部なのである。日本のユーザーの多くはこれが理解できず、「敵と殴りあう数秒間」だけを意味もなく抜き出して批判しているのが現状だ。


(次回につづく)