一億総株主 | ゲーム後進国日本

一億総株主

日本のユーザは大企業や有名タイトルに弱いというのはこのブログでも言及してきたし、言わなくても誰もが理解しているだろう。しかし日本のユーザというのは様々な理由で大企業や有名タイトルを無条件に批判してしまう体質になってしまう。その理由というのは年齢、つまり中二病的観点への変容だったり、ゲームに詳しくなるが故のライト層への蔑みだったりする。要は日本のユーザは下手に知識や考えを持つとやたらメジャーなものを叩きたがる自称ゲーム評論家へと成り下がるのだ。


そのユーザ達にとってまさに諸悪の根源であり、その名を見たら必ず批判しなくてはいけないラスボスがいる。それはスクウェア・エニックスバンダイナムコゲームス、そして稲船敬二だ。彼らがクソゲーを出せば鬼の首を捕ったかのように叩き、何か発言すればどこまでも悪く曲解し、良いゲームを出せば「○○にしては頑張ったな」で終わる。そういえば少し前にデッドライジング2の発注数により、モンスターハンターポータブル3の発注可能数が変わる、なんて噂が流れたが、噂の大本はゲームショップ店長が個人ブログでちょこっとうわさ話程度に書いただけだ。そんな眉唾な話が、ある人気ブログでさも事実のように取り上げられ、コメント欄では誰もが事実であるという前提で批判を繰り返し、今となっては完全なる事実として語り継がれている。それも全て稲船憎しのせいである。


スクウェアエニックスが批判されるのは理解できる。ローカライズの件については擁護する余地がない。しかしこの2社と1人が叩かれるようになったのはスクエニがMWのローカライズでやらかす前だし、叩く連中はそこに重点を置いていない。一体彼らが何をしたというのだろうか?クソゲーを出すのが悪なら世界の9割のメーカーは悪企業だろう。叩かれる理由は様々あると思われるが、一番の理由はゲーマー達が念仏のように唱える「カイガイカイガイ病」だろう。


日本のメーカーが、海外での売り上げ増を目指す。悪いことではない。中身空っぽのゲームが売れる日本市場ではなく、多くの費用と高い技術が必要な海外市場で売り込むようなゲームを作る。我々ユーザ、それもゲームが好きな層にとって何か問題があるのだろうか?そもそも我々が文句を言うからどうのこうのという話ではない。メーカーにとってみれば海外市場に挑戦するしかないのだ。ゲームの制作費高騰により、縮小を続ける日本市場だけでは食っていけなくなった(ソーシャルゲームという逃げ道もあるが、プロジェクト数というものには限度があるし、高給社員を遊ばせるわけにもいかない)。日本メーカーは海外が甘い蜜だなんて思っていないだろう。だが生きるためには海外市場に目を向ける必要があるのだ。


ところが批判を繰り返すユーザ達にはその海外志向が批判の的となっている。その理由は日本人である自分たちが見捨てられると感じてしまうから(実際には日本人向けのゲームなんて存在しないし、日本市場向けのゲームなんてロクなもんじゃないので杞憂に過ぎないのだが)だったり、経営者達の日本のゲーム批判・海外のゲームのべた褒めに不快感を感じるといった感情的なものもあるのだが、表立って出てくる理由は「海外での売り上げが振るわない」からだ。


新しいことに挑戦するのならば、数度の失敗はつきものだ。しかし彼らにとってはその数度も、いや最初の一回でさえも許せないらしい。これは日本人の完璧主義からくるものだろう。日本人が英語を苦手とするのは完璧な発音でないと馬鹿にされるから、という説を最近あちこちで聞く。それと似たようなものだ。必死になって海外市場に参入しようとする企業を、たかが数度の失敗だけであざ笑う。それもゲームの内容云々でなく、売り上げだけが論点だ。そして海外進出そのものが失敗だったと批判し、日本人向けのゲームを作れとわけのわからないことを言い出す。何様のつもりだろうか。社員でも株主でもないのに、企業が夢に向かって挑戦しつづけることに釘をさして何になるのか。


我々ユーザがメーカーの収支に関して口をはさむ必要はない。ところがどうにも最近では、各企業の決算だの株主総会向けの情報だのを持ち出して経営に口出しする、気持ち悪いユーザが増えてきている。おおかた有名ブログの論調やコメントに感化されていらない知識をつけてしまったのだろう。日本のゲームメーカーが日本経済を担っているのならともかく、そうでないのだから、我々ユーザが願うのは企業の収益ではなく、面白いゲームを作ってくれるかどうかだ。ソーシャルゲームや人気タイトル連発といったユーザとメーカー双方にとって暗闇しか待ち受けていない逃げ道をとらず、本当に面白いゲーム作りでの活路を見出そうとしているメーカーや経営者達のどこに批判する余地があるのだろうか。どうせ企業が潰れても優秀な開発者は死なないのだから、国内メーカーの博打を静かに見守るのがユーザとしてあるべき形である。