JRPGはなぜJRPGなのか | ゲーム後進国日本

JRPGはなぜJRPGなのか

インサイド 「JRPGを改善する10の方法」-海外からの提言
http://www.inside-games.jp/article/2010/01/16/39893.html

10.街を活き活きとしたものにする
9.無意味なプレイ時間稼ぎを止める
8.古典的な顔グラフィック&メッセージウインドーの方式を止める
7.一本道を止め、世界を探索する楽しさを入れる
6.ありがちなキャラクターを止める
5.ローカライズの際、声に配慮する
4.オンライン要素を導入する
3.自由にセーブさせる
2.ありがちな物語を止める
1.戦闘を楽しく新しいものにする


まあ言っていることは的を得ていると思う。
欧米化しろと言うのではなく、あくまでJRPGのダメな点を指摘している。

この記事の重要な所は、大手ゲームサイトがJRPGを名指しで批判していることである。ゲームに対する教養あふれるIGNの記者が、JRPGという大きなくくりに対して苦言を漏らしている。JRPGというジャンルはもはや公開処刑されても誰も咎めることが無いということだ。

個人的に言わせてもらえば、JRPGの問題点は一つ、何故同じようなものしか作れないのか。これが無ければどんなに駄作ばかり作っても、JRPGなんて呼ばれ方はされ無かったはずだ。何故日本のメーカーは、RPGに対して「戦闘システム」と「成長システム」しか凝るところを見いだせないのだろうか?新しい戦闘システムに大相な横文字をつけているのを見ると呆れてしょうがない。どうせ結局は相手の弱点属性を突くというだけだ。違うのはそこまでのアプローチが複雑かどうかである。

こうしてJRPGが虐げられると、「洋RPG」を批判する者が現れる。いったい洋RPGとはなんだろうか?oblivionのようなオープンワールドのRPGだろうか?それともdiabloのような見下ろしハック&スラッシュ?TRPGそのままのBaldur's Gateか?これは海外のRPGの多様さを説明しているのではない。例えば「アクションゲームは同じようなゲームばかりだ」と言えるだろうか?当然そんなことは無い。海外のRPGも、同じようにジャンルにとらわれること無く、宇宙的な広がりを見せている。既存のRPGの+αでしかないJRPGとは同じ土台に立てないのだ。

最後に。和洋RPG論争の際によく槍玉に挙げられるのがoblivionであり、「洋RPGはオブリしか無いw」などとマッチポンプする輩がいるが、一言言いたい。
JRPGすべてを引き合いに出しても、oblivionに適うJRPGは無い。
それが受け入れられないなら、懐古に浸るしかない。