MIYADAI.com Blog【重罰化の機能的波及効果】
>僕が「脱社会化」という言葉を使うことで「少年のモンスター化」という意味論をブーストしたという芹沢一也の物言いがありますが、物事の評価のバランスが著しく欠如しています。第一に、「少年のモンスター化」の意味論は、僕が「脱社会化」を言い始める前、酒鬼薔薇生徒事件直後から爆発しました。
いや、そんな最初に殴ったのは誰々くんだもんみたいな園児的物言いされても、「少年のモンスター化」言説に加担したことは認めるんだw
>第二に、僕の発言にそれほどの社会的影響力があればソーシャル・デザイナー冥利に尽きますが、今日ではアカデミックな物言いにそれほどの社会的影響力はありません。
半ば誇らしげに援助交際絡みの女子高生称揚言説でもって結果的にバックラッシュを招いてしまったと自分の社会的影響力について反省していたのは何だったんだ?
>そんなことより、僕が「脱社会化」を言い始めた意図がどうであったかを見るべきです。
そんなこと?いや少年がモンスター化(そもそも何をさしてモンスターというのかも疑わしいですけれど)という、警察、犯罪統計という定量的事実とまったく異なる妄想を主張したことが「そんなこと」なんだ'`,、'`,、'`,、('∀`)'`,、'`,、'`,、
ついでに学会に引き篭もらずに社会に対しての啓蒙作業に勤しむというのが彼の現在のポジションを正当化するとするならば、「意図」がどうであれ、その言説が何をもたらしたか、いや彼の言い訳をそのまま尊重するならば、悪いのは宮台だけじゃないよね。・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ヨチヨチ
>『従ってまた政治家の功罪に対する批判もどこまでも彼の政策が現実のもたらした結果によって判断されるべきであり、彼の動機の善悪は少なくとも第一義的な問題とはならない。政治家の責任は徹頭徹尾結果責任である。』
丸山真男「人間と政治」
え?政治家ではないですか?ただ啓蒙という社会的に影響を及ぼそうしている人間が、仮にも折に触れ、丸山真男について引き合い出すような人間が「動機」と「結果責任」の順序ぐらいわきまえてしかるべきかと。
>第一に、人格障害という言葉が含む社会的文脈への鈍感さを中和したかった。第二に、ある種の社会的文脈──例えば〈生活世界〉空洞化──を放置すれば、成育環境の分岐がもたらす動機の不透明化によって、平気で虫を殺せる子がいるのと同じ意味で平気で人を殺せる子が出てくる蓋然性が上がるのは当然だと主張したかった。この僕の主張したかったことが妥当だったかどうかを議論するべきです。
まあ、100歩譲ってですよ、宮台氏の主張したかったと称する内容の妥当性について議論してですよ。さて現実問題、平気で人を殺せる子が出てくる蓋然性が上がりましたか?それは単に少年が加害者の殺人数推移をみればいいことです。もうさんざん引用しているし、いちいちリンクも貼りたくないですけれど(警察白書、犯罪白書でぐぐりましょうね?)、平気で人を殺せる子は昔の方が多くありませんか?いや「平気」の意味が違うんだとか文学的なことを言い出すのでしょうか?「動機」についてうんぬんするのは社会的に納得できる「物語」が存するか否かであって昔の犯罪動機が今と違うという証拠はどこにあるんですか?ってなものです。定量的事実の前に誤差の範囲の妄想論を主張したという事実について評価したらどういう結論になるのでしょうね?
>もし妥当だとすれば、次のような結論になります。
よって論理学の示すところ前提が妥当ではないので結論以下は読む必要が無いです!
参考までに『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン ジェンダーフリー論争に潜む俗流若者論の罠
もどうぞ。
- つるべえさん、コメントありがとうございます。
せめて土井隆義「非行少年の消滅」のような書き方ならばこういう書き方はしなかったんですがね…今になって社会の眼差しの変化のことだったとか言われてもみたいな。とりあえず、少年犯罪データベースさまで集積されているような昔の少年の猟奇犯罪をみたり、あるいは共感がどうこうというのも逸脱の社会学の文脈でみれば新しくはないんじゃない?
さらにご関心がおありならばhttp://newmoon1.bblog.jp/entry/319452/ の記事+コメント欄のやりとりを参照くださいませ。 - commented by 遊鬱◆jnhN514s
- posted at 2007/01/18 23:07
- こんにちは。宮台氏の影響力はとりあえず置いておいて、貴方の主張の間違いを指摘します。犯罪白書に見られるのは数字であって、社会的文脈ではありません。簡単に言うとかつては反社会的に人が殺されましたが、現在は脱社会的に人が殺されるのです。反社会性は広義には社会が懐かれるので社会性に含まれますが、そういった社会性から逸脱しているのが脱社会性であり、ここで問題になっているのは酒鬼薔薇の行為に共感する同時代的に生きる子供たちが多数存在することです。こういった社会的文脈は単に少年が加害者の殺人数推移からは読み取ることができません。
- commented by つるべえ
- posted at 2007/01/17 18:00