これまで「百合姉妹」の休刊から「百合姫」への引継ぎまで何度か触れてきましたが、「百合姫」の創刊1号がでたのでそこから始めます。雑誌は作家陣の顔触れだけでなく、そのまま続きを連載していることもあって単に雑誌名が変わっただけという印象です(ただ森奈津子先生の百合についてのエッセーがつまらない相談に応えるコーナーになったのが残念)。でもそもそも百合の魅力とはなんなのでしょうか?
一大ジャンル、萌え属性として認知させた作品として「マリア様がみてる」をあげて否定する人はまずいないでしょう(その原作の魅力を台無しにする構成でもってアニメ化は黒歴史化しちゃいましたが)。ただ、この作品をメジャーなものとして押し上げるべく地味な布教活動に努めた人たちの存在がいたということを忘れてはいけません(まあ、私も学生時代勤しんだ人だけどさ)。つまり、百合という女の子同士の戯れに過剰な幻想を抱く熱心な信者がこの作品以前に存在したということです。そのルーツを遡って「リボンの騎士」とまではさすがに言いたくありませんが、「セーラームーン(Rとした方が正確?)」は源流の一つとして指摘できると思います。また私にとって自分の中に潜んでいた百合属性を明確に気付かせてくれた作品は「少女革命ウテナ」でした(幾原監督にとって時代の閉塞感を打破する存在として少女に期待していたのかな?)。これに「セイントテール」「カードキャプターさくら」などを足せば「マリ見て」に至った支流は押さえられるのではないでしょうか?
重要なのはいずれも少女漫画(「マリ見て」だって、その内容は限りなく一昔前の少女漫画「的」です)から出てきたということだと思います。どうして少女漫画だったのか?その答えは女性にとって少女から女性へと変わらざるをえないことで、「性」と嫌が応にも向き合わざるをえないことによるものでしょう。それは生物として生理という産む性であることから訪れる不条理な苦しみであり(この点を「マリ見て 紅薔薇さま、人生最良の日」ではきちんと描いています)、社会的にも男性(家、社会、国でもなんでもいいです)のために産む性、あるいは快楽に奉仕する性(ようやくホストが社会的に認知されるようになってきたが、水商売は女性を商品とするものが未だに主であること)であることです。
だからこそ、「性」ということが少女漫画にとって主要なテーマとなりうるわけです。24年組が切り開いた地平はその不条理をどう見つめていくかであり、自明視されている性の不条理を著すために男性同士の恋愛を描いたわけです。恋愛=結婚=育児という流れに異を唱えるために産む性という不純物を取り除くと純粋に恋愛(≠プラトニック)が残るというわけです。そして産む性という不純物を取り除く意味では女性同士であっても同様です(要は生殖が適わなければよい)。同じ同性愛をテーマとして、男性同士を描くか、女性同士を描くかの差は女性の視点を通して異性である男性を描くこと、同性である女性を描くことの差です。いずれも生殖を省くことで幻想的な美しさを纏いますが、一方は女性にとって理想像としての異性を描く(だからこそ、腐女子にとっては欲望を忠実に満たすジャンルとして隆盛を極めている。俗称「性コミ」に代表されるあからさまな男女の性描写に対する需要が男に取ってのアダルトビデオ、雑誌と同じ機能を果たすものであることとの差は+αとしての幻想です)。他方、女性同士の同性愛は基本的に友愛の延長上であり、また女性もある程度現実を担保しているのではないだろうか。
そして今、百合を享受しているのは専ら男性です。それは秘密の園を覗いている、見守っているという幻想を享受しているということなのでしょう。現実そのものの生々しい女性像にはワンクッション置いているがある程度リアルです。しかし生殖を除いているため生々しさが排除され、ただ純粋に見つめるという欲望が成立しうる。だからこそ、異性(自分自身を含めた)の存在は排除した聖域でなくてはならないということです。この点、妙に生々しい作品が出来上がっているとき、その構造は腐女子向けのボーイズ作品の登場人物を女性に置き換えただけ(=男性向けにした)ということで理解できるのではと思います。この点を書評日記 パペッティア通信さま「花咲けるジェンダーのテロリズム 『コミック 百合姫』創刊号」
で既存の性秩序を超越する可能性があるのに、安易な消費物として回収されていく、そして自分もその行為に加担しているというなんとも鬱屈した想いを表現なさっています。
…前置きのはずだったんだけれどどんどん長くなってきたので、最後に「百合姫」の対談から一部を引用して「アカイイト」へと移ります。
「First Kiss」を連載しておられる蔵王大志×影木栄貴(掲載漫画で百合姉妹に一度載せたものを再度そのまま流用という姿勢はいただけない)、両氏は次のように述べられています。
>影;実際、性的なことに関しては男が主導権を取ることが多いこの世の中に対して、ちょっと思うところがあるってことも織り込んで描いていきたいですし。そういう、女のゆったりとした性周期を待てない男に対する不満も描いているつもりです。
この辺りは上述した内容と重なります。
>影;私は「百合を思春期って言葉だけでこまかすな!」って言いたかったんです。思春期だけで終わる幻想だと思ってほしくない。
これは同感です。ただやはり、現代社会では多くの人にとって同性愛というのは今のところという留保付きですが、現実を乗り越えるための幻想、消費物、あるいはヘテロとしての代替物であるということ。本気で現実に同性愛を生きるというのはかなりしんどいということは覚悟しておくべきことです。
>影;幻想ばかり抱くなよ、なんて(笑)。結局、百合に興味があるライト層を百合に引き込まないと、百合ジャンルの発展はないと思います。だからやおい世界と同じで、いろんな間口を広げて、いろんなシチュエーションの百合を描いていかないと。ライト層を取り込めなかったら、そのジャンルは衰退するんじゃないでしょうか。ある程度の土壌にしなければ、百合そのものが淘汰されちゃう。
蔵;バリエーションがないとね。
影;だから、精神論だけでキラキラした百合が好きな人はわかるけど、ほかの百合も受け入れる心の広さを持たないと、百合自体がなくなりますよ。「受け入れろ」までは言わない、見ないふりしていいから存在は認めて欲しい。
蔵;もっと間口を広げるためには、可能性を広げていかないと。今まであったカタチだけじゃなくて、新しいモノにも手をつけていかないと。ライトな人たちは、間口が狭いとその時点で読んでくれないから。
また「多様性」かよと思われるかもしれませんが、私にとってなにより大切なもの(多様性と柔軟性が両天秤です)と考えておりますので、作品とは切り離して両先生のその志の高さには感動しました。
で、その百合の可能性、ジャンルの豊穣を図っているという点で是非にも、いや何が何でもお勧めしたいのがゲームの「アカイイト」
(近々廉価版
も発売するようです、ただ初回版の方についているアンソロジーは非常にお勧めなので、待てなければ買っても問題ないと思います。)というわけです。女性の性のサガそのものをメインテーマとしているわけではないが、切っても切ることができない「血」をうまく、伝奇もの(各所で語られるコネタ含め非常に緻密な世界を築き上げています)という本編に絡ませて独特の妖しさを表現しています。
発売からもう少しで一年(そして1周年と同時にCDドラマの発売がほぼ確定)経ち、先日ノベルも発売されました。ただこれはあまりお勧めしません、むしろWeb上で公開されているWebノベル「アカイイト」
(ゲーム本編でいうところの「此岸と彼岸」エンド、葛ちゃんルートのトゥルーエンドの位置づけ)の方がお勧めです。ただノベルの後書きでプロデューサーが述べている小説、漫画と比較したアドベンチャーゲームの強みは幾通りもの可能世界を見せること(これも「痕」「Air」の延長であり、付け足すならば実際に「アカイイト」でも行っているようにその可能世界の見せ方もルート管理によりできること)で、世界をさまざまな観点からより深く深く掘りこめるという意見には大いに肯くところです。
結末一覧(32あり、ハッピーエンドが5、トゥルーエンドが5、それに正規エンドに勝るとも劣らぬ魅力のあるエンド…例えば「やりたい放題好き放題」「鬼切りの鬼」「満開の花」もあり、決して作業ではなく喜び勇んで分岐図を見ながら埋めるいくことになるでしょう)を総て埋めたとき(そしてアルバムをも)、各単独ルートでは明らかにならなかった謎のピースが一つ一つ、一枚の綺麗な絵として収まりその美しさに感動するはずです。
是非プレイしていただきたいので直接のネタばれは避けますが、守られる性から守る性へ、家という柵に囚われる性、交換財としての性、無条件に包み込む母性としての性などジェンダー論を紐解けば必ず目の当たりにするようなテーマを網羅しています。単に伝奇ものと女性同士の恋愛を組み合わせれば百合という表現の可能性が豊饒化するとは思いません。きちんとした世界を構築した上で百合に本来流れている既存の性秩序に対する異議申し立てを含んでいることが素晴らしいのです。そして同時に決して「女性だから~」のようなフェミニズムっぽい言説を登場人物に吐かせて逃げるようなことはしていません、それらのテーマを解決することが物語の本編ではない以上、紡がれる物語の中でキャラクターの振る舞いによって自然と表現するに留めています。おそらくプレイした後にこの感想を読むと首を捻りたくなる向きもあるかもしれない。ただあくまで再生産を含まない一代限りの関係においてその生き方を選択しているということに想いを致すと納得していただけるかと思います。
総てを繋ぎ合わせる血…血は女性の象徴であり、家といった柵の象徴であり、家族という縁の象徴であり、性行為をも意識させます…が儚さと同時にどこまでも強いものとして主人公を介して物語を編み上げていく傑作として仕上がっています。
まあ、単に羽藤桂ちゃんの「私の血は甘いよ…。」なる最強の誘い受けの言の葉に悶えるだけでも充分です♥
- toppoiさん、こんばんわ~(密かにPS2ではなくパソゲー化を祈っていたことはここだけの秘密)。
また怖いコメントをAirは強烈な信者(鍵+京アニ)がくっついていますから気をつけてw KANON(今秋再アニメ化でどうなるかは知りませんが)でも奇跡のありがたみなんか皆無でした。裏にテーマも何もない単なるハーレム系(プレイヤーにとってね)のギャルゲー原作ならば、粉を次々とかけていくという各ルートを縦列に繋いでもある程度許容できても、それが許されない作品は正直しんどいと思いますよ。
>成り上がってしまっているのが非常に痛々しかった
基本的に誰か一人のために、主人公が主人公としての総てを賭けて~ということが出来ませんからね。特にAirの場合、主人公は見守るのみというスタンスなのに積極的にあっちゃこっちゃ(3人だけでも)鼻をつっこむのは違和感拭えないのは仕方ないところかと。「アカイイト」で柚明とサクヤ、烏月さんのルートを同時に攻略するお話を想像してみたらパンクするでしょ?
イベントを過不足なく描かれても、そんな誰にでも血を与える桂ちゃんは桂ちゃんじゃないし(※それこそ死にます)、既に桂ちゃんを守ってくれる特定の誰かがいるというのに、さらに自分の欲望の為に真相をばらして一線を踏み越えようとするキャラなんて萎えまする。
>抱えていた命題がうすぼんやりとわかってくる
確かに問題点から逆算で分かるということはあるかも、でもどちらかというと原作にある程度想い入れがないと、その種の疑問がたとえ浮かんだとしてもそのまま流しちゃいそうですよね。 - commented by 遊鬱◆jnhN514s
- posted at 2006/09/20 00:57
- こんばんは遊鬱さん。アオイシロ、PS2でよかったですね~。
ついさっきまで、Airのアニメをyoutubeでのんべんだらりと見ていたんですが、国崎往人が女の子の問題を解決する、都合のよい便利屋に成り下がって…ではないですね、成り上がってしまっているのが非常に痛々しかったです。ゲーム版佳乃ルートで、方術を失ってまで手に入れた幸せのありがたみが、一気に薄っぺらいものに…w!!
他の媒体に移植されたADVを見ていると、それ(というより、マルチエンディング、ルート分岐による構成そのもの)の魅力、抱えていた命題がうすぼんやりとわかってくる、というのはままあることですね~。 - commented by toppoi
- posted at 2006/09/19 01:47
- toppoiさんはとてつもなく恐ろしい仕事量を要求される課題に手を出されたんですね(感嘆の絶句)!全ルート、全分岐についてひとつひとつ解説とは…もう想像だにできませんよ!
>アカイイトを傑作ならぬ”大傑作”たらしめているのは、やはり斥候役である烏月ルートの力添えが大きいと思います。
本当にそうですよね…。柚明とサクヤさんのルートがメインシナリオ(背景に控える歴史・構図としてね)としてその双方に対して等しく伏線を蒔いていますから。これがだらだらと説明台詞でもってやられるというなら(べ、別に他のゲームを非難していませんよ!)分かるのですが、烏月さんのシナリオもそれ単体でもって初めてプレイしたときに魅力的な恋愛物語を紡ぎだしていますから。このシナリオの凄さが分かるのは全体図が埋まってからでないと気付けないですよ。 - commented by 遊鬱◆jnhN514s
- posted at 2006/05/29 23:36
- トラックバックさせていただきました。下のコメントで私が延々垂れ流しているたわごとを纏めれば、おおよそ「シナリオ解読」の序文になります。
遊鬱さんも書かれていますが、やはり烏月ルートはオープニングナンバーとしては出色の出来ですね。起承転結のはっきりとしたスムーズな物語運びをしながら、続く他のルートへとつながる複線をばらまき、そしてコンプリート後の再プレイではまた別の新鮮な驚きを与える、なんていう奇跡に近い離れ業をやってのけていますよ。アカイイトを傑作ならぬ”大傑作”たらしめているのは、やはり斥候役である烏月ルートの力添えが大きいと思います。
それにつけても、麓川さんは複線を巧みに隠すことや目線の逸らし・ごまかしがうまいっすよねぇ。以前の記事でしたためた烏月ルート二回目プレイの興奮は嘘偽りありませんよ。 - commented by toppoi
- posted at 2006/05/29 01:57
- 転載のお礼を言いに来たんですが、おお!?何やらすごい感想文が!?何はともあれ、ありがとうございました。
- commented by toppoi
- posted at 2006/04/03 22:47
- toppoiさんのレビューに猛烈に感動しています(掛け値なく)。その力作に紛れて世界で初めてとか誉められていてむしろ恥ずかしいほどですが、拙文でよければいくらでも好きなようにお使いください。
- commented by 遊鬱◆jnhN514s
- posted at 2006/03/31 00:00
- こんばんは、遊鬱さん。今回はちょっとしたお願いに参りました。
http://newmoon1.bblog.jp/entry/215445/
この遊鬱さんのアカイイトの記事を、保管庫のアカイイト紹介/感想ページに転載させていただけないでしょうか。 - commented by toppoi
- posted at 2006/03/30 23:29
- toppoiさん、どうぞいくらでもコメントしてください。その留め様もなく迸る想いには感動すら覚えています。私にとってアカイイトが好きというだけで魂のどこかが触れ合っていると思っています。
>アカイイトを物差しにしてしまうのでどうにも期待値が高くなっていけません
そうなるでしょうね、キャラが魅力的なだけでなく、キャラが配されている世界も魅力的な作品となると数えるほどしかないと思います。もし見つかったならぜひとも教えてください。
>ルートの分岐・封印は、話の盛り上げや演出にも一役買っているかと思います。
そうですね、封印が解かれる順番=物語の見せ方のコントロールそのものであって、徐々に世界が豊饒化していくさまにはただただ驚嘆するしかないです。これが最初にユメイ、サクヤルートから入り、烏月、葛では全く異なる印象を覚えたのではないかと思います。その意味でノゾミちゃんシナリオは完全にオマケなんでしょうね。あえていうと家に縛られる性という点で他のルートに比べて明らかに少ない葛ルートの補完を成しているのかも。
>”可能世界”とはこういうことを指している
仰るとおりです、同じ状況でもこの場合桂との関わりによって色々な世界がありえたということです。 - commented by 遊鬱
- posted at 2005/12/31 02:09
- すいません、3回目の投稿です…w。アカイイト熱は一行に冷めません。
>アカイイトがアドベンチャー初プレイとは実は不幸なことになるかもしれませんよ。
…遊鬱さんの懸念通りになりました。いくつか名作と名高いものに手を出したんですが、見事肩すかしを食らいました。アカイイトを物差しにしてしまうのでどうにも期待値が高くなっていけません。
アカイイトはルート分岐と封印を驚くほど効果的に扱っていますね。今さら気付きました。話の詰め込みすぎを防いでいるとともに(ノベル版を担当した方は情報量が多すぎて大変だったでしょうね…)、キャラクター造形などにも寄与しています。それぞれのルートで語られる以上のことをこちらは知っているわけですから。(もっともこれはアカイイトがルートごとの矛盾・破綻がないからこそ成り立っているわけですが)
また、ルートの分岐・封印は、話の盛り上げや演出にも一役買っているかと思います。
それまで桂ちゃんの守護霊的な役割に徹していた少女が、自分のルートでふとヒロインに変わる瞬間(「…例え桂ちゃんが傷つくことになっても~」のくだりは涙なしで読めませんでした)。自分のルートではヒーロー的ポジションだった彼女が、他ルートの最終決戦で魅力的な脇役として助太刀してくれる瞬間。たまらなく興奮しました。
葛ルートで自分の正体を告げられないまま今生の別れとなった彼女を知っているからこそ、「白花の咲くころに」の幸福感がより確かに伝わってくる。仲違いのまま終わってしまった鬼と鬼切りを知っているからこそ、また彼女のルートでその悲痛な過去を知っているからこそ、あそこでの共闘・和解がより感動的になっているんだと思います。(遊鬱さんの言う”可能世界”とはこういうことを指しているのではないかと思ったんですが。取り違えていたら申し訳ないです)
何度も何度もすみませんが、5つのルート、32のエンドが絶妙に交わりあう練りに練った構成だからこそ、幾度もの再プレイにも耐えうるんだと思います。
まだ肝心の「桂ちゃん萌え」と「百合」について触れてませんねw。またそのうちにコメントしてもよろしいでしょうか?
迷惑なようだったら自重します。 - commented by toppoi
- posted at 2005/12/30 18:46
- konさま、コメントありがとうございます(お褒めにあずかり光栄です)。
>既存の百合作品における男性キャラクターの扱い方(噛ませ犬的立場や、『男性不信』の原因等)に不自然さを感じていたので(「男がダメだから」という安易な理由付けは、「ヘテロからの逃げとしての百合」とも受け取れるため)、確固たる信念を持ち、女性キャラクター達と同格に扱われたケイ君には非常に好感を持てました。
そうですね、指摘されて初めて気付いたんですが確かにケイ君の在り方は既存の百合作品と一線を画す重要なポイントとなっていますね。単に伝奇ものの鍵として双子が配されたというだけでなく、男性不信・不在(主は除く)という異性に否定的な価値観に拠っての百合ではないということを、烏月、ユメイシナリオでそれぞれ頼りとなる異性、父性としての男性性を表現しています。また主にギャルゲーに顕著ですが(Keyを除く)、主人公に関する家族の排除とも主にサクヤ、ユメイシナリオでもって一線を画すことに成功しています。
脱線かもしれませんが冒頭に前置きのつもりで記した現在の百合ブームへの不満(ハーレムの延長線上にある男性の消失、過剰な幻想)と繋がる否定的な立ち位置から別の思想を表現するのではなく、単に異なる価値観があるということを示したこと、そのメッセージを受け止めることが出来た人が星の導きにしたがって(冗談)集えたことが息の長い作品となりえた(もちろんほんまPの力が大きいですが)原動力たりえたのでしょうね(一過性のブームとしてのキャラ消費ではなくて、思想としての受容)。まあそれでも桂ちゃん萌えであることは隠せませんが。 - commented by 遊鬱
- posted at 2005/12/11 20:27
- はじめまして。アカイイト関連の検索をしていたら、素敵なコラムを見つけたのでコメントを送らせてもらいますね。
アカイイトを購入したのは通常版が発売されて間もなくだったのですが、その魅力に魅せられてからというもの、ずっと追い続け、現在に至ります。
それまでの百合ものを踏襲しつつも、家族愛、母性愛、友愛etcによって紡がれる「絆」を根本においたアカイイトのストーリーは、百合という一ジャンルの枠に収まらないほど素晴らしいものでした。
そのストーリーを支えていたのが魅力溢れるキャラクター達だったのは言うまでもないことですが、そのなかでもケイ君の存在は(これまでの百合作品との対比も交え)大きかったと思います。
女性だけで紡がれる物語としての百合を好む人達(言い方を変えれば、百合に女性同士の深い交流を求めると共に、男性の排除をも欲する人達)には評判の悪い彼ですが、百合作品に置いて、彼ほどまでに魅力的に描かれた男性キャラクターというのは極めて稀ではないでしょうか。
もちろん、彼が関わってくるのは主にアカイイトの伝記要素的部分であって、百合部分にはほとんど顔を出していません(もし積極的に絡んできたら、それこそ非難囂々だったでしょうが)が、それをふまえても彼の立ち回らせ方は見事だったと言うしかありません。
既存の百合作品における男性キャラクターの扱い方(噛ませ犬的立場や、『男性不信』の原因等)に不自然さを感じていたので(「男がダメだから」という安易な理由付けは、「ヘテロからの逃げとしての百合」とも受け取れるため)、確固たる信念を持ち、女性キャラクター達と同格に扱われたケイ君には非常に好感を持てました。
ジェンダーで言えば、ユメイ編のラストで見せた、包み込み愛おしむ母性を持ったユメイと、導き見守る父性を持ったケイとの対比は百合作品の枠を越えた普遍的なものだと言えるのではないでしょうか。
アカイイトの話題なのに延々と華がない話をしてしまいましたね(苦笑)
言い訳がましいですが、もちろん女性陣も、とりわけ桂ちゃんは大好きですよ。 - commented by kon
- posted at 2005/12/10 21:04
- toppoiさんこんばんわ、通りすがりから改めのコメントありがとうございます!
アカイイトがアドベンチャー初プレイとは実は不幸なことになるかもしれませんよ。今後この作品を基準してしまうと大半の作品が…どの程度のライトノベルを想定するかにもよりますが>ボイス付きのライトノベルみたいなもの、どころか二次創作みたいなものです(構成、骨格において大差ないです)。
アカイイトの魅力について全く同感です、全体、そして個別ルートが互いに協力し合って、そして各キャラクターの魅力を引き上げていく。キャラクターの魅力として性格自体によるものに加えて、巨大な物語の中で割り当てられている役割がさらに心を揺さぶってなりません。このようなゲームで主人公に魅力を感じることなどまずないのに(できるだけ無色透明で、個別ルートのキャラクターに感情移入させるのが主)、桂ちゃんに関しては(以下恥ずかしいので略)
複数の小さな物語、視点を利用して、背後に流れている大きな物語(歴史?)を浮かび上がらせるという手法は、単に視座をずらすだけでなく、可能世界をしかもその見せ方(順序)も含めて、ルート管理が可能な点がゲームの強みだと思います。ただそれだけの物語、設定、世界をキャラクター個別の物語とは別に作り出すというのは本当に難しいのだろうと思います(後者だけで充分商品として成り立ってしまいますから、まさに製作者の何かを伝えたいという強烈な意思の力が必要ではないかと)。
葛ルートがちょっぴり浮いてみえるのは、葛だけ桂ちゃんとのイトが今回出会うまで見えなかったことに由来するのでしょう。蛇足ですがCDドラマは純粋にファンアイテムなんでそれ自体としてはあんまりお勧めしません(私はアカイイトに狂っているので充分に堪能させてもらいましたが)。 - commented by 遊鬱
- posted at 2005/11/28 01:55
- 通りすがり改めtoppoiです。2回目の書き込みをさせてもらいます~。
アドベンチャー・サウンドノベルゲームはアカイイトが初プレイだったのですが、堪能しましたよ…。ボイス付きのライトノベルみたいなものだろう、というのがそれまでの認識だったのですが、浅はかでした。
>アドベンチャーゲームの強み
>各単独ルートでは明らかにならなかった謎のピースが一つ
>一つ、一枚の綺麗な絵として収まりその美しさに感動するはず
こういう表現技法はアドベンチャーならではのものですよね。僅かながらも同じようなカタルシスが味わえるのは、マンガや小説ならば「からくりサーカス」「IT」といったごく一部の秀逸な作品だけではないでしょうか。
アカイイトは、それぞれのルートが凹凸でがっちり組まれているところもなかなか感慨深かったです(葛ルートだけはちょっと浮いている感がありますが)。
ノゾミ・ミカゲの「10年前は~」発言や、サクヤさんの「これで3度目…」の2度目の謎、烏月さんの「先々代をたぶらかし…」「先代は見る目が…」、またケイくんやユメイさんの存在そのものなど。
このような複数のルートにまたがっているネタが、それぞれのルートを繋ぎ止める膠の役割を果たすと同時に、個々のルートのシナリオにえも知れぬ奥行きを生んでいるのだと思います。
さまざまなルートを組み合わせることによって、巨大な物語の全貌が伺えて、同時に個々のルートがさらに充実してくる…という凝った構成が、アカイイトの魅力の一つではないでしょうか。 - commented by toppoi
- posted at 2005/11/27 00:47
- >通りすがりさんコメント本当にありがとうございます。大好きなアカイイトについての想いの丈を晒したものについて、アカイイトのファンである別の方の目を通して共感してもらえたということは本当に嬉しいです。
最後のオチは桂ちゃん萌えということを隠し切れませんでした(この種のゲームで主人公にこんな感情を抱いたのは初めてです)。 - commented by 遊鬱
- posted at 2005/11/07 22:11
- 検索でこの記事にたどり着きました。
あまりに素晴らしい内容だったので書き込ませてもらいました!
アカイイト、おれは通常版からのファンですが、その魅力が余すところなく伝わってきますね…。感激です。いやホント。
あ、最後のオチもいいですね! - commented by 通りすがり
- posted at 2005/11/07 00:57
- >管理人@KKさんコメントありがとうございます。
池田理代子は完全に盲点で、ベルバラやエカテリーナといった歴史モノしか読んだことありませんでした。探して(実物を見て買いたい人なので)買ってみようと思います。
>制度内制度に安住し続ける『マリ見て』
当初は違ったように思うのですが、ブームの中で続けることが自己目的化して安きに流れてしまったのですかね。「制度内制度に安住」は最近の作品に関して連載が長期化すればするほど普遍化しますね。 - commented by 遊鬱
- posted at 2005/08/07 22:34
- 百合ものルーツといえば、池田理代子の『おにいさまへ』ですよ。『マリ見て』の元ネタはこれ。
本質的には、百合というよりも、稀代の破壊的エンターテイメントなんですけど、今読むと、その壊れっぷりが制度内制度に安住し続ける『マリ見て』より、ずっと納得して読めたりします。
そういえば、24年組も女対女の関係を描いてますけど、今で言う百合にはなってませんでしたよね。
どちらかというと、依存や多干渉として描かれていた気がします。
- commented by 管理人@KK
- posted at 2005/08/06 00:45