神奈川県のゲーム規制に対する質問への回答 | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

先に県知事ブログに公開しましたが、いつ消されてもいいようにこちらにも記録として残しておきます。

以下、基本的に原文ママ(本名は伏せさせていただきましたが)です。ただ読みやすいように回答に対応した質問(赤字)は挟ませていただきました。この質問は当該ブログが始まって以来数多く寄せられた(他人行儀なものではなく寄せた一人でもありますが)批判・疑問を赫々さまが整理されたものです。

>日ごろから神奈川県政にご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。このたびは電子メールをお寄せくださいましてありがとうございました。ご提案につきましては次のとおりお答えいたします。残虐ゲームソフトの有害図書類指定について、いくつかのご質問がありましたので、順次お答えします。いくつかのものはまとめてお答えいたします。

Q1.条例で規制する前に、何故自主規制団体に対して活動強化の呼びかけ、あるいは話し合いの機会を持とうとしなかったのか。

Q13.定例記者会見において、反対意見があろうとも落胆することなく信念に従って努力すると発言したが、これは、「反対意見になど耳を貸さない。わたしを支持する声だけあればいい」という意味合いに受け取れるが、そう受け取ってしまっていいのか。

>まず、1番目、13番目の質問についてお答えします。条例で規制する前に、何故自主規制団体と話し合いの機会を持たなかったのかということですが、青少年保護育成条例の有害指定は既に販売されている「図書類」そのものの内容を条例及び規則に照らし判断するものであり、個々の指定に関して関係者等と事前に話し合うということはありません。しかしながら、指定後ゲームソフト関係業界での自主規制の動きも見られ、条例での規制ももちろん必要ですが、関係業界の自主規制の取組みが何よりも大切であり、また、望ましいと考えていますので、さらに関係業界の一層の自主的な取組みを注視していきたいと考えています。

Q2.法律で規制を行う場合、科学的(学術的)根拠が必要不可欠である。それが証明されていないと自分で言っていながら規制を実行したのは何故か。

Q6.松沢氏は少年犯罪がどんどん増えていると思っているようだが、そんな事実は存在しない。既にいくつかの資料で裏付けられた通り、日本国内における少年犯罪、性犯罪の発生率は数十年も昔から減少傾向であり、現在も変わらない。この裏で残虐・性的ゲームの市場が拡大し続けてきたことを照らし合わせれば、ゲームの存在が少年犯罪の発生原因でないことは明白であると考えるが、どうか。

Q9.報道の内容を鵜呑みにし、事実であるかどうか検証しようとせず、「少年犯罪の原因は残虐ゲームである」という自論を支持する内容だけに耳を傾ける。また、「犯罪を犯した少年は残虐ゲーム愛好者だった。だから少年を犯罪に走らせた原因は残虐ゲームだ」などという、”強力効果論”と呼ばれる数十年も昔に死んだ論法で条例を打ち出すことに対してどう思っているのか。

Q16.松沢氏が発表の中で度々ほのめかしている「ゲームの長時間プレイによる子供の脳への有害性の科学的証明」は時期的におそらく『ゲーム脳』のことだと推測されるが、この『ゲーム脳』の理論が既に各方面の専門家達から批判を集め、信頼するに値しないイカサマ理論として定着しつつあることを松沢氏はご存知か。

>2番目、6番目、9番目、16番目の質問についてお答えします。科学的根拠が必要不可欠とのことについてですが、少年事件などの犯罪行為との因果関係を直接問うものではなく、福祉的教育的な視点から青少年が健全に育っていくための社会環境づくりという視点からの指定です。

Q3.『言論・表現の自由』をどういうものとして受け止めているのか。

Q4.日本は民主主義国家である。いかに過激、あるいは性的、あるいは特殊な内容の作品だとしても、たとえ少数とはいえそれを欲している人間が存在するのならばそれを侵害する権利は誰にも無い。特定の誰か(今回の場合は松沢知事)が特定の価値観によって作品を規制することは反民主的だと考えられるが、松沢氏自身はどう思うのか。

Q5.民主主義国家である日本においては、こういった表現規制関連の問題は国民の自主性に任せられるべきものであるが、それでもなお松沢氏が規制に乗り出したということは、松沢氏は神奈川県民を信頼していないということなのだろうか。

>3番目、4番目、5番目の「言論の自由・表現の自由」など民主主義に関するご質問についてお答えします。国民の基本的人権である言論・表現の自由は最大限尊重されなければならないことは当然のことですが、これは無制限に保障されるものではなく、公共の福祉のために必要ある場合は、その時、所、方法等につき合理的制限がおのずから存在するものであり、青少年の健全育成という社会的目的を考えるならば一定の制約もやむを得ず、憲法21条第1項に反するものではないとの考えは、判例においても示されています。

Q7.審査の方法に問題がある。まず、無数にあるゲームの中からほんの数本しか選ばなかったという時点で公正さに欠ける。次に、ゲームをプレイした映像を10分に編集したビデオを使って審査しているという点。ゲームは自ら遊んでこそゲームである。たった10分の映像だけを観てゲームを審査するなど笑止である。また、その映像が恣意的に編集されていないという保障が無い。意図的に残虐なシーンだけを集め、審査員の印象を操作することを狙っている可能性があるため、やはり公正さに欠ける。松沢氏はこのような問題だらけの審査の方法をどう思っているのか。

Q8.審査における指定の基準にも問題がある。「自主規制を待つだけでは状況は悪化するばかり」などと言っておきながら、県が提示した審査基準は”残酷””性的”の定義もはっきりさせておらず、いくらでも拡大解釈が可能な非常に不明瞭なものである。自主規制団体CEROのそれと比べても、粗雑な内容であるとしか言いようが無いと考えるが、どうか。

>7番目、8番目の審査方法、審査基準についてお答えします。審査方法につきましては、限られた一定の時間内に審査するため最初から終わりまでの全てを見るわけではありませんが、これは特定の場面を恣意的に拾い出すのではなく、最初の場面から連続して提示しており、ゲーム全体の内容を判断するに相当なものと考えています。また、審査基準につきましては青少年への現実的な影響を重視し、場面設定が現実社会に近く、暴力性や残虐性が極めて高いことを指定の基準にしたところです。

Q10.残虐な内容のゲームを規制するのであれば、同様に残虐、非人道的な内容を含むドラマ作品、映画作品、報道番組なども規制されて然るべきではないのか。何故ゲームだけが有害扱いなのか。

Q11.確かに過度に残虐、性的な内容を含む作品は青少年の精神に悪影響を与える可能性がある。しかし、同時に抑圧された欲求の捌け口として機能する場合もあるはずだ。松沢氏はこういったことは考えなかったのか。

Q12.安易に過激な内容の作品を子供から遠ざけるよりも、「そういうものがこの世の中にはあるんだ」ということ、そしてそういう過激な内容の作品との上手な付き合い方を教えることこそが真の意味で青少年の健全育成に有効なのではないか―という意見が多く出ているが、松沢氏はどう思うか。

>10番目、11番目、12番目の質問にお答えします。ゲームソフトに限らず青少年の健全な育成を阻害する残虐的、非人道的な内容のテレビドラマや映画なども規制されるべきであり、既に一定の自主規制もなされています。なお、ゲームソフトは自らが操作するという特徴がある故にテレビと比べ青少年への心理的影響は一層深刻であると考えています。また、欲求のはけ口として機能するというご意見や過激な内容の作品との上手なつきあい方を教えるべきとのご意見につきましては、優れた芸術や健全な野外活動などが青少年に必要であり、そのような考えには賛同しかねます。

Q14.ゲームの内容は全て例外なくフィクションである。現実で体験できない事を擬似的に体験できることこそがフィクションの醍醐味である。無論、それらの疑似体験の中には犯罪行為が含まれる場合もあるが、現実ではないので問題はない。現実と虚構を混同しているのは松沢氏の方ではないのか。

>14番目のご質問ですが、青少年の人間形成における影響にとっては、現実の空間であろうとバーチャルな空間であろうと同様ですが、特に、今日ゲームソフトの表現は、大変リアルになっており、その影響はより一層大きくなっています。

Q15.安易な規制強化は、日本独自の文化であり同時に大きな経済効果を発揮するアニメ、ゲーム産業を衰退させる危険性があるが、松沢氏はこれについてどう思うか。

>15番目のご質問ですが、ゲーム産業が世界に向けて継続的に産業として発展していくためにも、作品の内容が健全で良質なものが求められているものと考えます。

Q17.ゲーム規制よりも、地域社会の育成や性教育の見直し、家庭問題、世代を超えた交流の推進などの問題に取り組んだ方がよっぽど有益であるとの意見が多く上がっているが、松沢氏はどう思うのか。

>17番目のご質問ですが、地域社会の育成や性教育の見直し、家庭問題、世代を超えた交流の促進などの問題につきましては、ご指摘のとおり重要な課題であり、同様に取り組んでまいりたいと考えています。


>次代を担う青少年が健やかに成長することは県民すべての願いであり、青少年が健全な環境の中で育てられることが望ましいことはいうまでもありません。そのためには、青少年を取り巻く望ましくない社会環境から青少年を保護し、青少年が心身ともに健全に成長するよう図ることが求められています。そうした取組のひとつとして、神奈川県青少年保護育成条例では、青少年の性的な感情を著しく刺激したり、残虐性を甚だしく誘発し、青少年の健全な育成を阻害するおそれのある図書類を「有害図書類」として指定し、青少年に対して「有害図書類」を販売したり、貸し付けたりすることを禁止しています。この「図書類」には、ゲームソフトのように電子情報を内蔵したDVD等も含まれていますが、ゲームソフトにつきましては、その操作性などの問題から具体的な指定に至っていなかったため、今回の審査により指定を行ったところです。

>×××様におかれましても、こうした趣旨をご理解いただき青少年を取り巻く社会環境の健全化、青少年の健全育成にお力添えくださいますようお願いいたします。参考までに、今回回答いたしました事柄につきまして、さらに詳しいお問い合わせがある場合には、県民部青少年課地域環境班 尾崎(電話 045-210-1111内線3848)で担当しておりますことを申し添えます。県では、神奈川の新しい時代を切り開き、活力ある地域社会をつくるため、さまざまな課題に取り組んでおります。これからも、あらゆる機会をとらえて皆様のご意見をおききし、明日の神奈川づくりを皆様とともに進めてまいりたいと考えております。晩夏の候、ご健康に留意され、お過ごしください。

平成17年8月19日 ×××様
神奈川県知事   松 沢 成 文
整理番号 №××× 県民部広報県民課わたしの提案班 加賀美
〒231-8588 横浜市中区日本大通1
電話(045)210-1111 内線3672・3673 ファクス(045)210-8833


以上です。偏見無く読んでいただけるようにあえて各回答に対するコメントは附しません。この回答を読んでどのように感じるでしょうか?疑問があれば直接受け付けてくれるそうなので上記℡まで問い合わせることをお勧めします。


参考となりそうなページも推進した方々の意見、それに対する賛否両論あわせて最後に付け加えておきます。これらは総て>「憲法21条第1項に反するものではないとの考えは、判例においても示されています」とのコメントに対するものです。

Comments
>sakさん改めてこんばんわ。

実は12月13日号の週刊「エコノミスト」に載っている奈良原氏の記事はこの点珍しくバランスがとれていると思いますので是非一読をお勧めいたします。そして当該記事でのインタビューでも松沢某はグランドセーフをプレイしていた人間(おそらく板橋の事件ですが、それならばむしろ両親が創価信者であったことの方が説得力ある説明を構成できると思うのですが、それは保留しておきます)が犯罪を犯していると述べています。この点は電話での担当者とのやりとりでゲーム悪影響論が非科学的であるということを認めていることを思うとますます絶望感に囚われてしまいます。

直接、その無根拠な妄想であることを指摘されるとそれを認め、そういった科学的事実を知らない人向けにはあいかわらずゲーム悪影響論を振りかざす。教育的配慮とは一体何なのでしょうね?悪影響論を否定するならばその時点で、教育的配慮もなにも成り立たないはずなんですが。そうまでして憲法違反の恐れがあることをポピュリズムか、個人の妄想かは知りませんが邁進する人間には不信感を抱かざるをえないと思います。
commented by 遊鬱
posted at 2005/12/10 00:30
>嵐風人さん、こんばんわ。確かに自由についても一定の制約が課されることがあるというのは事実です。ただ制限する自由の性質に基づいて、きめ細かく制限が許される(やすい)自由、原則許されない自由があります。例えば経済的自由は一定の合理性があれば制限が許容的であるのに対し、精神的自由については原則制限不可というのが法学の考えるところです。それは憲法にも明記されている制限を許容する「公共の福祉」とはあくまでも他者の自由との重なり合いをどう処理するかというもので、何か独自に「公共」という概念で成り立つものではないからです。この点で精神的自由に関して他者の自由と競合するということがほとんど考えられないというのが、その制限が許されない理由というのが大まかなところです。

遠まわしな回答になっていると考えるかもしれませんが、あくまでも民主主義は自由主義を目的とする手段にすぎません。改めて聞いてみたいと思います、今回のゲーム規制にかかる問題は列挙されている規制理由を読んでもどう考えても精神的自由にかかる問題だとは思われませんか?
commented by 遊鬱
posted at 2005/12/10 00:15
>嵐風人さん

こんな事務的な回答、とてもじゃないですが「素晴らしい」とは言えません。民主主義といいますが、行政の対応は明らかに独裁的です。知事の過去ログや反対派のブログで勉強すればわかることです。
子供だから自由を制限すべきというのは大人の傲慢にほかなりません。残虐ゲームが子供に良くないと思うならば自ら遠ざければいいだけのこと。行政に丸投げする必要はありません。
大人も子供も自由には責任がついて回ります。「大人は特別」という感情は通用しません。
commented by sak
posted at 2005/12/09 21:42
こんにちは。素晴らしい回答文だと思います。権利には義務があるように、自由にも制約されることがあります。まして、未成熟な未成年に対してですから、当然です。なんでも自由という考えは恐いですね。民主主義のありがたみを理解していないですね。
commented by 嵐風人
posted at 2005/12/09 14:47