神奈川県のゲーム規制に対する質問への回答2 | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

「生きることも死ぬこともイヤな人のための本」(著)中島義道 「デリダの遺言」 (著)仲正昌樹 と両哲学者の思索を新刊として続けざまに読んだことが伏線といえば伏線。中島氏の論考は「時間論」以来、その人は必ず死ぬという不条理と向き合わざるをえないとする、たっぷりの諦念とともに歩む「べし」(注)この「べき」は「命令」ではなく「適当」の意という哲学は100%同意であるがゆえに口に甘いが新たな気付きは得られなかった。つまり価値観としてシンプルなので頑強なんですが汎用性を欠く(何を突きつけられても「だから何?」で返せるが、逆に大っぴらに主張すべき類の哲学ではない、同じく「だから何?」で返されてしまう程度のものといえばそう。

他方、仲正氏の不特定多数に寄せる怒り、苛立ちもまた共感してしまうがゆえに口に甘いのだが痛い。「生き生きとした言葉」を必死になって否定するその姿もまた「生き生きとしている」というのはさすがに難癖に近いと思うが、端々に滲む左右の区別なく「生き生きとした言葉」に吸い寄せられる人々に対する怒りはまさに生き生きとしている。それは言説の次元としては比べようもないほど纏まりもない日記で気になるニュースを貼り付けては同様なスタンスで愚痴めいたコメントを付している私自身の痛さでもあります。

神奈川県のゲーム規制に対する質問への回答 の続きというか終戦の譜(これでもってよく訪れるブログからは消します)です。とりあえず経緯をさらっと記すと前回の後、直接電話で担当者とやりとりをした結果、口頭では論点が散逸するということでメールでのやりとりに切り替え(直通のメルアドを教えてもらい、そのアドに届いたことまでは確認済)回答待ちのまま時を無駄に過ごしてきたというところ(一ヶ月待った上で毎週のように催促をしてきましたが)。

送信したメールをままが以下の通り(電話でのやりとりの上にある質問項目なので、質問意図含め赤字で補足してあります)。

>先ほどは突然のお電話に丁寧な応対をしていただいてありがとうございました。電話では論点がぼやけてしまうということでしたので、改めてメールで返答いただけるということについて厚くお礼申し上げます。

>Q1.>青少年の健全育成という社会的目的を考えるならば一定の制約もやむを得ず、憲法21条第1項に反するものではないとの考えは、判例においても示されています。とのことですが具体的な判例の教示をお願い致します(岐阜のものではなく三重とおっしゃられていたので)。

特に補足する必要はないと思いますが、制約の仕方として思想良心の自由にかかる(表現の自由もその中に含まれる)以上、安直に規制可で流用できるわけがなく、規制の仕方をきめ細かくみることが当然だという問題意識にのった質問でした。

>Q2.その判例は直接ゲーム規制にかかるものでないと考えますが、その判例を総てのメディア(テレビ、書籍等)規制に類推適応可能と考えるというのは、総務省等の公式見解なのでしょうか?

今回の条例が松沢の暴走なのか、国の後ろ盾あってのことか調べようと思ったのですが、その後、埼玉、岡山、東京都と続々と同様の条例が制定される方向に流れているところから公式見解なんでしょうねorz

>Q3.メディアの有害情報の影響を受けて青少年が犯罪を起こすという因果関係が立証された例はこれまで一つもなく、今回の条例はその点と関係ないというのは、尾崎氏個人でなく神奈川県における公式見解(知事が板橋の事件においてゲームの影響云々を言われたのはメディアの一時的影響に過ぎない)ということでよろしいでしょうか?

ここが重要なところで、ゲーム悪影響論が科学的証明のないことを認め、今回の条例は「教育上の見地」に立っているとの説明でしたのでならば知事の無責任なゲーム悪影響論に立っているとしか考えられないコメントについて聞いてみたというところです。電話でのやりとりでは知事個人の考えは忖度できないとその点についての回答は拒否されましたが、再度その点を文面で確認したいと思いメールの問いに入れました。

>Q4.>限られた一定の時間内に審査するため最初から終わりまでの全てを見るわけではありませんが、これは特定の場面を恣意的に拾い出すのではなく、最初の場面から連続して提示しているとの件について、別に10分に編集するというわけでなく、初めから終わりまで録画しそれを審査員が判断できるところまで見続けて判断しているということでよろしいでしょうか?

>Q5.また審査対象について、作品のテーマやメッセージ性とは関係なく、条例に該当する残虐・暴力的シーンがあれば機械的に審査対象に加えるということでよろしいでしょうか?(もののけ姫やゴッドファーザーも関係なく)

これも重要なところと考えます。何をもって条例にひっかかるのかという具体的な基準を聞いてもそれはやれば分かるとの一点張りでしたのでそんな曖昧な基準でいいのかと論争になったところでもあります。結果、引き出された回答が上記の問いそのものでこれも再度確認のため問いに入れました。つまりある一定の思想に基づいて判断するのではなく、機械的に一般人の基準として残虐シーンにあたるとおもわれるものが含まれれば総べて審査対象にするということでした。

>Q6.その審査に用いたビデオは情報公開の対象には含まれていないということでよろしいでしょうか?

これは情報公開に積極的というポジションをとる知事に対する嫌味でした。上記問いで確認した通りに編集を加えず、そのものをただ撮影しただけということならば別に重要な質問ではありませんね。

>Q7.>メディアに因る悪影響とは関係なく、青少年を取り巻く社会環境の健全化、青少年の健全育成こそが目的であるとのことでしたが、その健全な少年(少女)像とはいかなるものなのでしょうか?個別具体的な像を思い描いているのではなく、横浜や新宿の浄化、コンビニでの猥雑な図書の販売等を排除することが健全化させるという趣旨ならば、結局のところ影響論の元にあるのではないでしょうか?

これはメディア悪影響論を排するならば当然に浮かぶ疑問です。この点は電話のやりとりでは一切確認していません(他のやりとりでお互いに消耗してしまい、この段階にまで踏み込めませんでした)。

>Q8.今の社会環境が悪いものだという認識に立たれて諸政策をうたれているということですが、それこそ松沢知事が少年期と比べれば3分の1近い件数(人口比に直して欲しいとのことでしたので→http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html がわかりやすいと思います)にまで少年犯罪が減少している過去と比較してよりよくなった原因を模索しないのはなぜでしょうか?よりよくしていくことが大人社会の努めとおっしゃられましたが、その施策が逆に多様性を崩し自由な社会の根源を脅かしかねない危険性についてどのように考えておられるのか?

これはメディア悪影響論ではなく、教育的見地に立つとのことでしたので確認したかったことです。あえて改正に踏み込むのは今の社会が悪いと認識しているとのことでしたので、具体的にどこが悪くなったのかを尋ねたときに返ってきたのが↑のQ7にも含まれている渋谷などの繁華街を見れば分かるように風紀が乱れきっているとのことでした。この点は審査基準とも重なりますが要は「見れば分かる」というのが根拠になっているようです。私は松沢某やらが少年だった時分より遥かに少年犯罪は減少していますが印象論ではなく具体的にどこが悪くなったのかデータをお願いしたところで担当者がメールでのやりとりを提案してきたので再度回答をお願いしたというところです。

>具体的な質問は以上、8点ですどうか教示のほどよろしくお願い致します。


で結局回答はないわけです(おそらくこれからも)。推測するにある程度踏み込んだ回答をしてしまったことを悔いているからではないかと思います。例えば、松沢知事のとんでもコメントなど役人の立場からすれば触りたくないだろうし、一切編集を加えずそのまま撮影したものを流して審査しているという回答は虚偽だと思っています。そんなのは審査委員会の会議時間を考えれば同時に何本も審査しなくてはいけない以上編集を加えていないわけがないです。また、同じく審査方法についてもののけ姫やゴッドファーザーといった作品をも審査対象にかかると答えてしまったことに対する勇み足に対する逃げでもあるでしょう(こんなものが公式見解となっては批判が殺到することは確実です)。

ならばどうして終戦の譜としているのか?といわれれば互いの議論が決して交わらないことが確認されているからです。判断基準が一般人(常識)のものと強弁されてしまえば、俗流若者論の隆盛とあわせて抗すること適わないことが明らかになってしまいました。つまり構図としてはメディア悪影響論に基づいての法令であるならば、その非科学性・非論理性でもって抗せますがそうではなく教育的見地となれば正に価値観の問題となってしまいます。大人の責務としてよりよい環境を子どもに与えようとするのは当然という論法に抗うのは不可能です。よりよい環境を判断するにメディア悪影響論の影響下にあることは明らかと思われる(そうでなければ排除することが環境の改善に繋がるという発想自体がでてこないはず)のですがその点を否定されればお手上げです。

この点も平行線だったのですが私は現在の日本社会が良い社会だと考えていて、担当者は悪化の一途を辿っていると考えている。戦前は倫理、道徳が行き届いていたという幻想(そんなものは戦時下、敗戦直後の振る舞いを記しているジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」、小熊英二「民主と愛国:を読めばいいです)に縋り付きたいのか?いきなり飛躍するようで嫌なんですが構造改革が錦の御旗となっている現状と被って見えます。私は急激な改革というものをあまり信じていない、漸進的なものをこそ改革というのだと思うのですがそれは少数派なんでしょうね。ここで冒頭にあげた2冊の本に目を通していただければなんとなく気分は理解してもらえるような気がします。

とりあえず更に闘いを続けようとするもののために参考資料をいくつかおいておきます。

神奈川県青少年保護育成条例
これは読むこと必須です。読んだ上で具体的な基準を一つ一つ具体的に詰めていく作業が必要だと思います。

神奈川県青少年保護育成条例
今回の条例の大元でありかつ、具体的な例が示されているので参考にしておくべきと考えます。

表現の自由は誰のモノ / ゲーム規制 / 松沢知事
松沢某の対応一覧まとめサイトです。

残虐ゲーム:販売規制法が成立、シュワ知事が署名
>新法は残虐ゲームの定義を「特に非道、残虐な方法で、人間を傷つけるゲーム」などと定め、18歳未満への販売、レンタルを禁止、違反者には最大1000ドルの罰金を科す。

「暴力ゲーム規制法は違憲」と業界団体が提訴
>訴訟を起こした2団体は、イリノイ州とミシガン州でも同様の訴訟を係争中だ。これら団体は今回の訴状の中で、問題のカリフォルニア州法は「コンテンツベースの検閲」と同じだとしている。「ビデオゲームは映画、書籍、音楽などの保護されているほかの形態の表現と同様に、芸術的表現の一形態だ」と訴状にはある。

>業界の代表者らは、連邦裁判所では近年、同様の法律が幾つか却下されており、このカリフォルニア州法は訴訟を切り抜けられないと確信していると語る。「子どもが何を見て、何をしていいかの基準を定めるのは業界や政府のやることではない。それは保護者の役目だ」とESAのダグラス・ローウェンスタイン氏は述べている。

日本に多大な影響を及ぼす宗主国の動向は要チェックです。この場合、向こうの業界団体がきちんと「表現の自由」を守るべく具体的な行動に乗り出していることを見習うべきです。妥協もいいですがまずは戦う姿勢をみせてもらいたいものです。

暴力的ゲームは人間の脳を好戦的に--米研究者ら、fMRIで解き明かす
>「実験では、一人称視点シューティングゲームのプレーと、攻撃を認識したときの特性と考えられる脳の活動パターンとの因果関係を示すつながりが見つかった・・・暴力的なビデオゲームはこれまでも、攻撃の認識、攻撃効果、攻撃的な行動といった人間の攻撃反応を増幅させるとして非難されてきた。われわれは、神経生物学の視点から、こうした因果関係の存在を証明した」と語っている。

>fMRIは、さまざまな肉体的感覚や身体活動によって脳が受ける刺激を測定する。fMRIを使うと、視覚、聴覚、触覚などのさまざまな肉体的感覚によって活動した脳の様子を画像化することができる。実際は、脳内の血流を測定することでこれを実現する。血流の増加は脳の活発化を意味する。

そんなものは映画でも漫画でも同様に決まっています。暴力的シーンを見てその種の刺激がなければ興奮するわけがないです。要はゲームプレイ後どの程度の期間その影響が残るのか、あるいは因果の経路としてもともと暴力的な人間がより興奮するのか、あるいは刺激が活発化するとそれが暴力行為に繋がるのか(逆に発散ということで沈静化しないのか)などが問題であることは再三今までに問われているところです。

残虐ゲーム:石原都知事が「あまり効果はないんじゃないの」 実効性は期待薄
>さらに「問題はテレビゲームだけじゃない」と切り出し、「けしからん映画」として「ロッキー」をヤリ玉に挙げ、「あんなヘビー級同士のボクサーが殴り合ったら死んじゃうのに、一向に死なない」「肉体のリアリティーを欠いた映画」と、青少年への影響を指摘した。

このコメントを読むとゲーム悪影響論をバカにしているのではなくてメディア悪影響論の元で単に実効性に欠くと批判しているだけ。全規制もしくはゼロ規制という立場で、今回の条例に関しては通ろうが通るまいがどうでもいいという姿勢なんでしょう。そして確実に通るでしょうが。

NHK特集 「人生はテレビゲーム 誰でもいつかは死ぬものさ」
さっさと民営化されてしまえ!!!犯罪行為を犯しておいて開き直って法的措置をチラつかせえて集金しようとする団体がよくもこんなことをとしか言い様がありませんがこれが罷り通るんでしょうね。↑については↓でもフォローしてください。
反オタク国会議員リストさま [健全育成政策] これって戦略的にどーなの、CESAさんよ

さんざん気分悪くなったと思うので最後口直しに御大のインタビュー。

Engadget & Joystiq 宮本茂ロングインタビュー