「花咲ける青少年」~現代版一大恋愛叙事詩~ | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

昨日の出没!アド街ック天国「池袋東口乙女ロード」 特集はあまり変な色眼鏡のないもので自然に楽しむことが出来ました(ちなみに昨年初め位からアキバの変わりに最低週一は通っています)。今流行りのジャンルとしてBLとか言われるとおいおい今さらかよ、しかも流行りも廃れもないジャンルの域をとうに超えているだろってツッコミと、30箇所も見つからないからと強引に雑貨屋、ラーメン屋とか混ぜているのは苦笑してしまいましたがね。

「獣王星」のアニメ絶賛放映中につき、OZ―オズ―「束の間の魔法が垣間見せた懐かしい未来」 に続いて樹なつみ先生の二作目のご紹介。

人の色恋沙汰は、種の保存という生物の根源的欲求に根ざした情動である以上、古より物語の主題たりえてきたし、たとえ、科学技術の進歩が「生殖」と「恋愛」を完全に切り離しえたとしても人が生きていく限りにおいて、物語として恋愛を語り続けるであろう…と書くと散文的かな。

これまでさんざん、恋愛至上主義どころか恋愛唯一主義とでもいうべき少女漫画の現況についてくさしておいてなんですけれど、それは誰と誰がついた離れた(性行為という表現の振幅含みね)という同一構造でもって、だらだらと連載が中長期化されることや、金太郎飴のように同一型の作品が量産されることに対してのものであって、それでも否それだからこそ魅力的な「恋愛」作品を読みたいと想っています。そうでなければ少女漫画からとうに卒業しています(苦笑)。別の言い方をすれば「恋愛」を描くにしても、読者がいちゃいちゃした恋愛行為、あるいはその一歩手前の甘酸っぱいもどかしいすれ違いが読みたいからといってそればっかり描いていたら、同じようにアンケートでの読者の願望に忠実に応えて戦闘行為(試合)が無限にインフレ化して歪な作品となってしまったドラゴンボールに代表される一時のジャンプ作品と大差ないんじゃないのということです。まあ、一時の時間潰しにすぎない、一時であれ売れれば正義とか思っている人には関係ない話ですが…。

毎度のことながら話が脱線しかかっているので元に戻すと、では魅力的な恋愛作品とはどのようなものがありえるかということ…。それはとりあえず主流から背を向けてあえて「恋愛」以外を主題に据えてみることのように思います。無限のバリエーションが考えられるのが恋愛の奥深いところで、他のどんな主題を掲げる作品であっても添え物として恋愛が忍び込む余地がある(ジャンプ作品においてやおい的妄想でもって物語を換骨奪胎して読み込むことが可能なごとく)のですから。関係性が深化すれば、それが異性ならば論を待たず、同性であろうとなかろうと、それが友愛だろうが、家族愛だろうが、あるいはもっと別の対象に対する無償、有償を問わない忠誠だろうが、「愛」として読めるものは数多くあります。それなのにそんなせせっこましい領域に留まる必要がどこにあろうか?ということ。

また、登場人物に自己を同一化、投影、没入するという「物語」自体の愉しみ方があります。「構造的に~」、「過去の作品と比較すると~」、「現代批評として~」、「製作スタッフが~」のような楽しみ方(まんま誰かさんみたいって(∩゚д゚)アーアーきこえなーい)もそれはそれとしてあるかもしれないけれど、そんなフォークの先でものをこねくりまわすような楽しみかただけでなく、純粋に物語のみを享受する悦びを決して忘れてはいけないと思っています。

同一化しやすいようにという配慮からか、登場人物の思考パターン、言行動があまりにも等身大に拘泥するのはつまらないと思いません?かといって、理解困難なほどにあまりに支離滅裂で一貫性のかけらも無いようなものは困りものですがせっかく「物語世界」に耽溺せんとしているわけですからある種、遊離してくれているほうがより投影したくなると思う…とそのような欲求(はいはい、前口上長すぎ、長すぎ)をお持ちの方にお勧めする作品が「花咲ける青少年」 (全12巻)です。

この作品の場合、場所・時代設定を始めとして序盤にきちんと伏線が散りばめられているけれどもその回収、練りこまれ方を客観的に楽しむというより、まさに登場人物にいれこんでドキドキしながら読むのが正しい(断言)!結末を知ってしまうと、最初のドキドキが薄れそうなのでネタばらしは一切なし。

舞台の幕開けは、バンドン会議を思わせる植民地会議の過去から。そこで、ローマの休日を思わせる運命的な出会いをなした王子様と一般人の女性。その縁が古よりの王国とは別に新たな帝国の主、ハリーを生むことになる。そして現在、物語の幕が改めて開かれる。その物語の主人公は帝国の主の娘、花鹿…。

いつか素敵なお姫様のもとに素敵な王子様が現れてメデタシメデタシというのが昔話(本当は残酷な~というのは無視♪)、平凡な女の子のもとに素敵な王子様が現れてイチャイチャというのが今の少女漫画、この物語の主人公はそのどちらでもない。王子様を自ら探しにいき、選別し、そして王子様「に」育てる物語となっている。ただ受け身で素敵な出会い、再会を待つお姫様とはほど遠い。この作品における王子様に要求されるもの、それが実にシンプルでありながらも覚悟が必要とされるものであることは7巻、そしてラストのお楽しみ。

ある日唐突にハリーが娘、花鹿にもちかけた3人の候補者の中からの婿探しゲーム。その候補者はその時点では単にハリーが勝手に選んだにすぎず、花鹿は見も知らぬ他人、そしてその候補者自身も選ばれたことは知るよしもないという設定。ただ両者が出会うようにさしむけるのみというだけ…物語を読む進めているとこの出会える機会をハリーが用意しているという設定自体がそもそも疑わしいということに思い至り、初めからゲームでありながらゲームではなかったことが明らかになる。否それだからこそ、過酷な現実をゲームであるかのごとく、ある種の開き直りと覚悟をもって楽しむことが必要になる(それは人生そのものについての処世術とも言えるかもしれない)。

用意された舞台はブルネイを思わせる王国がメインではあるが、物理的距離などどうともしないだけのスケールの大きな王侯貴族の物語であり、世界そのものが舞台となっている。冒頭におまけのようにくっついている平凡な日本のエピソードは徹頭徹尾邪魔、不要でしかない。どこまでも王侯貴族の物語であり、そこには一般庶民はお呼びではないから!王侯貴族がどういうものであるかについての定義も語られているのでお楽しみに♪物語のスケールの大きさによって婿候補者が逆に割を食わされている(特に最後の候補者ね)点もあるけれど、スケールの大きさ、政治的権謀術数の数々が補って余りあるものとなっています。

これ以上書くと否応なく中身についてのネタバレに踏み込んでしまいそうなのでこれにて終了。ただ私の感じたトキメキについてちょっとだけ書いておくとクインザ、曹の主、そして共同体への忠誠がもはや本人も識別不可能なまでにないまぜになった狂信的忠誠に、花鹿を中心とする恋愛感情よりもトキメキを感じてしまったのは私だけでしょうか?「愛」とは本来、貪欲なまでに排他的、利己的感情であって、だからこそキリストはそれを開放的なものとする「隣人愛」みたいものを言い出したんでしょう。でもそんな薄味の感情なんて「愛」ではない!その後のキリスト教の異教徒、異端者に対する血の歴史をみれば分かりやすい。「愛」それは人畜無害の天使のような純白なものではない、だからこそ魅力的なんです。あとは最後に引用しておいた、ユージィン(ムスターファ)とハリーのこの台詞(そして終了後の樹先生の同人誌内での孔雀の羽を広げる喩えは思わず溜息が毀れざるを得ませんでした)。いずれにせよ、この一方的な狂気としか言いようのない感情(本人に自覚があり、熱情の最中にもシニカルなまでの冷静さを保っているところが萌えどころ)に堪えられないほどの美を見出してしまうんです。


『花鹿はぼくの生きる事の総てです。彼女が生きよといえば生き、死ねと言えば死ぬでしょう。ぼくが愛するというのはそういう意味です。』

『花鹿と結婚したいかね?』

『結婚という制度自体が既にあなたのいう前時代的な遺物になりつつあるでしょう。ぼくはそんな形式には興味ない。ただ彼女を愛していたいだけです。』

『君とはまた会いたいね…君と話していると浮世を忘れられる。』


Comments
春秋子同志…

ベリアル様が言われるように男でも女でもそんなことどうでも良いじゃないですか(だいたいベリアル様はそのどちらの性になるのも否定したでしょう)?私も当初は意図的であったかもしれませんが、いまや自然のうちに中性化したように思います。はっきりいって性差なんてどうでもいいです、大切なのは悦びを集めることですよ!…言っちゃったw

>宮崎駿は、もののけ姫で「独裁者は女性じゃないと」といって、巴御前に逃げてしまった。

漫画版のナウシカではナウシカをして独善的に人類の未来を閉ざした、否滅びの道を選択させた独裁者かのように描く一歩手前まで来ていたのにね。自然と人間の安直な調和は避けえたのかもしれませんが、安直な均衡、先送りには変わりないですよね。

>一作家一仕事だとしたら終わってしまってる訳ですが…

「OZ」はあまり評価されていないんですか?ついでに現在連載中の「デーモン聖典」が名作となりうる感触、予感がしています。
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2006/06/14 22:07
わ。ベリアル様になんてことを…
commented by 春秋子
posted at 2006/06/14 21:40
>もしかして言葉遣いなどで誤解されています?私も生物学上は「男」性です!

orz…

おそらく、竹本泉と堕天使ベリアル様が男と知った時なみのショックですよ…ああ…

>これは異性の恋愛関係では雑念が混じりすぎて決して表現できない領域の美しさがありますよ!

同感です。混じりっけのない、自らさえ燃やし尽くす愛。あの2名の1問1答。宮崎駿は、もののけ姫で「独裁者は女性じゃないと」といって、巴御前に逃げてしまった。あれを男性として書きぬくことができた所に、樹先生の才能を感じますよね。女性だからかもしれません。だからこそ、少女漫画の、セクシャリティの調理法にどうしても惹かれてしまう。これはサガなんでしょうか。

一作家一仕事だとしたら終わってしまってる訳ですが…
commented by 春秋子
posted at 2006/06/14 21:35
春秋子同志これからも多数派による不当な弾圧に負けぬようよろしくお願いしますw

>いや~な~に。男性のくせに「やおい」「百合」を愛読している私に比べれば、倒錯なんぞ…

もしかして言葉遣いなどで誤解されています?私も生物学上は「男」性です!だからこそあまりにも似たような嗜好、美意識をお持ちの方がいたことに感動して魂の同志と呼ばせていただいたんですから。

>この間、フルバで「由希くん可愛い」という話をしたら、見事に引かれた引かれたw

それは引かれますよ、そこはそんなこと微塵も思っていなくても透のピュアさが愛おしいとか言っておかなくちゃw

>あのシーンは少女漫画史上に残る名シーンだと確信しています

本当ですよね…名誉ある死を許すと言ってのけるルマティの成長ぶりも含めて、これは異性の恋愛関係では雑念が混じりすぎて決して表現できない領域の美しさがありますよ!

あと天使禁猟区好きならば当時に想い馳せられる↓
http://angelsanctuary.blog66.fc2.com/
お勧めしておきます。
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2006/06/13 23:38
わ~い、同志遊鬱様、ありがとうございます。

>私はもうおそらく察しておいでかとも思いますが、倒錯に倒錯を重ねたせいで、好みが多少余所様と変わっているかもと覚悟しているのでそんなに早く共感を覚えてくれるコメントがあったことにむしろ驚きましたよ!

いや~な~に。男性のくせに「やおい」「百合」を愛読している私に比べれば、倒錯なんぞ…同志に近い。ちなみに男は当然として、女性と少女漫画の話をしても、全然話が合いませんw この間、フルバで「由希くん可愛い」という話をしたら、見事に引かれた引かれたw

>もう泣きどころ(現実の出来事には毛筋一本動かないんですけれどね)まで一緒でもう笑うしかないです。

いや~、重傷を負いながらクインザがルマティを見て、「立派になられた」(でしたっけ)には半泣きでした。ルマティを見ていたいけど、もはや許されない。。。。あのシーンは少女漫画史上に残る名シーンだと確信しています

>それにしても偶然、先のホスト部の記事は発見できたけれど、もうあまり漫画などの書評は書かれないんですか?

すみません、時間がなくて、全然書けなくて…本がたまる一方で…
commented by 春秋子
posted at 2006/06/13 21:54
魂の同志、春秋子さんに誉めてもらえるとは光栄の限り!

>『八雲立つ』途中までしか読んでいなくて

これは途中まででやめて正解です。はっきりいって中盤から後半にかけてつまらなさが一気に加速していく。構想や時代設定は素晴らしいのに肝心の主人公を平々凡々のキャラにしたのが変な甘ったるさを漂わせてしまい致命傷。樹先生は脇役ならともかく主役として一般人(性格設定としても)書かないほうがいい!

>いやあ、クインザファンが、こんなところにおられるなんて。

まあ、一般には圧倒的に立人が人気でしょうねー。私はもうおそらく察しておいでかとも思いますが、倒錯に倒錯を重ねたせいで、好みが多少余所様と変わっているかもと覚悟しているのでそんなに早く共感を覚えてくれるコメントがあったことにむしろ驚きましたよ!

もう泣きどころ(現実の出来事には毛筋一本動かないんですけれどね)まで一緒でもう笑うしかないです。ユージィンは引用したコメントを実践する最後の出迎えシーンで私は泣きました。

『ニューヨーク・ニューヨーク』4巻でありながらこれほどきちんと同性愛を同性愛「だけ」をテーマにした重い作品は他に知りません。

それにしても偶然、先のホスト部の記事は発見できたけれど、もうあまり漫画などの書評は書かれないんですか?
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2006/06/12 02:53
やられました。完璧です。非の打ち所のない、『花咲ける青少年』論ですよ。いつかは書こう書こうと思っていたのだけど、『八雲立つ』途中までしか読んでいなくて、書かなかったのが運の尽き。

いやあ、クインザファンが、こんなところにおられるなんて。自らの体、自らの死をもって、最後のご奉公におもむくクインザ。クインザに騙されることを望む王女。ユージンがまた素晴らしい。王子の失恋もいいっす。泣きながら読んでしまいましたよ~~。

おそらく生涯でも、この作品より感動した作品をあげろといわれたら困ります。『ニューヨーク・ニューヨーク』か、『バナナフィッシュ』か、、、
commented by 春秋子
posted at 2006/06/11 23:13