ネットを彷徨っていたら、気になる記事を見つけた

何故日本犯罪加害者に優しいのか、その問いに対し
弁護士が答えた記事だ。
その記事を紹介する前にまずは
ツイッターで呟かれた非情国日本への問いかけ。


日本の法律って基本『やり得』『やられ損』なんだとは思う。罪にとわれないイジメなんかはいい例。集団で一人の精神殺しにかかっているのに力技で抵抗しようものなら逆にこちらが罪にとわれ、結局逃げるか我慢するの二択になる。中途半端に堪えられてしまう子は、死ぬ一歩手前で踏ん張ってる

相手を殺す気で抵抗しないとかなわない、ってな話だけど、以前ナイフで脅されて強姦されそうになり、抵抗の末逃げるため強姦魔にナイフを刺したら死んでしまって過剰防衛とられた女性がいたよね。理不尽すぎて暴れそうになったわ。ナイフで襲われなきゃ女性だって刺すようなことしねーっての。

昔、友人が痴漢に遭って人気のない駐車場に引きずりこまれた。その時はなんとか叫び倒して助かったんだけど、警察で事情聞かれてるとき「ご主人にはこちらから説明しましょうか?」と言われたそうだ。なんでも被害者の妻に対して「お前にスキがあったからだ」だのと暴言吐く夫が一定数いるらしい。

結局『不祥事を隠したい学校側&わが子を守りたい加害者親』が力を合わせる形で再び被害者親子を追い詰めた。被害者親子は転校し、その学校ではイジメはなかったものと処理され、加害者は罰を受けることなく生活している。その背景には集団の力に消された親子がいるのを私は知っているし忘れない。

青森で電車に飛び込んで命を絶った中二女子生徒の遺書の文面。「いじめてきたやつら、自分でわかると思います。二度といじめたりしないでください」18歳以下の自殺者数は始業式の9月1日が突出している。


オランダ人に「オランダの学校でもいじめってあるんですか?」と聞いたら「いじめってなんですか」って言われた。 「なぐったり…」「それは犯罪です。」 「ものをとったり隠したり…」「それは犯罪です。」 「集団で圧力を…」「不当ならば犯罪です。」 そうだよねごめんジャパンが悪かった。


そこでこの問いになる
なぜ、かくも日本人は加害者に優しいのだろうか。

この問いに対し弁護士が答えを述べている。
それにカチンときたのだ。

少し長いが全文を記載してみた。
記事はここから抜粋
http://d.hatena.ne.jp/shimizulaw/20140404/1396578082

 批判する人は、「犯罪者を厳しく処罰するのは当たり前だ」と考える。
 日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。

 しかし、と刑事弁護人は考える。
 「厳しく処罰する」と言うのはどういうことか。

 批判する人は、「刑務所に長く入れることだ」「極刑(死刑)にするこ
とだ」と考える。
 日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。

 しかし、と刑事弁護人は考える。
 「長く刑務所に入れると、入れた期間に比例して深く反省するのか」
「極刑にすると、なにが解決するのか」

 批判する人は、「長く入っていれば、それだけ苦しみ、反省につなが
る」「とんでもないヤツは、この世に生存する資格などない」と考える。
 日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。

 しかし、と刑事弁護人は考える。
 「刑務所に長く入れておれば、受刑者はそれだけ深く反省するという
現実はあるのか。むしろ、長く刑務所にいた人の方が、外に出たときに
“いま、浦島”になってしまい、社会に適応できず、自分の居場所を失
い、社会に出てから犯罪に巻き込まれやすくなる」「他人の存在につい
てこの世に生存する価値がないという判断をし実行する価値観は、気に
食わない人との関わりを拒絶し、排除し、差別する価値観に繋がってい
ないか」

 批判する人は、「社会に出て犯罪をおかしたら、今度はもっと長く刑
務所に入れればいい」と考える。
 日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。

 最近、気に食わないヤツにはとにかく重罰で臨めという傾向はまさに
この価値観だ。これは、憎しみの拡大、憎しみの連鎖を生んでいるよう
な気がする。

 重大な結果には重罰で臨む。
 当たり前のようだが、よく考えてみると、???だ。
 重罰によって充たされるのは野次馬的存在の人々の場当たり的な正義
感だけで、問題はなにも解決しない。被害者が奪われた命、健康な身体
などは決して戻らない。決して戻らないことに均衡する社会制度として
の刑罰など存在しない。どうしようもないアンバランスは、刑事裁判の
判決を俟つまでも無く明らかだ。

 刑罰に被害者の苦しみとの均衡を求めること自体がナンセンスなのだ。

 被害者や被害者遺族の苦しみ悔しさを、人として、犯罪者が、周囲の
人々がどう受け止めるかという問題と、犯罪から何を学ぶかという問題
はまったく別だ。

 刑事裁判は中途半端な位置にある。
 被害者や世の人々の処罰感情を満足させようとする面と、犯罪者に犯
罪を反省させ繰り返させないようにしようとする面がある。
 ここに抜けているのは、被害者はどうして犯罪に巻き込まれたのか、
どうすれば犯罪に巻き込まれないで済んだのか、という視点だ。

 実は、この点こそが、社会が犯罪から学ぶべきことなのだ。いや、そ
れ以外に社会が個人間で起こった私的な紛争に関心を持つ意味などない。

 ところが、マスコミ報道では、加害者を行動に走らせた被害者側の原
因を詳しく報道することはない。「こんなにいい人が、なぜ被害に遭わ
なければならないの?」という記事ばかりだ。これはこれで問題で、逆
に言えば、「いい人でなければ殺されてもいいのか」という疑問が湧く。
いい人だろうがそうでない人だろうが殺されていいということはないの
だ。
 かなり無理をしていい人に仕立て上げているような記事さえある。そ
のとき、記者も編集者も被害者側の言動や行動などに問題があることに
気がついている。それでも、「わが社は被害者を冒涜していません」
「犯罪被害者の味方です」と、アピールする。
 その論調のオンパレードで世論は形成される。

 警察や検察は、事件のストーリーを単純化するために、また、正義を
装うために、加害者の問題点を一方的に取り上げ、被害者側の「問題点」
は出さないか、出さざるを得ない場合でも最低限出すだけにとどめる。

 刑事弁護人も、被害者側の言動や行動に犯罪を誘発してしまった原因
や、被害者が最悪の事態を回避できたはずだと、指摘することを躊躇せ
ざるを得なくなる。

 裁判官の仕事は、目の前に立っている被告人に判決を言い渡すことだ
から、被害者の言動や行動の問題点について言及することはほとんどな
い。

 そんなわけで、一般の人々は、犯罪者を刑務所に送り込むための儀式
としての刑事裁判を見せられているだけで、社会として学ぶべきことを
学ばせてもらっていない。
 それでいいのか?

 殺された被害者がもし生きている大事な人々にメッセージを伝えるこ
とができるとすれば、何を言うのだろう。ふと、そんなことを考える。
 「犯人を死刑にしてくれ」という人もいるだろう。
 しかし、「あのとき、相手の人にあんなことを言わなければ、相手の
人にあんなことをしなければ、わたしは殺されずに済んだかもしれない。
いま、生きているあなた、わたしと同じ失敗をしないでくださいね」と
言うかもしれない。

 犯罪者をこの世からなくすことはできない。しかし、犯罪被害を回避
すること、被害を小さくすることは無限に可能だ。社会は、加害者側の
問題点だけでなく、殺された被害者からの教訓をしっかり引き受けるべ
きではないか。


いかがだろうか。
この弁護士さんはこう考えておられるそうだ。

これに対しカチンときた
その訳は・・・少し過激になるが我慢してほしい。


文中に出てきた
「日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。」
この一文は論理すり替えの為詭弁者がよく使う手だ。
いわゆる上から目線、説教を垂れる時に、上位者が下位者に諭すとき使う言葉だ。
この一文で良識ある大抵の日本人を敵に回した事すら気づかない。

この一文は、弁護士擁護のための説明であり、かつ、答えにもなっていない。
肝心の何故日本は加害者に優しいのか、の問いには論理をすり替え、話題にもしていない。
結局罪を犯した者は罰では救うことができないと述べているだけだ。

一番驚いたのはこの文章だ。

殺された被害者がもし生きている大事な人々にメッセージを伝えるこ
とができるとすれば、何を言うのだろう。ふと、そんなことを考える。
 「犯人を死刑にしてくれ」という人もいるだろう。
 しかし、「あのとき、相手の人にあんなことを言わなければ、相手の
人にあんなことをしなければ、わたしは殺されずに済んだかもしれない。
いま、生きているあなた、わたしと同じ失敗をしないでくださいね」と
言うかもしれない。

この論理の飛躍はなんなんだ。
殺された者も悪いと暗に示している。

多くの人が思うのは、被害者の受けた傷に対し、加害者が受ける罰は軽すぎるのではないのか
そう問うているのだ。
しかしこの弁護士は、加害者が犯罪に走った動機を解明し、その時被害者側が加害者を
加害者たらしめた、なんらかの行動をしなかったのか、そこを解析する必要があると。

つまり、被害者も悪いのだと。

これが日本で言われる、人権の重みなのだ。

死人は死んだ時点で人権は消滅する
加害者は生きているから人権が存在する。
だからこそ、加害者に向き合うべきだ。

この弁護士の基本主張はこうだ。
刑罰に被害者の苦しみとの均衡を求めること自体がナンセンスなのだ。

ナンセンスなのは誰もが知っている。
じゃあ、どうすればいいのだ。

その答えを弁護士はこう述する。

犯罪者をこの世からなくすことはできない。しかし、犯罪被害を回避
すること、被害を小さくすることは無限に可能だ。社会は、加害者側の
問題点だけでなく、殺された被害者からの教訓をしっかり引き受けるべ
きではないか。

と、理想論で結んでいる。
犯罪は無くすことはできないが回避することはできる。
つまり、被害者側よ、お前が気をつけろ
極論すれば、これがこの弁護士の答えの用だ。

苦笑するしかない。
果たして本音なんだろうか。
この弁護士の家族が、知人が殺されたとしても彼は話して
そう言い切るのだろうか。

私の基本原則はこうだ

目には目を、歯には歯を

この基本原則を国が代替えして裁いてくれていると思うから
私的制裁はしない。
しかし、国があまりに加害者側に加担する制度を助長するなら
私的制裁は許されるものと思っている。

過度な人権擁護は、殺人に等しい

 

 

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