フェイスブックをしかたなく始めた
本来はしないつもりだったが、連絡がフェイス
ブックでしかできないところもあり、しかたな
く。

フェイスブックのコンセプト、わからないでは
ないが私にはどうも馴染めない。
友達の友達は皆友達
そりゃそうだが、具合の悪いことも多々ある。
あの友達にはこれを話していいが、あの友達に
は秘密にしておきたい。

勿論設定でどうにかなる
どうにかできるが、設定次第では、知ってほし
くない情報も漏れ伝わる事がままある。

本人は知られたくない設定をしたのだが、勘違い
で漏れ出す事は多々ある。
昔それで嫁と揉めたことがある。
だからやめていたのだが、必要にせままれて、開始
したのだが・・・

一番いやなのが、原則本名。
これがねえ・・・・

しかし
慣れとは恐ろしいものだ。
あれだけ友達について吟味していたのが、最近では
さほど神経質に考えない。

まあ、いいか、別に悪いことをしているわけじゃな
いし・・と。

この油断がいずれ揉め事につながるのでは・・と
懸念もするが、そんな事考えていたらフェイスブ
ックは使えない。

ただ、このデーター、集積され個人情報として
蓄積されていることを覚悟する必要がある。
情報は友達間だけの情報ではありえないのだ。

フェイスブックで蓄積されデータは、「クリッ
ク」「つながり」「コンテクスト(背景)」
の三種類に大別され、それぞれが個人の人格
を容易に分析できてしまう。

たとえばフェイスブックは、カップルが交際
中であることを公表する100日前から、二人の
ネット上のやりとりは着実に増加すること、
そしてステータスを「交際中」に変更したと
たんにフェイスブック上のやりとりは一気に
減少することを把握している。
当事者が「交際中」であると認めていなくて
も、フェイスブックにはわかっている。

データーだけで推察され、それは殆ど事実と
変わらない。

ソーシャルデータは個人が自覚していない本音
まで明らかにしてしまう。

個人情報は、個人の性格を色濃く反映し、その
人の性格、今後の行動まで予測しようとすれば
出来てしまうのだ。

フェイスブックに限らず情報はあちこちで蓄積
されている。
そしてこのデーターを集積する権限さえあれば、
たちどころにこの情報は分析され、個人の性格
を、本人以上に把握してしまうことになる。

これを止めるすべはない。
何故なら、個人情報とは行動履歴であるから、
社会生活にはめ込まれた人間は、いやおうなし
に個人情報を与えるしか、術がないからだ。

もう開き直るしかない。
管理する政府を信じ、その活用を誤った方向に
使わないか、漠然と判断するしか、個人でなし
得る対策は無い。

だから、私も開き直ってフェイスブックを利用
しているのだが、いまだに微かな恐怖心を覚え
る。

自分のこのデーターが、未来の個人に影響する
原因になりやしないかと。

管理社会の到来は、案外近いのかもしれない

 

 

 

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