さんまちゃんの事を少し
さんまちゃんとは、明石家さんまさんの事。
ネット飛び回っていたら面白い記事を見つけ
たので。

明石家さんまさんは和歌山県生まれ。
お母さんは、さんまさんが3歳の時に病気で亡
くなくなりました。

しばらくしてお父さんが再婚します。
さんまさんが小学校高学年の時でした。

再婚相手には男のお子さんがおり、都合三人の
男兄弟となりました。
さんまさんはとても喜び、歳の離れた弟を大変
可愛がったそうです。
しかし、継母への遠慮や彼女が実弟ばかり可愛
がる事もあり、新しい母との間には見えない壁
ができてしまいました。

それでもお母さんと親しくなるために、さんま
さんは毎日面白いことを必死で考えて、笑わせ
ようとしたそうです。

ここにお笑い芸人の原点があったのだとか。

そんな努力のかいもなく、お母さんは二人を
自分の子供だとは受け入れてくれなかったそう
です。

お兄さんの回想によると、お母さんは隣の部屋
で酒を飲みながら自分の子は自分が産んだ子だ
けだ、と言っているのを聞いたそうです。

二人は寝床でよく泣いていたそうです。

この母親がトラウマとなり、さんまさんはお
酒やお酒を飲む女性が苦手になったのだとか。

お母さんとの関係は上手く行きませんでしたが、
歳の離れた連れ子の弟さんとは仲が大変良かっ
たそうです。

弟さんは小さい頃からさんまさんを尊敬し、
崇拝していたそうです。
大変素直な性格でサッカーを得意とし、
サッカー部のキャプテンもやりこなしイン
ターハイにも出場、国体選手にも選ばれた
自慢の弟だったそうです。

そんな弟をさんまさんは「チビ」と呼んで、
溺愛していたそうです。

しかし弟さんは19歳の時、火事が原因で突然
亡くなってしまいます。

突然、亡くなってしまった弟。
ワールドカップを一緒に見に行こうと約束し
ていた「チビ」の笑顔。
さんまさんは、弟さんの死を受け入れられな
いでいました。

その頃さんまさんはお笑い芸人として人気が
あり、知名度も高かったのですが弟を失った
ショックで、笑いを取ることが出来なくなり、
本気で芸人を辞めようと考えたこがあるそう
です

そんなさんまさんを救ったのは、吉本の同期、
オール巨人さんでした。

共演した舞台での事です。

「お前んち、兄弟焼いたらしいな」
と、巨人さんがきわどいボケを言いました。
さんまさんは、これを励ましと気づきます。

「そや、材木が切れたから代わりに焼いたんや」
とツッコミます。

激怒してもおかしくないこのボケに、さんまさ
んは救われたそうです。

「さんま、芸人やめたらあかんで!」

という思いが通じたのでしょう。

後に「芸人やめんで済むわ」

とオール巨人さんに感謝したとか。

ちなみに、この時の舞台はかなりウケたそうです。


1985年8月12日に起きた日本史上最悪の『日本航
空JAL123便墜落事故』。

坂本九さんを含む、520名の尊い命が奪われたあ
の事故を覚えてますか?

その飛行機に、さんまさんは搭乗する予定だった
そうです。
当日フジテレビ『オレたちひょうきん族』の収録
後に、JAL123に乗り大阪へ行く予定でした。

これも運命なのでしょう、たまたま「ひょうきん
族」が早く終わり、一つ前の便で大阪に向かった
といいます。

墜落事故のニュースを聞いたさんまさんは、事故
当時の生放送ラジオ番組を特番放送に切り替えた
そうです。

この事故のショックから、さんまさんは出来るだ
け新幹線で移動しているそうです。

幼い頃の母を亡くし、溺愛していた弟も亡くして
自分も一つ違えばこの世からいなくなってた命。

そんなさんまさんは、大竹しのぶさんとの間に生
まれた娘さんに、

「IMALU」(本名:大竹いまる)と名付けました。

由来は「生きているだけで丸もうけ」。

大事な娘にどれほどの思いが込められているか、
さんまさんの過去を思うと、それだけで頷けます。

なんか、妙に胸に染みますよね。
この記事。

どんな人にも過去があります。
つらい過去が。
そんな過去を背負って、皆生きてるんですよね。

こうして考えると、ほんと、生きてるって事だけで
丸儲けですよね。
だったら、もう何をしても怖くないですよね。

最高の運を授かった来た人だけの集まりなんですか
ら。
この地球は。

 

 

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