「鬼塚さん、何を考えておられるんですか、いつもの鬼塚さんらしくないですよ」

佐田が子供を叱るように言葉を発すると

「そうか、俺らしくないか」

苦笑しながら

「しかし、俺らしくもあるだろ」

一橋に笑って見せた。

「私は素直に鬼塚さんの考え、納得はできませんが、鬼塚さんらしくはありますよね」

一橋は言いながら、ゆっくり歩を進めた。
鬼塚とエンジェルの間に割り込もうとしているようだ。

鬼塚がここまでのし上がってきたのは確かにその強力な腕力もあるが、その根底に流れる義理の世界を忠実に守ってきたからだともいえる。
義理と言う、わかりやすく真っ直ぐな道を、愚直なまでに突き進んできたからこそ、多くの仲間もまた、鬼塚について来たともいえる。
鬼塚と関係のあった女が殺されたことは、鬼塚の(わたくしごと)だ。
そのかたき討ちは鬼塚本人でしなければならない。
これを組の力で仇討などしてしまえば、愚直に今日まで守り通してきた、鬼塚の任侠道に反することになる。
エンジェルに勝てるか、勝てないかではない。
エンジェルにどう立ち向かうか、そのやり方こそが、鬼塚の今日までの生き様が問われているのだ。
鬼塚が、組の誰にも言わず、一人エンジェルに立ち向かう、この姿こそが、鬼塚の、鬼塚たるゆえんでもあるのだ。

鬼塚の気持ちはわかる。
しかし、ここで鬼塚に死んでもらっては困るのだ。
鬼塚は、今の混沌としたヤクザの世界で、鬼塚だからこそ衆目が認める唯一の重石だからだ。
鬼塚が、自分の小さな(任侠道)を貫くために死んでしまえば、せっかくまとまりかけて来たヤクザの世界がまた分裂する。
鬼塚は、あと数年、生きていなければ困る存在なのだ。