【登場人物】
・一橋孔明(42)(ひとつばしこうめい)探偵
・北川景子(30) 弁護士
・北川澄子(50過) 北川景子の母(依頼者)
・井賀才蔵(48)大阪銀行の頭取、片原伊泰の用心棒
・早乙女麗那(32)有名な女優
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手を放し際、早乙女麗那は一橋の指先をちらりと見、その指に何の指輪が無いのを確認すると

「ご結婚はまだなの」
「指輪が嫌いなだけです」
「じゃあ、、、」

一橋は笑うだけで敢えて何も言わなかった。

「タクシーを呼びましょうか」
「お車はお持ちじゃないの」
「車は運転しない主義なので」
「色々主義があるのね」
「面倒くさい男なんですよ。私は」

一橋は大通りに出ようとしたが、早乙女もついて来ようとしたので手で押しとめた。 

「そうだ、あの男仕返しなんか、しないかしら」

一橋は足を止め、早乙女を見返した。
苦笑しながら、それでも眉をひそめ

「何をされたんですか?」
「頭取の顔にワインをかけただけです」
「ワインを!」
「あら、もったいなかったかしら、ワイン。お高いんでしょ、あのお店のお酒って」

一橋は吹き出した。

「ワインはとにかく、勿論かけるにはそれなりの理由があったんでしょ」
「あのハゲとにかくしつこいのよ」

片原頭取はその禿げた頭でも有名な男だ。それ以上に女癖の悪さにも定評がある。
ワインをかけられたおおよその理由は想像ができる。

「じゃ、大丈夫ですよ」
「あら、どうして」

早乙女麗那の表情が明るくなった。多少は心配していたのだろう。

「ワインをかけられたぐらいで仕返しなんかしないでしょうよ」
「でも、、、」

早乙女の表情が少し曇った。どうやら、ワインをかけた理由はしつこいだけではないらしい。
一橋は慌てて付け足した。

「それともうひとつ」
「なあに?」
「私があなたのボディーガードをしてると言いましたから」

一瞬、一橋の言ってる事が理解できなかった早乙女だが、やがてその意味を理解したのだろう、笑顔を取り戻すと

「ふーーん。あなも、有名人なんだ」
「あなたには負けますがね」

一橋は早乙女麗那に笑顔が戻るのを確認すると、広い道に出てタクシーを停めた。
早乙女麗那をタクシーに呼び寄せると無理やり押し込めようとした。
抗うようにタクシーから身を抜き出すと、一橋の前に立ち

「お名刺いただける」
「生憎、名刺なんてもの持たない主義で」
「私の事お嫌い?」
「まさか」

一橋は微笑んだ。
頭一つ分高い一橋の首の下で、早乙女が見上げている。
二人の距離はほとんどない。

「言いましたでしょ。どこにカメラがあるかわからないと。こんなとこ写真に撮られたらお困りでしょうに」
「私は全然困らないけど、あら、あなたが困るのね」
「私も困りはしませんが」
「じゃあ、いいじゃないの」
「でもこうしてると困る人もいますよ」
「誰?」
「タクシーの運転手さん」

目を丸めた後、早乙女は吹き出した。

「ウフフ、ほんと、あなたって面白い人ね」

そういうと、今度は自分からタクシーに乗り込んだ。

「お家は近いんですか?」
「市内よ」
「そうですか、、」

一橋はポケットに手を突っ込むと、無造作に丸めた札束を取り出すと、一万円札を一枚抜き取り

「彼女の言うところに行ってくれ」

と運転手に渡した。

「じゃ、、」

窓越しに体を屈めた一橋に

「ちょっと待って」

早乙女は窓を開けると顔を出し、いきなり一橋の頬に口づけをした。

「今日のお礼よ」
「じゃ、、これで貸し借り無しですね」

そういうと、今度は一橋が早乙女の手を取ると、その甲に口づけをした。

「あら、これは?」
「お釣です」

早乙女麗那はまた吹き出した。

「また会う予感がするわ」
「だといいんですが」

一橋はそのまま一歩後ろに下がると、タクシーのボディーを軽くたたくき運転手に出発を促した。